ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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オクトラ2小説5作目。……の後編です。前編はこちら
 ヒカリ5章内乱を終えた直後のお話で、8人全員出てきますが、キャスティヒカリが中心です。
 中心どころかカップリング(ヒカキャス)要素かなり強めです。ヒカキャス中心で話が進みます。
 エンディングまでのネタバレを含むので、ご注意ください。

 後編だけですが、字数は後編で3.4万字程です。

 それでは「おわりとはじまり 後編 ~ 八人の旅路」です、どうぞ。

24.1.12 加筆修正




おわりとはじまり 後編 ~ 八人の旅路(1/2)


 その家は所謂、一般的なク国の民家だった。
 乾燥に強く断熱性の高い日干し煉瓦を積み上げ、同じく断熱性の高い粘土瓦を敷き詰めている。窓は他の国を回って改めて見ると随分と小さかった。日中は熱しにくく、夜中は冷めにくい、砂漠の家ならではの構造だ。
「やはり開かないか……」
 扉を引こうとすると向こう側から金属の鎖がぞんざいに扱われる音がした。まるで何かを封じているかのように。
 駄目押しでなんとかならないかともう一回引こうとして、
「ヒカリ君、こっち」
 敷地内を見ていたキャスティが手招きした。誘われるままにヒカリが近付くと、人一人分が通れるだけの引き戸が煉瓦をくり抜いて設置されていた。
「裏口か? しかし表は厳重に……」
 ヒカリの言い分を聞く前にキャスティは服の裾が汚れるのも構わずおもむろにしゃがみ込むと、砂に塗れた紐を差し出した。
「これ、引き戸じゃなくて下から引っ張って開ける扉みたい」
「……こんなもの、よく判ったな……」
 感嘆の意を漏らしながらも躊躇なく突き進む彼女の後を追うと、これまた石造りの何の変哲もない小さな台所が置かれていた。周囲には水を蓄えたり保存食を入れる壺が置かれていたが、中身はどれも空だった。
 周囲を見回す。靴を脱ぎ土間を上がると囲炉裏や箪笥といった物は存在していたが、これらも空っぽだ。そして、正面扉は鎖が乱雑に巻き付いている。
 誰も居ついてはいない。だが、誰も住んでいなかった、というわけではなさそうだった。
「あまりにも綺麗過ぎる……」
「そうね……」
 空き家というには本当に何も無かった。砂や埃も積もっておらず、蠍が住み着いてもいない。
 明らかに最近まで出入りしていた形跡があった。
「立つ鳥は跡を濁さぬということか、カザン……」
 カザンの家。ヒカリとキャスティはその場に辿り着いていた。

+++++

 誰もが手紙をなぞるヒカリの指を追いかけたままの姿勢で止まり、口を開かなかった。
 ヒカリの言う物事が何を示すのか、少しずつではあるが乾いた土に水が染み込んでいくようにじわじわと浸透していく。
 砂漠の広がるヒノエウマ地方。その地域性に付随する要素は少ない水、少ない資源。起こるのは取り合い、小競り合い、潰し合い――勢力争い。雨が降らない時期であればあるほど血が流れたこの地域は、多くの不幸があった。
 ク国の城の書庫にあったという小柄な本の持ち主も、そのうちの一人だとキャスティは思っていた。
 本には今は滅んだウ国で育ったオボロという人間の足跡、戦の陰惨な実態が書かれていた。空腹と罹病に怯えて育ち、血の繋がらない誰の子かも判らない幼い女の子を拾い育て、戦を起こしてきたク国を呪ったことを。
 しかしこの人物の物語はそれだけに留まらなかった。彼には敢然とした行動力があった。ク国の主である国王の命を直接狙ったのだ。だが失敗に終わってしまい死の間際に立たされたオボロに、こともあろうか王は自分の元へ下らないかと引き入れた。そしてオボロはこれを受け入れる。
 だが続くのは戦の日々であり、オボロの精神は磨り減り、やがて一つの結論に辿り着く。
 生きることには何の意味もない。この世に明日など必要ない。
 そこで小柄な本に……手記に書かれたオボロの一代記は終わっていた。頁も後ろの半分が白紙だった。だからまるで遺文のようにキャスティの目には映ったのだ。薬師として過去に多くの人間の、時に緩やかな最期を看取ってきた自分にとっては、既視感を抱くのに十分な代物だった。もう生きている者の言葉ではない、と考えは傾いていった。
 しかし、もしこの人物が生きているのだとしたら――?
 ヒカリはこの手記とは別に今朝手にしたという手紙を、旅の仲間の前に広げた。筆者はク国の鷲とも呼ばれる軍師であり、ヒカリの旧友でもあるカザン。彼の手紙には不可解な点がいくつかあった。
 その中でも強烈に揺さぶってきた事実は、手紙の最後の『たとえ明日が暗闇であろうとも』という記述。文章からしてもいやに手紙から浮いていたが、更にこの筆跡がまるでオボロが書いたもののようであるという事実が場を震撼させた。
「なるほど、確かにこれは難解な謎かもしれませんね。ヒカリ、執拗に責めてしまってすみません」
 最初に口を開いたのは、先程までヒカリに旅立つ理由を問い質していたテメノスだった。ヒカリは彼の謝罪を受けて苦々しく首を振った。
「いや、ここまで来て明言できなかった俺に非がある」
「構いません。明言というのは確信を持った時にすべきものですよ」
「だが、考察は一人ですべきではない」口を挟んだのは八人の中でも一番の高齢であるオズバルドだ。「議論はまず自分の頭の中で多くを交わすのが第一条件。その次の段階で実行すべきは外部からの刺激を得ることだ。そうして得たものを煎じ詰めていくことで先人達も……」
「おいおいおい、せっかく良いこと言ってたのに段々変な方向に走らないでくれ」
 まだ話し足りないらしいオズバルドが複雑そうに息を漏らしたが、隣に座るパルテティオの方が先に口を開いた。
「ま、価値あるものも抱えてる荷物も、分け合うべきだと俺も思うぜ」
「ええ、私もそう思います」
「そうだよ~、じゃないとメシも美味しくなかったし」
「うんうん……って、そんなことないよ、美味しかったよ!?」
「でも最初みーんな食べるの止めてたじゃん。やっぱり嫌でしょ、そういうの」
「う……えっと……」
 遠慮なく言い放つオーシュットと控え目に語るアグネアに、何処となく空気が和らぐ。ヒカリ、テメノス、キャスティが二人に謝罪すると、それまで聞き手側に回っていたソローネが切り出し始めた。
「愚直に受け止めるなら、このオボロってのがカザンだってことかもしれない。もし仮にそうだとしてもさ、今ここを去る理由って何?」白く細い腕を組みながら、矢継ぎ早に続ける。そこにはソローネなりの静かに煮える感情が透けて見えた。「この本は戦ばっかなのに絶望したって書いてあるでしょ。でもヒカリの手助けして内乱を止めて、ヒカリが王になったらもう戦なんてしないなんてよく判るじゃん。それってなんかおかしくない?」
「俺もそいつには賛成だ。カザンさんはすげー頭良いんだったらさ、例えばだけどよ、」いつもの白手袋を外した角ばった指をぱちんと鳴らした。「テメノス達が捜してる奴らの素性を先に探ってんじゃねえのか? ほら……ほらあれだよ、敵を騙すには味方からってやつ」
「敵情視察をしてるってこと?」
 キャスティが訊ねると「それだ!」とパルテティオがこちらを指差しながら答えた。
「ヒカリは前国王の“暗黒”を打ち破った貴重な人間です。ですが一国の王を国から引き剥がすにはそれなりの理由が必要、その布石であると?」
「そうそう、それそれ」
「本当に解ってる?」
「当たり前だろ?」
 背の低い机の対角線上での応酬の間に、アグネアが「……黒き明日……暗闇……」手紙と手記をまじまじと見つめていた。「そっか。ヒカリくん、さっきテメノスさんに“暗黒”が関係あるんじゃないかって言われて微妙な反応だったのって、ここらへんの単語がそうじゃないかって思ったの?」
「あ、ああ……確信を得ているわけではないが……だがカザンがオボロのことを何かしらの形で知っているのは確かだ。この手記を見つけたそもそもはカザンが発端であるし、これは手掛かりだと言っても良い」
「ってことは、オボロさんが“暗黒”と繋がってる……?」
 アグネアが眉を潜めて放った疑問を、オズバルドが繋げる。
「……もしこのオボロが生きているのであれば……」
「まあ、少なくとも世界を平和に、皆を幸せに、とはしてくれないのは間違いないですね。何しろ子供かもしくは若年で敵国の王を直接討ちにいく魂胆の持ち主ですし」
「この本もなんか気味の悪いところで終わってるしね」
 どちらにせよ明るい話題とは言えないのは確かだった。ヒカリが皆に伝えるのを躊躇ったのも頷ける話ではある。
 だが、今一つ先程からヒカリの応答の歯切れが悪かった。昨日の戴冠式時点でも彼は悩みを抱えていたが、キャスティの目からはその時以上に『不安そう』に見えた。
「一つ確かなのは、」とはきはきとした口調で切り出したのはテメノスだ。「ここで考え込んでいても何も判らない、ということですね」
「手掛かりを探すと?」オズバルドは微動だにしないまま返す。
「ええ、まあそうです。その上で我々には確認すべきことがあります」
 先程ヒカリに詰問した時と同等の冷たい声を発した。
「皆さんは、この旅を続けますか?」
 日干し煉瓦を積み上げた涼やかな建物内の空気にぴりりと電撃が走った感覚がした。
 誰もがはっきりとした答えを出さずして、ここまでやってきた足並みを揃えた旅。
 しかし、元々それぞれの目的で自分達は旅に出ている。仇敵や真実を追うため、夢を叶えるため、何かを探すため……そして今はそれぞれが一区切りと言える段階を踏んでいる。
 始まりが存在するのなら、何処かに終わりが存在する。漠然と皆が考えていたことを、今ここで決断しなければならない。
 しかし重たく強張った雰囲気は一瞬で破られた。
「俺は行く」低く地を這うような渋い声が躊躇なく言った。「ハーヴェイの求めた第七の根源が関わっているというのなら俺が追うべきものだ」
「私も」キャスティの右隣から感情の薄いソローネの声が続いた。「元々行く宛なんて無いし、そこの探偵さんの助手しないといけないし」
 名指しされたテメノスはちらりと見やっただけで何も言わない。水が高い所から低い所へ流れるように当然のことだといったすまし顔で受け流している。
「そうだなあ……俺も行きてえんだけど」
 ソローネの斜め向かいに座るパルテティオが頭の上で手を組み天井を仰いでいる。
「あんたは社長業があるでしょ」
「まあな……あんま出てるとおやっさんにどやされそうではあるけどよ……うーん……」
 パルテティオが唸ったまま黙り込むと、一同の視線は彼の隣に座るアグネアに向かった。一方で彼女自身は萎縮した様子で丸く愛らしい目を泳がせている。
「あ、あたしは……」言い淀み、沈黙の中をか細い声が針を通すように縫っていく。「……少し考えさせてもらってもいい?」
 優柔不断とも言える彼女の答えは納得のできるものだった。踊子であった母の背と夢を追いかけた彼女は、血生臭い話とは元々無縁だった。少なくとも、ヒカリやソローネのように生死を賭けた戦いをしてきた世界とは対極にいる。
「……余計な世話かもしれんが、」と殊勝に言い出したのは意外にもオズバルドだった。「俺も気持ちが半端になるのなら同道すべきではないと考える」
「……うん。あたしもそう思うから」
 神妙に頷くアグネアの対面に座ったオーシュットが勢いよく挙手する。
「ほい、わたしもアグねえと同じく」こちらは特に臆することなく、尻尾をびたんと床板に打ち付けた。「島の皆がどうしてるか気になるしなあ」
 同調するようにオーシュットの背後でかぎ状の爪で土間に並べられた壺の口に留まっているマヒナが短く囀った。「だよねー」とオーシュットはそれに答えるように頷いた。
「ではアグネア君とオーシュットはまだ判らずで、パルテティオは厳しい、ということで宜しいですか?」
「いや、決めた。俺は決めたぜ」テメノスに半ば被せてパルテティオが奮起した。「むしろ九割五分くらい付いていく覚悟を決めた」
「そんなので良いんですか、あなたの立場で……」
「へーきだよ。元々さ、社長としてバリバリに動くのは旅を終えてからつってたわけだし、ちょーーっと延長したって言えば良いだけだ。おやっさんなら俺のことよく解ってるからな、許してくれる。っつーかよ、こうしてあちこち回ってんのは人材集めも兼ねてるんだぜ。ついてっても問題ねーだろ?」
 あまりに破天荒なパルテティオの舌尖ぶりに言葉を失っていたが、「なんか、あんちゃんって感じの答えだな」オーシュットが陽気に笑い、釣られて皆も笑った。この場にいる仲間達はそんな彼の邁進ぶりに幾度となく助けられたのも事実だ。
「そーか? へへ」褒められてるのだと素直に受け取ったパルテティオがそれぞれの視線を自信ありげに受け止め、それからこちらと目が合った。「後は……キャスティ、お前さんはどーすんだ?」
 周囲を改めて見回す。自分以外は既に意思表示を終え、否応にも自分が答えるべき時が
やってきた。
「私は……」
 言いかけて、喉に声が張り付いた。首を少し隣へ向けると、正座のせいで立っている時よりも高いところにあるヒカリの切れ長な琥珀の瞳が様々な感情を乗せてキャスティを映していた。彼とこの砂漠地域で初めて出会った日ですら、彼の描く剣筋のように真っ直ぐな言葉をぶつけて前へ進む力をくれたヒカリも、今この場では多くを悩み、キャスティの隣に座っている。
 昨日ヒカリと約束した、エイル薬師団の再建は今でも強く夢に見る。マレーヤ達と育てた樹は一度枯れてしまったが、自分の存在と彼女達の想いという形で土壌はまだ残っている。そこに樹を植え直し、何本もの枝となり花を咲かせ次の種を生み、苦しんでいる誰かの手を取ることに繋がっていく、そんな循環を作れればと思っている。その行動は早ければ早いほど良い。植物が育つには、相応の水と時間が必要なのだ。
 きっと、その方が良い。
 だから。
「……私は、」
「――すみません、キャスティ」喉元から言葉が零れ落ちる前に、強引に堰き止める声があった。先程の鋭鋒は微塵も無く、普段通りの親身で穏やかな声音で。「あなたが決断する前に、一つ伝えたいことがあります」
「……私に?」
「ええ。これから言う内容が後押しになるのか後ろ髪を引くことになるのかは判りませんが……」長い睫毛の乗った瞼が一度閉じられる。再度開いた時には、鈍い光が……異端審問をしている時の鈍く重たい光が宿っていた。「今回の件、キャスティも無関係では無いかもしれません。ヒカリのことではありません。あなた自身の問題で、です」
「テメノス……!」
 咄嗟にヒカリが咎める。キャスティも含めて皆の意識がヒカリに集中した。ヒカリは歯噛みをし、後を続けることはしなかった。
「やはりあなたは気付いていたのですね」
 そうヒカリに言うテメノスの顔は、心持ち憂色が浮かんでいた。
「一体どういうこと……?」
 再度ヒカリを仰ぎ見ると、彼は仲間の輪の外に視線を逸らしている。
 今回の件、ヒカリとの間でなら思い当たる節があるが、自分とカザン、ましてやオボロとの関係性は無いに等しい。テメノスの言った意味もヒカリの態度が明らかに変わったのも、とんと見当がつかない。他の者も同じようで、「ねえ、何の話なの?」とオーシュットも口を尖らせている。
 当然と言うべきか、「ユリイカ」一番に反応したのは石像のように固まっていたオズバルドだった。
「生きることに意味はない……そう言ったな、あの男は」
 あの男。
 ……最初は何を言っているのか解らなかった。オズバルドの言うあの男とは誰なのかと逸るばかりで、握った手にじんわりと汗が浮かんだ。
 生きることに意味はない。その言葉はオボロの手記に確かに記されていた。
 この世に苦痛を生み続ける明日は要らないと、世界への呪いとも言えるようなオボロの書いた手記。黒く、昏く、それは薬師の、明日に希望を持ち続ける信条とは真逆の――
「あ……」
 心臓を貫かれたら衝撃はこの程度かもしれない、と頭の片隅で冷静に考えた。きっとそれは今みたいに急激な興奮状態に脳が反応し、痛覚を麻痺させてくる防衛本能のようなもので。
 同じことを言っていた男を、確かにキャスティはよく知っていた。
『団長……』
 綿のように柔らかな乳白色の髪を持ち、その印象に全く狂いの無い穏やかな青年だった。薬師として力不足で救えなかった妹がいたから、こんな苦しい思いをする人をこれ以上増やしたくないと日々励んでいた。底無しの優しさと正義感に溢れて……何処か危うさすらあるくらいだった。
 その青年が、何かを境に変わった。
『苦しみってなんだと思いますか?』
 顔を鳥の嘴を模した仮面で隠し、身体を黒い布で覆い、世話になっていた村人を、そしてかつての仲間達を濁った雨で殺めた――
『生きること、ですよ』
「まさか、トルーソーっ……!?」
 握り締めた真っ青な拳が、衝動的に机を叩いていた。びくりとオーシュットとアグネアが身体を震わせる。「あ、その……」
「キャスティ。大丈夫、謝らなくても良いよ」右隣に座るソローネが、机の上で震えるこちらの手を覆うようにそっと置いた。ソローネの手も決して暖かいわけでは無かったが、血の気の引いた手には十分過ぎる程安心感を覚えた。逆にテメノスに対しては感情を削ぎ落として、「ねえ探偵さん、それは何か確信があって言ってる?」
 殺気とも言えるナイフの刃のような気配を受け止めて、テメノスは答える。
「いいえ。言ったじゃないですか、『かもしれない』と。もちろん全て繋がっているかなんて判りません、全く無関係な話かもしれない。私は無責任なことを言っているかもしれません。ですが糸口が零と一では意味が異なる。一には……可能性がある」
 前を向き歩き続けながらも、ずっと後悔はキャスティの根底にあった。
 彼は誰よりも優しく温かな心を持っていた、薬師としての腕の幼いところは隠しきれなかったが、それ以上に彼には素質があった。薬師団の仲間も、何より自分も、地面を這っていた芋虫が蛹となり蝶になり羽ばたくのを疑わなかった。
 彼の考えを豹変させたきっかけを、キャスティは彼との対峙を終えても尚、掴めずにいる。
 もしそのきっかけを、知ることができるのだとしたら。
「……ごめんなさい、少し考えさせて」
 今すぐに状況を呑み込むには、考えるべきことが多過ぎた。感情、言葉、何もかもが胸の中で定まらない。
「……解りました」テメノスは一度咳払いをし、改めて皆を見やって声を張り上げた。「では今すぐに発つ者がいらっしゃらないので離脱しない前提で話を進めますが……私はもう何日かク国に逗留すべきだと思います」


 その家は本当に、『なんにも無い』という言葉が当て嵌まった。
 仮にここが新居だとしたらこう映るのだろうかとも思ったが、空の棚や壺が置かれ、土間には辛うじて砂が残り、囲炉裏と呼ばれる床を切り抜いた火を炊くための炉の中には細かな灰が残っている様は、人がいたことを示している。
 キャスティのかつての仲間が事件を引き起こした廃村に並ぶ家々とはまた違った閑寂さが支配していた。
「立つ鳥は跡を濁さぬということか、カザン……」
 後から追いかけてきたヒカリが空っぽの棚を見下ろし茫然と呟いた。ヒカリは顔を隠す、謂わばお忍びのスタイルでここまで来たので、第一に羽織っていた樺茶色の日除けのマントを脱ぎ、三和土の上に置いた。下ろしっぱなしの直毛の髪が開放され、一本ずつ従順にヒカリの肩を象る。
 ク国の鷲とも呼ばれる名軍師の家は、意外にも小さな家が雑多に建ち並ぶ場所に存在していた。それも周囲の家となんら変わりない、普通の家。城下でも城からやや離れた所にあるからか一度焼かれたらしい目抜通り付近とは異なり、内乱の物理的な傷痕は殆ど無いようだった。
 朝の話し合いの最後にテメノスはク国で情報を集めるべきだと提案し、仲間もそれに賛成した。それぞれ二人一組となって、キャスティはまずヒカリの城の書庫への案内に随行した。テメノスとオズバルド、そして梟のマヒナを置いていった後、ヤマ大臣というオズバルドと同い年くらいの男と出会い、ヒカリが試しにカザンの家を訊ねると、案外と呆気なく答えは返ってきた。昔一度だけ酔い潰れた時に仕方なく連れられたことがあるらしく、それも行きつけの酒屋の裏手だったせいで印象に残っていたとのことだった。
 ヒカリの横に並び立ち棚の中身をしゃがんだりしながら確認するが、奥に張り付けた木の板しか見えない。
「ここにカザンさんと妹さんが住んでいらしたのかしら。それにしては綺麗で……何もないわ……」
 来る途中でヒカリからカザンの家族構成について聞いていた。両親はおらず、妹がいる。奇しくもオボロと同じ内容だった。
 ヒカリも別の段の木の板に目を凝らしながら答えた。
「カザンは三年この国を離れていた。妹君も同じ可能性はある」
「妹さんもこの国を離れていたと?」
「ああ。三年ずっと……ではないだろうがな。時折戻ってはいたのだろう」ヒカリは首肯する。この家から受ける印象はキャスティと大きく変わらないようだった。「戦時下は判らぬが、少なくとも昨日の酒は表の酒屋の物だ」
「昨日?」
 昨日、カザンとヒカリが話した時に何か聞いていたのだろうか。復唱して訊ねると、思いもよらない事実がヒカリの口から飛び出した。
「ああ、共に飲んだ時に妹に会ったと言っていた。その時にカザンに妹がいると初めて聞いた」
「え、初めて? そんなこと……」
「ああ……」ヒカリも今初めて話したのかと気の抜けた声を漏らした。「カザンは自分をあまり語りたがらない男だった。普段からあの調子だ、解るだろう。それに父に重用されていたから疑問を持つことなどまず無かった」
 意外だった。旅立って真っ先に頼ったカザンの話を幾度とヒカリの口から聞いてきたし幼い頃から交遊があったと話していたので、てっきり家族関係程度は熟知していると思っていた。
 それを伝えるとヒカリはそういうものか、と補説する。
「元々ク国は実力主義なところがある。その最たる例がムゲンであったが……父も戦をしていた頃は家柄よりも実力を重んじて挙用を行っていた。確かに師や知識を持てる裕福な家が階級が高くなるのは否定はできん、メイ家のような名の知れた家は既にこの国に五十ある。だが、実際に戦に立つ者に家柄などは飾りであったし、俺もそう思っていた」
 それでも自分の家族や家庭が大事なのは当たり前で、ヒカリの親友リツも自分と自分の家を必死に売り込んでいた。だから一切そういう行為をしないカザンはこの国では良くも悪くも浮いていたのだという。
「あやつの識見は天性で、肝玉は……環境のせいだろうな」
 棚を一段ずつ丁寧に見ても、その裏を覗き込んでも何も見つからなかった。壺の中も、囲炉裏の灰の中にすらも手を突っ込んでみたが(ヒカリが羽織っていた日除けのマントを手袋代わりにして)、砂漠の風に乗ったら一瞬で霧散しそうな細かい灰がマントの縫い目の隙間に入り込むか、零れ落ちるだけだった。
 互いに手を動かし続けたものの、結局何の実入りも無いまま時だけが過ぎていった。昼は熱く夜は冷える砂漠の外気を遮断するために家は建具の多くが控え目に作られているため、ともすれば時の流れを忘れてしまいそうになる。小ぶりの窓から外を覗き見ると一面に広がる薄い色味の空のてっぺんに太陽が辿り着いていた。
「何も……見つからなかったわね」
「こういうところでは不始末はせぬ男だ。徹底している」
 火のついていない囲炉裏に座り込み、ヒカリはかき回した灰を均していた。木製の床にぽっかりとくり抜かれた火の灯っていない囲炉裏が、今の彼の心情を表しているような気がした。
 キャスティもヒカリの斜め前に座り込み、肩から提げた鞄を自分の背後に置く。ヒカリは相変わらず手元の作業に没頭している。
 彼の意味を為さない作業を眺めながら、キャスティは口を開いていた。
「ヒカリ君。私も……真っ先にパルテティオが言っていたことを考えたの」
 ヒカリは手も止めず、視線を下ろしたままだった。カザンはヒカリ達よりも早く“暗黒”に辿り着き、敵情視察をしているのだろうということに、ヒカリはあまり納得がいっていないように見えた。
「何より……あなたとカザンさんの関係性を考えたらそれが一番自然だって思うもの。でもヒカリ君は違うって思ってる。それはどうして?」
 斜め前から見るヒカリの表情は、ただただ無だった。ぱりっと立った赤色のスタンドカラーの襟の隙間から見える喉仏が一度上下し、ヒカリは囲炉裏を見下ろしたまま口を開く。
「違う……と思っているわけではない。俺はカザンを信じている」
 頑なに言い張るが彼の鈍い所作から納得なんて到底できなかった。キャスティは重ねて問うた。
「では何故? あなたは何に悩んでいるの? 何に不安を抱いているの?」
 畳み掛けるとヒカリは気まずそうにこちらに一瞥だけして、胸元に入れた物を確かめる素振りをした。
「あの手紙に……まだ何かあるの?」
 ヒカリは少しの間を空けて小さく頷き、噤んでいた口を押し開けた。
「以前、キャスティにはクレストランドでカザンの話はしたな」
「ええ、それにク国の軍師の手腕も見させてもらった」
 ヒカリと出会ってまだそう長くはない時、ヒカリはクレストランド地方にある学者の都モンテワイズを訪ねた。三年前、戦を手放したク国から発った軍師が滞在を決めた土地だったのだが、品位を謳われている都とは裏腹に、地下には命を犠牲に成立している闘技場があったのだ。カザンは出会い頭に再会したばかりのヒカリを闘技場の舞台に追いやり、彼の剣の腕前に賭け続けて興行主を破産させ、血に酔いしれる闘技場を解放させた。今朝ヒカリが言っていたカザンの置いた三十億リーフという大金も、その時にカザンが手にした金のはずだ。
「敵を欺くにはまず味方から……でなければ編み込んだ無数の糸からほつれが生まれ全て水泡に帰するとよく言っていた。だからカザンとの付き合いには必ず嘘を勘定しているし、実際モンテワイズでも俺はあやつの駒にさせられたからな、鷲の名は錆びついておらんと思ったものだ」
 胸元に入れられていた折り畳まれた一枚の紙をヒカリは広げ、
「重ねて言うがパルテティオが言ったことは俺も真っ先に考えたし疑っているわけではない。だが……あの場では言わなかったが、実はこの文にもう一つ問題がある」
 囲炉裏の一角に広げられた紙が置かれた。紙は伸ばされているものの折り目だらけで絶妙に見難いため身体を引き摺り、キャスティはヒカリの傍に寄った。
 彼は今朝、三つの問題を提示した。一つ目はカザンが何も告げずに国を出たこと。二つ目は三十億リーフという大金が『餞別』という名目で添えられていたこと。三つ目は最後の一文がオボロの筆跡と同じこと。どれもがまるでヒカリを煽り、旅立ちを誘導しているように感じた。
 この上、更にヒカリを不安にさせる要素があるというのか。
「この差出人」ヒカリの指先は手紙の最下部を指し示した。「いつもならク国の鷲、軍師といった立場を添えていたのだ」
 ヒカリの示した所にはカザン、と簡素に一人の男の名前だけが書かれていた。
「もう、戻って来ぬという意味なのかと……考えてしまった」
 そこまで言われて、キャスティの喉元で突っかかっていた疑問がようやく流れ落ちた。自分よりも遥かに連綿とした付き合いを持つヒカリだからこそ辿り着いた微温的な懐疑の念が、彼を悲観的にさせているのだと。
 ヒカリはこれまで戦で数えきれない知人を失ってきた。内乱を終結させた奪還戦の時ですら、兄の元で将軍の立場となった親友と交わらない道の決着をつけてきたばかりで、あれから数日しか経っていない。最後まで共に歩く選択があることを信じていた彼の心に残った傷害の膿は、まだ乾いていない。
「……それで不安、なのね。色々な、それこそ最悪な可能性を考えちゃって……」
 カザンとオボロの間に何があったのかは判らない。だが、この国が一歩を踏み出さねばならないこの時に、カザンが何かしらの強い決意を持って国を出たことは推察できる。その中身がなんであれ、ヒカリにとって辛い事実が待っているのかもしれない……それがこの手紙の中にある四つ目の問題なのだ。
「でもヒカリ君……もし最悪を考えたとして……だったら何故カザンさんは手紙なんて残したのかしら。黙って出ていくことだってできたはずよ」キャスティは息を継ぎ続ける。「あなたの助けが必要だから、あなたを頼ってこうして手紙を残したのだと、私はそう思うわ。ヒカリ君、考えることと迷うことは違うのよ」
 本心から彼の不吉な憂苦を否定する。
 しかしヒカリは拳を握り締めたまま、振り絞るように首を横に振った。
「俺は……キャスティ、俺は迷っておらん……俺はカザンを信じている。だからそれはもう、良いのだ」
 言葉の先を拒絶されるように繰り返し言われ、キャスティは二の句を失ってしまう。
 じゃあどうしてそんな泣きそうにしているのか。肩を落とし目を伏せているのか。首元で立ったスタンドカラーに隠れたところで窮屈に口を結び、元々黄色に近い肌を今は青くしているのだろうか。
 そこまで考えて、この家の床や囲炉裏しか映していない瞳を見て、キャスティは一つの答えに思い至った。彼が今悩んでるのはカザンと彼自身のことではないのだと。
 キャスティはそっと目を閉じた。
 ……彼が責任を感じることではないのに。
 ヒカリはライにも言っていた。自分の信じる道だけは譲ってはならないと。昨日道を定めようとしていたキャスティの背中を押したからこそ、キャスティに対して心を痛めているのだろう。新しく現れた道は望んだ道ではないのだろうと彼の中では受け取られているのだ……何より、彼が辛い選択をしているはずだから、きっとキャスティだけでも、なんて思ってくれている。
 目を開くと、ヒカリは顔にかかっていた髪の毛を払うように一度首を大きく振って立ち上がり始めようとしている。
「キャスティ、もうここには何も無いよう――」
 キャスティは一度お腹に力を込めてから……手を伸ばしてその頬を、ヒカリの頬を渾身を込めて平手で両側から挟み込んだ。端麗な顔立ちが饅頭のように不恰好にひしゃげた。
「ひゃすひぃ?」
「こっちを見なさい、ヒカリ君」
 声の下から、キャスティはこちらに強引に顔を向けさせたヒカリの唇に自分の唇を押し付けた。互いの鼻先が擦り、そして彼の艶やかな黒髪と睫毛に隠れていた琥珀の瞳が冠絶な円を作りだし、キャスティを描いている。
 住宅街とも言うべき場所に存在するこの家は静かで赤茶けた煉瓦の向こうから物音は聞こえてこず、聴覚が欠けたと錯覚する程に世界から音が消えた。
 刹那のような、それでいて時が止まったような、不可思議な時間感覚に囚われてしまうが、その最中でヒカリの腕が動き肩から引き剥がされる。知らずに止めていた呼吸を大きく肩からしたのでヒカリの両手も合わせて上下した。
「きゃ、キャスティ……! きゅ、急には……」
「朝の話し合いの後から目を見て話してくれないわ」
 ヒカリの抗議の声を明確に遮ると、眉を寄せて彼はまた目を逸らそうとする。「ヒカリ君!」腹から息を吐き出し、声を張り上げた。彼のらしくもなく曲がりかけた背中がびくりと震えた。
「お願い、思ってることがあるなら話してちょうだい」
「キャスティ、俺は……っ」肩を掴んだ手に一瞬力が籠り、それからゆっくりと手放される。「……そなたは……もう決めているのだな」
 自分がどのような表情をしているかは判らないが、少なくとも今のヒカリよりかは胸を張っているつもりだった。
 ヒカリの指摘通りテメノスが話した瞬間にはごちゃごちゃになりそうだった頭の中は、領主の館を出る頃には既に整理はついていた。
「俺はそなたを応援していると言ったのに、巻き込んでしまった……」
 内外的な衝撃で瞬間的に紅潮した頬そのまま、ヒカリはぽつりと声を落とした。彼の荒く吐いた息が乾ききった部屋の空気を湿らせる。
 話せる時に話しておかないと後悔する。そう言った昨日のソローネの言葉が頭を過った。だとしたらその分岐点は今だ。
「そうね、もしトルーソーが関係なかったら私は昨日の約束を果たそうと……果たすべきだと考えてた。手伝いたい気持ちがなかったわけではないけれど、互いのことを考えたらきっとそうすべきなんだって」
 かつて薬師団を従えていたキャスティ・フローレンツという人間と、仲間の志。一つの事件で途切れてしまった道を紡いでいくことは、マレーヤ達のためだけでなく生き残った自分のためでもあった。病や怪我に苦しむ人達を一人でも多く救いたいという気持ちは、その色形を鮮やかに保ったままキャスティの奥底で燻り続けている。
 それでもその感情を覆ってしまう程に、無視できない想いがある。
 キャスティは自分の背後に置いた鞄を漁り、記憶を失う前に使っていた医療日誌を取り出した。この日誌も、オボロの手記と同じく全ての頁が埋まることなくその役目を閉じている。サイの町やウィンターブルームの地名以外は赤黒い血に染まってしまい読み取れなくなっているこの日誌を手離すことは、きっと生涯無いのだろう。これは想い出で、戒めでもある。
「私が一番怖いのはね、無知であること」日誌を見つめたまま、目だけでヒカリの顔を見る。両膝に閉じた拳を乗せたまま、同じくキャスティの持つ日誌に視線を彷徨わせていた。「記憶を失った時にずっと思ってたの。何よりもわからないことが、これほどに怖いことなのかって」
 かつて人を無差別に殺めていたかもしれないという事実に、決して否定も肯定もできない。人を救うための知識を持ちながら、感情を持ちながら、背後に落ちる陰は足元から伸び続けて離れない。それがとても怖かった。
「でもね、記憶が戻っても考えは変わらなかった。今だって、なんなら昔からも変わってないわ。薬師は立ち止まるよりも前に……無知であることが怖いのよ。立ち止まる前に歩きだすことすらできないんだもの。何度も、何度も経験した。自分の知識不足で助けられなかった命を何度も見てきた。その度に自分の無力さに嘆いて必死に勉強したわ」
 幼い頃に読んだ絵本の中の薬師は、誰でも救える救世主のような存在だった。輝きに惹かれるように小さかったキャスティも薬師を目指した。
 だが実際には薬師は救世主でも神でもない。救いきれなかった命に対して罵倒を浴びせられたことだって何度もあった。一人でできることには限界があるのだと、それを教えてくれたのは何より薬師団の皆なのだ。
「トルーソーが他人を思いやる心優しい人だったのを私はよく知ってる。それを知ってるから……だから、彼が変わった理由を知りたいの。ヒカリ君は心配していたのよね、それが過去に留まる行為じゃないかって」
「……ああ」
「でもこれは未来に希望を持つために必要なの。私が自分で選んだのよ。だから、あなたに巻き込まれたなんて私は微塵も思っていない。それにあなたも昨晩は気付いてなかったのでしょう? 私ですら気付いてなかったんだから仕方のないことだわ。だから……心配しないで」
 彼や自分だけではない、これまでの旅はそれぞれがそれぞれの目的をもっていた。小さなきっかけであれど同道を始め、奇妙なことに一緒に歩み進めてきたのである。だから別れもそれぞれの自由であるべきだと、テメノスもああいう一人一人への問いかけにしたのだ。互いに世話になったからとなあなあで続けるのではなく、あくまでも自分の意思を持てというその意向にはキャスティも同意見だ。
「……キャスティ、もしも……」そこまで殆ど喋らなかったヒカリの声は少し掠れていた。「もしもトルーソーが言っていた男に会うことが叶ったら、キャスティはどうするのだ?」
「うーん、そうね。その時は……」
 日誌を囲炉裏の傍らに置いて、キャスティは拳を握る。程々の速度でヒカリの耳元に向かって肘を伸ばして拳を突く。肩を撫でるように落ちているヒカリの黒髪がほんの僅かにそよいだ。
「私の大切な人達を苦しませたんだから、相応の責任は取ってもらわないとね。どんな理由でも他人を実験体のように扱って歪めてしまうなんて、私は許せない」
 声音を低くして決意を新たにしてみたが、キャスティの中からは不思議と恨みのような仄暗い感情は生まれなかった。ただただ、理由が知りたい。無知である自分を許したくはない。それがきっと、薬師という生き物なのかもしれない。
 ヒカリは眉を寄せて伏せていたが薬を吐き出すかのように呻くと、耳元にあるキャスティの拳を掌で受け止めた。
「すまない、キャスティ。俺が余計な気を回してしまっていたようだ」
「昨日の今日だもの。真逆のことを言うのに躊躇うのも無理ないわ」
「そのこともあるが……どうも守っているつもりで守られているというか……」さっきよりも更に頬を赤くして口の中でもごもごと言いかけている。「あらあら」年下の男の可愛らしい態度にキャスティは真面目な会話も余所に心がぽかぽかと温まってしまう。
 誤魔化すように大きな咳払いをして顔を上げると、決して明るくは無い家の中ではあったがヒカリの琥珀の瞳に爛々とした光が点じ始めていた。
「俺にはまだ何が正しいかは判らん。だが、覚悟は決まった。このような手立てで俺を国から遠ざけたことに対して、俺もあやつに何か言わないと気が済まぬ。そしてオボロと手記に書かれた男についてを吐いてもらって、キャスティにそやつへ鉄拳制裁する機会を与えてやらねば」
「鉄拳制裁って」ヒカリの口から出ないような言葉に閉口してしまったが、「まあ、それくらい荒療治の方が良いのかもね」とキャスティも自覚できる程度には不敵に笑った。
 伸ばした手が不意に引っ張られる。磁石のように引き寄せられ、ぽすっと顔が胸元に収まった。「ヒカリ君……?」「……キャスティ、頭は動かしてくれるな」キャスティが抗議するよりも早く、ヒカリが呟いた。建具の小さくあまり明かりの射さない家の中で、急に接近されるとは思わなかった。先程の頬っぺただったりの仕返しなのだろうかと思いつつも、彼の体温に安心している自分がいた。
 思えばここ数日、ヒカリの兄との決着後からあまり顔を合わせてすらなかった。内乱を終わらせて戴冠式までヒカリは戦の沈静化や宣撫を矢面に立って進めていたからだ。たかが数日だというのにひどく憧憬を覚えるのは、時のせいなのか、昨日の雄姿ある王の出で立ちを見たせいなのか、それともいつもと違うにおいがするせいなのか……普段旅の中で使っていた海藻灰の礒の香りがする石鹸とは違う、やや甘いにおいが服に染み付いているのも、寂寥を誘い込んでいた。
「よし、良いぞ」
 許しが出たのでヒカリの胸元から離れると、左耳が少し重かった。先程から感じていたこそばゆさといい、既視感を覚えるのは気のせいではないのかもしれない。
 ヒカリが懐刀を抜いて刃にキャスティを映した。普段から丁寧に研がれた刀身に、歪みなく自分の顔が切り出されて映っている。目元と、左耳。水色の瞳と似て非なる色相を持つ菫色の宝石が、キャスティの耳元を飾っていた。
「これ、昨日の……?」
「ああ、キャスティの耳についていた耳飾りだ。キャスティはこの宝石の名を?」
 首を振ると、ヒカリがイヤリングを軽く揺らした。すると刀身に映った宝石が色合いが喪失、したかと思ったら菫色が戻ってくる。昨日は鏡も一瞬しか見なかったから気付かなかったが随分と不思議な光り方をする石のようだ。
「これは菫青石……アイオライトと言って光の当たる度合いによって色が変わる石で、港町で船を出した時、太陽に翳して方位を確認するのに使われたこともあったそうだ。その効用から呼び名は、道標の石」
 オーバル形に削られた小指の頭ほどのサイズの、当たった光次第で青にも灰にも紫にも黄にも、透明にも見える宝石。
 突如暗闇に閉ざされた先の見えない未来を歩まなければいけなくなった自分達には、確かに相応しい物なのかもしれない。
「――また、共に行ってくれるか、旅に」
「……ええ、頼りにしてるわ。よろしくお願いね」
 屈折していない彼の視線を受け止めて、キャスティは強く頷いた。左耳のイヤリングがキャスティの頭に従って小さく揺れる。耳元の宝石は今はどんな色で彼の瞳に映っているのだろう。きっと明るく澄んだ色だと良いのだけれど。
 しかし、そこまで考えて頭の中にふわりと疑問が浮かんだ。昨日がきっかけでヒカリは拾ってきたのだろうが、一体いつから目を付けていたのか。ヒカリは満足そうに懐刀を鞘に戻すのを、キャスティはおもむろに睨みつけた。
「……まさかこれを探して朝遅くなったとかないわよね?」
「そ、それは誤解だ。昨晩に城の者に頼んでいてな……俺は女子の化粧室に入っていないぞ……」
 先程までの流暢な動きは何処へやら、板のように身体を硬直させてしまった。またしても可愛らしい反応に相好を崩した。
「ふふ、それくらい訊かなくても判るわよ、ヒカリ君。あなたは真面目だから。酒が入ると余計にね」
「……意地が悪い。そなたこそソローネに毒されてるのではないか?」
「そうかも」
 日干し煉瓦から切り抜かれた窓より入り込む小さな光源しかない仄暗い部屋の中で一しきり笑いあった後、
「……心配をかけてしまったな」
「それを言うなら私もよ。あなたの言葉が聞けて良かった」
「ありがとう、キャスティ」
 もう一度ぽすんとヒカリの腕の中に収まる。きめ細かく編み込まれた布が頬を柔らかく撫で、その向こうから人体が発する熱と一定間隔で心臓が血を送る音。
「……私からも、ありがとう」
「ああ」
 顔を上げるとこの地方の砂漠を彷彿とさせる琥珀の瞳がキャスティを見下ろしている。
 二人はどちらともなく顔を近付け唇を重ね合わせた。

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