ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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「でも我々は生きる事を赦されている……

 放任主義っていうのは

 案外と悪いものじゃないのかもしれない」





 ドラガリ小説5本目。

 ユリウスとベリーナがメインで出てくるお話です。カップリングではありません。
 一部のキャラスト(アルベール、ユリウス、ベリーナ)のネタバレを含みます。

 長過ぎて1記事に収まんねえよって怒られたので前後編に分かれてます。

 それでは、「紅鏡-empty rhapsody-」です。





紅鏡-empty rhapsody-


 もし私がこれからの生き方を説いたら、聞いているあなたは笑うだろうか。
 己だけだった世界を広げてくれたあなたは、喜んでくれるだろうか。
 日の光に目を細めて歩き出す、私の姿を。

+++++

 地の底を這う慟哭のような咆哮が響き渡った。
 木陰に涼もうと止めかけていた足を進め森を抜けると、晴天の下でその光景は広がっていた。
 土煙の舞った視界を凝らして見ると、丘の上で一体の巨大なドラゴンが地に伏せて倒れていた。紅く、巨大な翅翼を擁する雄々しいドラゴンである……そのはずの生き物は、非常に歪な姿をしている。剣や魔法でも貫けぬ鱗を裂いて付き立っている金属の管、魔導管と呼ばれているものからは、異様な焦げたにおいのする黒煙が吐き出されていた。顔や四肢を覆う明らかに人工的な異物が装着されている――紛うことなきかのドラゴンは、アルベリア王国第一位王子の契約竜である焔竜だ。古にほとんど失われたとされている錬金術によってこの姿になったと聞いた事は、強く記憶に残っていた。
 その傍らに、一人のヒューマンが立っていた。後ろ姿は、端的に言ってしまうと小柄で、巨大な竜と比較すると余計にそう見える。身に纏った黒衣と銀色の髪の毛が涼やかな風に流されている様はまるで清廉な一枚の絵のようであったが、それは手に持った血濡れた短剣とすぐ傍で横たわっているドラゴンがいなければの話だ。
 女性、いや、少女とも言うべき人間一人が、あのアルベリア王家と契約しているドラゴンを破るなど、そう易々と行えるものではない。眼前に広がる光景は俄かには信じ難いものだった。
 遠目で観察しようかとも思ったが、どうやら少女が立ち去ろうとしているのが見て取れた。
 頭の中で組み立てていたいくつもの手探りのパターンを崩した。瞬時に意識を集中させ、己の手に力を込める。自分のマナを一点に込めて、一気に少女に向かって放つ。無防備な背中へと向かっていったマナの塊は、しかし彼女に傷を一つも付ける事無く散逸していった。
「まさか……!」
 自分の魔法の腕は決して優れたものとは言えないが、ヒューマン一人が身動ぎもせずに処理できるものでもないはずだ。
 何故なのかと思考を回し始めた瞬間に、身体の奥から痺れが走るような、嫌にはっきりとした何かを感じた。今ここにいるのは自分と、少女と、そして焔竜だけのはずだ。だがそれ以外の気配がする。正体こそ判らないが、形容し難い不快感を覚える。
 理解の追いつかない状況に身を投げるのはあまり得策では無かったが、今の攻撃でこちらの居場所は相手に知れてしまったろう、身を隠しても無駄だとユリウスは足を踏み出した。足元に落ちていた木の枝がぱきりと乾いた音を立てて折れた。
「ここで何をしていた?」
 自分にしか解らない程度の緊張を含んだ投げかけを、律儀に彼女は返してくれた。
「何を?」自分の問いに、彼女は一笑を混ぜて応答する。少年かと聞き間違えるような張りのある声だった。「まず人にものを尋ねる時は、自分から名乗ってからにした方が良いぜ、長髪のお兄さん」
「崇めるべきドラゴンを襲撃するような者にまで、律儀にする行為では無い……ね!」
 先程よりもマナの密度を高めて少女に飛ばす。少女の身体を貫く程度の衝撃があるはずの質量を持った力が、空を裂いていく。
 しかし、訪れたのは無音だった。何も起こらなかった。丘に咲く小さな花も空に浮かぶ白い雲も、彼女の白髪も、我関せず自然の風に流されているだけだ。
 さっきと同じだ。やはりそうだ、彼女はこちらの魔法を吸っている。そんな芸当が、普通の人間には出来るはずがない。
「おいおい、あわてんぼうなサンメテオールだって、プレゼントを渡す時は子供の名前を確認するもんじゃないのか?」
 ぞっとするほどの涼しい声音で少女は切り返す。同時に、先程まで感じていた身体の内からくる不快感が肥大化した。
「それとも、こいつみたいに理性が無いのか? お兄さん――」
 少女が踏み出した、そう思った時には、彼女は丘を駆け下りてほとんど目前に迫っていた。
 腰に差している短剣を反射的に逆手で引き抜き、その刃を受け止める。彼女の武器は同じく短剣……だからこそ、後手に回ってしまっても初撃は懐刀でなんとかなった。そこにあるのが殺意ならば悠長なことも言えなかったが、殺気よりも狩猟者の闘争心を遥かに強く感じた今の場合なら、この最初の一手の読みは正確だったようだ。骨にまで響く金属音と腕にのし掛かる力で、彼女の力量をはかる。
 彼女は、やはり近くで見るとまだ成人にも満たないように見えた。背格好はユリウスよりも一回り小さく、少々露出のある服からは褐色の肌が見えている。不敵に三日月型に歪めた口からはややヒューマンのものにしては長い犬歯が覗いていて、猫のような野性味を秘めた朱色の瞳も闇夜に浮かぶ月のように鈍く光っている。
「生憎と君みたいな野蛮な者よりは、理性を持ち合わせているつもりさ」
「へぇ、自惚れじゃ無いと良いな!」
 短剣にこめられていた力が抜けたかと思うと、左拳、次に右膝、左足が飛び込んでくる。これを全て小さな結界魔法を展開させて受け止めると、舌打ちしながら少女は数歩後ろへ飛びずさった。翻る服の裾になんて気にも留めていない様子である事に、ユリウスは対峙しつつも気が気ではない。
「やれやれ、とんだじゃじゃ馬なお嬢ちゃんだな……」
 こうして改めて正面から少女を見据えると、その姿は普通のヒューマンとは違う点があった。
 一つは左足。太腿から足首にかけて絡み着くように、黒光りする何かがある。先程、眼前にまで迫ってきた足は、はっきりと鱗に見えた。
 また、彼女の気配には奇怪な点はもう一つ、右腕だ。接近して、正体の判らない違和感というものを強く感じた。軽装な彼女にしてはその右腕から手首にかけて、重々しい装飾のついた篭手を装着しているのにも、どうにも納得がいかない。
 たかが短剣ぽっちで焔竜を倒せるとは思っていない。魔法を吸収したことも含めて彼女には見せていない何かが、恐らくそこにある。
 それは実に――興味がそそられる。
 その何かを引き出し勝利を得るには、相手から余裕を奪い、かつ、自分も奥の手を残しておかなければならない。
 しかし一考している刹那の間に、また少女は接近していた。疾風のような一撃が、まさしく心臓部に向かってくるところを、上半身を右へと捻ってかわす。その行動を読んでいたかのように竜鱗の絡み着いた左膝が鋭く右肩を叩いた。衝撃で右腕から、懐刀が零れ落ちてしまう。よろめいた身体に短剣が袈裟懸けに走るが、これもなんとか結界魔法を展開して受け止めた。力自体も、特筆して取り上げる程の強さではない。だからこそ焔竜を気絶させる程の何かの正体は気になる。
「くっ……!」
「どうした? 何故本気で来ない?」
 自分の奥の手を隠しながら戦うという考えは相手にどうやら気取られているらしく、楽しそうにしていた目からは笑みが消えていた。自分はそこそこ演技力はある方だと思っていたのだが、見た目通りの野性的な勘というやつなのだろうか。ともかく、歯軋りをしながら必死に抵抗しているように装うしかない。
「これが本気だとも、私は君みたいな獣ではないのだから」
「どうかな、」しかし少女は漏れ出る声を抑えきれないといったように、引きつった笑い声をあげた。「線引きを敷いて違うんだと言い聞かせているなら、さっさと訂正した方が良い」
 少女の顔が、吐息が聞こえる程目前へと迫る。
 朱色に染まった自分の顔と、目が合った。
「私と同じ眼をしてるぜ、お前」
 ああ、確かにその通りだ。爛々と光る彼女の瞳の中の自分もまた、赤黒い月を背負い、同じように物騒な光を湛えていた。この世の誰よりもこの泡沫の時間を愉しんでいる、そんな幼い子供の目だ。
 ユリウスが何か反応するよりも早く、少女は短剣を、そして身体を引く。均衡を保っていた力が消失して、何度か踏鞴を踏んでなんとか踏みとどまった。
「私が最強だ、ナンバーワンだ! 手加減で勝てるような相手じゃないこと、お望み通り証明してやるよ!」
 大仰に声を張り上げ、彼女は武器を投げ棄てた。何事かと考える間もなく、右手首を左手で抑えながら彼女は叫んだ。
「『服わざる伴侶』!」
 言下、それは起きた。
 彼女の中の何かが膨れ上がり、見えない無数の砂利が肌を叩いているように感じる。ひりつく空気が、平和な青空の下で爆発的に広がっていた。気を張っていないと意識が飛んでしまいそうな、この自然災害すら誘発しかねない力は、間違いない。
「くふふ……面白いな」
「沈めてやるよ、私を舐めた事を、あの世で後悔するんだな!」
 右腕から右掌に、圧縮された膨大なマナを感じた。それは対して策を講じなければ、文字通り自分は無になってしまうであろう物量。やらねばならない選択を迫られているのは自分というわけだ。相手の力の源も検討がついたし、自分も頃合いか。
「はぁ!!」
 少女が短剣を手にし駆けてきたあの初撃よりも、遥かに速度を持って塊が迫る。
 視界が闇に覆われ、激しい爆発音が炸裂し……ただ、自分に訪れたのはそれだけだった。
 はらり、と灼け落ちたのは自分の服や肌ではない。ユリウスを守るように何本もの紐状の突起が、触手とでも呼ぶべきものが地面から生えており、それらが攻撃を防いだのだった。先端は目鼻立ちがはっきりとしており、まるで傍で昏睡している焔竜の顔と似ているが、手足のない紐状の外貌は何度見ても実に異様なものだ。
 役割を終えた触手は唐突に色を失って風に流されていく。立ち込める煙の隙間から、勝利を確信している少女が嗤笑を浮かべていた。
 その表情が見れたのも、一瞬の事だ。更に伸びた触手が、少女の右腕の籠手に噛み付いた。瞬時に剥がそうと動いた左手にも別の触手が巻き付いた。いずれも、ユリウスの手首から生えた触手によるものだ。
 土煙の中を歩き、少女へと近付く。
「あまり動かない方が良い、四肢が千切れてしまうかもしれないからね」
 当然少女の足にも、地面から生えている同様の物体が絡みついていた。彼女の得意とするのは身体の身軽さ、そして身体に溜め込んだマナの一方向への発散、であれば肢体の自由を奪うだけでも戦闘力は大きく低下をするはずだ。
「おっと」
 マナの塊が飛んでくるが、力の入らない状態では威力は先程よりも大きく劣っているようだった。薄く結界を作り、落ちた自分の短剣を拾い鞘に仕舞いながら口を開く。
「君は確かに速い、その強みを活かした戦いも素晴らしいさ」大きく溜め息を吐き、苦笑した。「だが、残念ながら私の知り合いにも同じように速さをウリにしている剣士がいてね。ごっこ遊びから騎士団での訓練まで、散々付き合った身としては見慣れてしまっているのだよ」
 なるほど、右腕の籠手はやや特殊な機構を持っている。膨大なマナを露程も漏らさず耐え得る程の技術が備わっているが、様々な生命を感じる事からまともな方法で作った武装では無いようだ。
 右腕をまじまじと観察しているのを避けるように少女が動くが、篭手に噛み付いた触手がその腕を引っ張り出す。そんな応酬を数回程やったところで、少女は頭一つ下から嘲笑った。
「随分と、不格好で乱暴なペットを飼っているんだな」
「君だって似たようなものだろう? 見た目こそ人の形だが、正常じゃあないのは」
 見ているとどうやら篭手だけではない、少女の右腕からもドラゴンのマナが何かしらの形で封じ込められている。この強大な熱量を用いて戦うには、もちろん持ち主の精神力や体力も必要だが、それだけでは補えない程の、人間が負うには余りにも無謀なエネルギーが流れるようで、その為の制御の篭手だろう。
 彼女の篭手と右腕と、しかしこれ以上何を調べるにも手元には材料が無いため、一度城に戻らねばならない。焔竜の事だってある。
 さて、ここまで解ったは良いがこの少女をどうやって王子に突き出すか、等と考え始めた時だった。
「クク……あはは!」
 少女の身体が小刻みに揺れる。項垂れていて表情までは見えないため、彼女の意図が今一つ読めなかった。自分が出している触手に何かあったのかと訝しげに見たがそうではないようだ。
「お前、勘違いしてるよ」
 ひとりきり頤を解いて顔を上げた。こうして改めて見ると色立ちのいい褐色の肌は可憐な少女のものそのもので、凛とした朱色の双眸は胸元のアクセサリーと同様に艶がある。綺麗に飾り立てれば貴族の集まる晩餐会にも通じる程度に、端的に言ってしまえば美人な顔立ちだ。
 だがそれも、この不敵な笑みが無ければそう見える代物である。戦いの中でしか誇示出来ないものであれば、間違いなく優雅な世界とは無縁なものだ。
 そんな妖美な少女は、乱れた白髪の隙間から高らかに叫んだ。
「お前が出してるこれはドラゴンの力だろう? ならば何故お前の方が勝っていると言える? ならば条件は対等のはず……いや、私の方が優れている! 最強の私に敗北はない!」
 反射的に、距離を取って魔法を放った。先程は吸収されてしまったので意味があるとは思えなかったが、無抵抗ではより状況が悪くなるだけだという咄嗟の判断だった。
 実際に、ユリウスが発した攻撃は効いてなかった。だが今度は吸収されたわけでは無い、攻撃は確かに即発して、空間に亀裂を生んでいる。
 では何故彼女に当たらなかったのか、それは全て見切ったとばかりに、少女は攻撃を弾いていたからだ。
 いや、よく見ると弾いているわけではもなく、切り裂いているというのが正しかった。彼女が腕を振るうとマナが刃のように鋭利な形状を作っているようだった。大気に描かれる軌跡を、その軌跡が魔法を二つに割ったのを、ユリウスははっきりと目の当たりにした。
「面白い、アデルペインと同じくらい面白いぜお兄さん!」
「アデルペイン……? うぐ……っ!」
 唐突に彼女が見知った人物の名前を口にしたものなので幾ばくか反応が遅れてしまい、手の甲から赤い筋が滴る。自分が絡めた触手も無惨な切り口を持って全て地に落ちていた。
 アデルペインと言えば、《結社》という裏組織に人体改造された少年のことだ。左腕にドラゴンのものを接合されている少年の事を知っている、ドラゴンのマナを宿す少女となれば……。
 しかし今は考える暇などない、一度思考を停止させる。
 先程とは比べ物にならない、壮烈なマナが一体の怪物を成してユリウスに牙を向けている。
 自分が深淵の種と融合している状態であれば軽く受け止める事も可能であったかもしれないが、たられば話をしていても意味が無い。あれは既に砕けてしまって手元には無いのだ。あるのは、その残滓だけ。
「舞踏会がお望みなら、一緒に死ぬまで踊ってやるよ!」
 逃げる隙なんてもちろん無い、受け止めきれるかは五分五分。仮に少女が今放とうとしているエネルギーをあそこにいる焔竜に撃っていたとしたら、焔竜だって寝そべっているだけでは済まないはずの強大なマナの流れだ。彼女の言う最強とやらもひょっとすると言葉通りかもしれない。
 これほどの力を持っているのは見誤ったか。ならこちらも覚悟をするべきか。
 一秒、二秒……衝撃は来ない。集中のために全ての五感を切っていたので、実際彼女の異変に気付いたのは少し遅れてからだった。
「ぐ、うぅ……」
 絞り出すような呻き声と、灼けた空気に乗った乱れたマナが、感覚を取り戻し過敏になった神経に押し寄せてくる。
「ちっ……さっきのダメージが……ぐ、ぐオオオオああ!」
 右腕を抑えながら、少女が腰を折っていた。彼女から感じる重圧に異変があった。先程までは荒っぽくも抑圧されている……さながら大雨が降った後の大河のようであったマナが、今では嵐の大海のように出鱈目で、雄大な軍用船でも走錨してしまいそうなほどに荒れていた。
 ユリウスには、確信があった。すなわち、自分も経験したことのある事象。人間には到底扱えぬ、力の暴走だ。
 だとすれば何処かへ発散させてしまうか、その源を絶つかしかない。彼女が敵だとすれば息の根を止める選択肢もまだあるだろうが、先程の口にした名前を考えると恐らくそうではない。
 それと、確信めいた事はもう一つあった。
 かつてアルベールやユーディルと対峙した時、アルベールが自分を揺らがせた時のマナの乱れ方とも良く似ている。溢れだしそうな力が、無理に詰め込んで圧迫されている。
 彼女はこの暴走自体を止めようとしている。止むを得ないか、ユリウスは肩で大きく息を吐いた。
「お嬢ちゃん、その暴れん坊を私に撃ちたまえ。受け止めてあげよう」
「ぐぐぐ……な、なに、言って……!」
「君の言う通り、私も面白い身体をしているからね。多少の人間よりは丈夫だと思ってもらって構わないよ」こうして発言している間にも到底人間一人では抗えない奔流が渦を巻いている。いつ土崩瓦解するかが判らない。「ほら、早く!」
 身構えながら、少女を急かす。
 少女は咳込み、群小している草花に痰を落としながら、吠えた。
「ち、ちくしょう……丸焦げになっても……知らねえからなッ!!」
 決壊した黒とも白とも取れぬ光が、辺りを包み込んだ。

+++++

「聖城にいる者だと、最初に言ってくれれば良かったものを」
「ふん、先に勘違いして勝手に仕掛けてきたのはそっちだろう、喋る暇など無かった」
 改めて天蓋の向こうのソファに座り込む彼女に言葉を投げると、あっさりと言い返されてしまった。
 確かに早とちりした自分が悪い、が、より正確に言うならばその少しの早とちりと、過大な知的好奇心が沸き立ってしまったのが悪いわけだが、蒸し返しても仕方ないので従順になっておく。
「まあ、そうだね。それについては謝罪しよう、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんは気持ち悪い。私はベリーナだ」
「ふむ、解ったよベリーナ君」
「君も要らん」
 無数の穴の空いてしまった衣服を部屋の隅に投げ棄てる。育った環境上そこそこ身形を気にして生きてきた身としては、見繕った自慢の服が機能しなくなってしまうこの事態は避けたかった。なるべく種の力を限界まで使いたくはないのだが、今回はたったこれだけで命が助かったのだから安いものだ。
 ベリーナと名乗った少女が何故アルベリア第一位王子の契約竜と対峙していたのかも、聖城にあるユリウスの部屋に辿り着く間に聞くことになった。曰く、あの焔竜マーズはその主により受けた錬金術による改造のせいで思考能力や感性を失い、また定期的に猛り狂う興奮状態を発散しなければならないらしく、今回はベリーナがその役に抜擢されたという話が、自分の見た光景の顛末というわけだった。マーズはまだあの丘で伸びているが、後でレオニードが直々に迎えに行くらしいという話も聞いた。
 全く持って、最悪の鉢合わせだった。いや、興味深いものを見られたという意味では嬉しい誤算だった、と言いたいところではある。しかしお互い満身創痍であるし、自分の服はこのまま焼却炉行きだろうしで、安易に口にするのは憚られた。
「お前だって、ここにいるところなんて見たことが無かった」
「私は、いつも聖城にいるわけではないからね」
 適当に部屋着に着替え終えると、部屋に置かれた棚から、ユリウスは粉薬の入った布袋を取り出す。
「ほら、この薬でも飲みたまえ。少しはマナを使った怠さが抜けるはずだ」
「必要ない、そんなもん食って寝てれば治る」
 何やらつっけんどんにされると野良猫でも拾ってきた気分になってくる。差し出した手の行き場を失ってしまったユリウスは、軽く溜め息を吐いて身を翻した。自分の方はまだ偏頭痛と眩暈が酷いので衝動的に口に入れて、水を取りに行くのも億劫になったのでそこらに置いてある軽い酒で流し込んでおいた。違った方向性の苦味が口内で混じり合って、出来る事なら二度と体験したくない味がした。
 ベリーナはというと、身体が深く沈むソファに片肘をかけて人差し指でかつかつと叩いているが、これも頭の中で爪とぎをする猫に変換されてしまう。もちろんよりご機嫌が斜めになるだろうからそんな事は口にはしなかったが。
 苦い薬を苦い顔をして棚に戻しながら、この部屋に二人で来た経緯の事をユリウスは思い出していた。
 力の暴走というものは辛くもユリウスも経験をしている事象であった。ドラゴンの力は人間には至大で抱えるには余りあるもの。その用途が思惑に反した時、制御出来るかというのは極めて荊棘な問題だ。
 身体に流れる血にも、そして融合していたその生き物からも、ユリウスは竜の力をの末端を継いでいると言っても良いが、但しそれが不完全である事も同時に認識している。それは彼女の右腕と同じような事情であると言っても良い。
 ともかく彼女と何を話すにしても、信頼をもう少し得る必要がありそうだ。
「これはいかがかな、焼き菓子は食べられるかい?」
「うわ……お前こんな趣味持ってるのか?」
 淡色の何かしらの花の柄が描かれた布で柔らかく包まれた、数種類の乾燥果物が入った焼き菓子……が今彼女に渡している物の内容である。確かにこういう反応をされるのは無理もない。
「趣味ではないが、騎士団の者に渡されてね。まあ、私はついでなわけだが」
「へぇ、お前の隣にいる奴が目的だったってことか?」
「残念ながら、人に好かれる様な事をあまりやってこなかったものでね」
「だろうな、人でなしの顔をしてる」
 一瞥すら寄越さず辛口な評価を投げ捨て、ベリーナは包んである布を持って、焼き菓子に齧り付いていた。「美味いなこれ……」甘い菓子には甘口の評価をあっさり下している。急に菓子よりも矮小な存在と言われているような気がしてくるが、そんな菓子を頬張る少女を見て、ユリウスは心の底でほっとしていた。あまり年下の面倒など見たことが無いので、何が正解かが今一つ解らない。
「この部屋、やけに色んな物置いてあるな?」
 こちらの思考を少女の一言が断った。釣られて周囲を見渡すと、書物の山や薬品類、衣食を伴う物が林立しており、整然とはしているものの、ベリーナの感想は最もだった。どうしても普段から人より物に囲まれた生活をしていたため、窮屈な方が心が休まるのかもしれない。加えてこの部屋はアルベールと共に使っているため、彼の私物が置いてあるというのも一因だった。男所帯のせいか、お互いの物がだいぶ無遠慮に置かれている。
「これでも研究者の端くれだからね、中には危ない物もあるから触らないでくれよ」
「研究者ね……」
 一つの単語を反芻したきり、ベリーナは黙りこくってしまった。渡した菓子もすぐに食べきってしまったようで、またソファの肘掛けをコツコツと叩いていた。
「君の……その身体の事かな?」少女に向き合うように棚に体重を掛けながら問う。唇を尖らせて眉をひそめている彼女の表情は、明らかに不機嫌を体現している。「ああ、不愉快に思うなら私も不必要に首を突っ込まないよ」
「別に、不愉快なお話じゃない。少なくとも、今の生活の次には待遇は良かったからな」
「過重労働無しの三食昼寝付きだったとでも?」
「そこまで優遇じゃなかったが、ただ、掃き溜めで溺れるだけよりも、尊厳が雨漏りのように降ってくる多少マシな場所があった、それだけの話だ」
「それが《結社》というわけか」
 小さな頷きではあったが、少女にははっきりと聞き取れたようだ。
「どうして《結社》を知っている?」
 威嚇するように低い声音で問われる。関係者か、とでも思われたのだろうか。
「君の知り合いから聞いたことがあっただけだよ」
 肩を竦めて答えると、彼女は一層口をひん曲げて視線を逸らした。
 せっかくの機会だ、その横顔に《結社》についていくつか訊いてみることにした。面倒くさそうにではあったが、彼女は返答をしてくれた。菓子の効果は結構あったのかもしれない。
 しかし《結社》の規模や実情を、ほとんど彼女は知らなかった。彼女と元は同じ立場であり、今では外部からの情報を集めているアデルペインや、グレースという女性といった《結社》に属していた者の話とほとんど変わらないどころか、知っているのはそれ以下だ。もっとも『待遇が良かった』などといえる被験者の立場だろうから、当然なのかもしれない。それでも何処となく《結社》に対しては峻拒まではいかないものの、嫌悪の感情はあるようだった。
 加えて話の中で、一つ引っ掛かることがあった。この城に彼女が来る少し前の話だ。彼はアデルペインを抹殺する刺客になっていたというくだりがあった。
「その時に君はアデルペイン君に出会ったと?」
「そうだ。力を示せば自由が約束されていたからな。あの時も同じさ」
 自由。その単語が引っ掛かった。自由の語義は非常に主観的だ。例え些少であったとしても尊厳があったと彼女が言うが、人道的な事をやっているとは天地がひっくり返ったところで言えるものではない。ただ単に彼女が実験の被験者としてクリアしていたからに過ぎないのであろうと考えるのが妥当だ。それは自由ではなく飼養されているだけだ。
 彼女の言う自由はひどく狭い視野に囚われている。だがそれを純粋に指摘したところで、彼女には響かないだろう。
 それでも。
「果たして、その力を持っている君は自由と言えるのか?」
 肘掛けを叩いていたベリーナの指が止まった。
 先程まで堂々としていた彼女の顔からは表情が消え失せ、沈黙を破るかのように大きく息が吐き出された。一々こんな事を言わなきゃいけないのか、といった気怠げな口調で。
「それをお前が言うのか?」
 その問い返しは、当然だったかもしれない。
 今の言葉は、自分の傷の残った脛に塩を塗っているようなものだった。彼女にではなく、自分に言い聞かせたかっただけなのかもしれない。言った瞬間に後悔というものがひょっこりと現れて腹を抱えてげらげらと笑ってきている気がしたが、当然ながら後悔というものは先に立たない。
 口を開くも乾燥して喉に張り付いてしまい、か細い声にしかならなかった。
「私は……既に、獣は引退した身でね」
「どうだか!」ベリーナの靴がテーブルの足を蹴り飛ばし、蔑みという感情をこれでもかと詰めて怒鳴った。「私の『服わざる伴侶』を見た時のお前は、新しい玩具を手にしたガキみたいだった、反吐が出るぜ」
 未知を前にして、衝動的に欲心が起こったのも事実ではある。かといって彼女が属していたらしい《結社》みたいな、人を踏み台にする事はもうするつもりも無いから、同じ人種と思われるのは心外だ。つい衝動的に皮肉を返してしまう。
「そういう君も、私の触手を見るなり仙火焔のように爆発して、お楽しみしたかったのだろう? お互い様だよ」乱暴な足取りで部屋を出ようとする少女の背に続ける。「君はこれからもその力と共にあるつもりなら……ならば制御する術を身に付けるべきではないか?」
「うるさい、私に指図するな。私は何にも縛られない」
 柳眉を逆立て、彼女は部屋の扉を勢いよく閉めた。
 最後に、一言を残して。
「菓子は美味かったよ、『ついで』さん」

+++++

 夜、開口一番に暇をもて余したのかと思われる漫言を、古くからの知り合いに無造作に投げ付けられた。
「お前、最近女の子を追いかけ回していると聞いたぞ」
「まさかとは思うが、その噂を信じてわざわざこの城まで来たのかな、団長殿?」
 本から目を離すことなく、ほとんど条件反射で返事を投げ返す。確かにここ数日はベリーナとの会話の機会をとは思っていたが、大変誤解を招くような内容ではなかろうか。
 時間は、太陽が沈んでから既に燭台についた二本の蝋燭が三分の二程溶けた頃合いだった。大陸を超えているからか、この城の書庫には見た事の無い本を多く見掛けてしまい、つい時間も忘れて読み耽ってしまう。今手に取っている本も二冊に渡る小ドラゴンの生態系の研究の話であり、もし旧友が訪ねてこなければ蝋燭の火が消えるまで読んでいただろう。
「いや、噂はついさっき知った。いつも通り、深淵の種について何か情報がないかと思ってな。それと手土産だ」
 彼はランタンを片手に本が高く積まれた書き机の傍まで来ると、祖国レヴィオン産の酒と、可愛らしげな花が添えられた包み紙……中身はどうやらクッキーのようだ、それらを机の空いているほんの少しのスペースに置いていった。クッキーについては店で売っていてもおかしくない程に飾られており、どういった類いの物かはすぐに判る。
「これは、また『ついで』のプレゼントかな?」
「ついで? 俺とお前にと言われたぞ」
 真顔でそう言うものなので、彼に想いを寄せる女性に同情したくなってくる。自分への感情に鈍いこの男に、どれだけ鎌を掛けても無駄なようだ。しかし自分も底意地の悪い人間であるので、指摘をするのは止めておく。
 レヴィオン王国の騎士団に属するアルベール。王家に仕える雷迅卿の家系に産まれた彼は、今はまだ盛年でありながら団長の身である。その背景は数年前、彼の団長だった父親が過ちを犯し、その息子が討ち果たしたといった悲劇があった。彼はこの事件を境に救国の英雄となったのだ。
 彼の父親は至極真っ当な人物であったのに何故その悲劇が起きてしまったのか。きっかけは、深淵の種と呼ばれるものにある。生物に寄生し宿主の精神破壊を行い、そして生物を取り込み肥大化する。アルベールの父親は深淵の種に魅入られてしまったのだ。レヴィオン王国は当時甚大な被害を受けてしまい、今でもその傷跡は残っている。
「種について、何か進捗でもあったのかい?」
「いや、はっきりした情報ではないが意見を聞きたいんだ……一度擦り合わせでもしよう」
 当時の悲劇を起こした深淵の種は既に消滅したが、残された種はまだ二つあった。その二つの種は、どちらもユリウスが持ち出していた。行方不明になっているものが一つ、もう一つは他でもない、ユリウス自身が宿主となったものだ。それも今現在は砕け散ってしまってはいるが、アルベールの父親と同じ精神崩壊と死を招く結末にならなかったのは、ユリウスが微弱にもアルベリア王家の竜の血を継いでいるからだった。深淵の種は種とは呼ばれているものの、正確にはドラゴンの一種だ。竜化の出来るアルベリア王家の血を継いでいた事により適応力が一般の者よりもあり、かつ、本筋よりも竜の血が弱かったせいで自分は正気で生き残る事が出来てしまった。罪を犯した自分が元の鞘に戻るためには、償いをしなければいけないと誓った。自分達が国を出ているのも、その後始末のための行動だ。
 アルベールとひとしきり直近の、祖国レヴィオンと行方不明となっている深淵の種に関する情報交換を行ったが、アルベールが持ち帰った情報も自分の手元にある情報もあまり有用なものではなかった。話の進展には至らず、渋面を付け合わせることとなった。
 それも終えると、時間が遅かったのもあり小さな円卓を挟んで酒瓶を開け、穏やかな時間を過ごす事にした。穏やかとは言うが、部屋の外はお世辞にもまだ静かとは言えなかった。この聖城には様々な者が集っていてまだ騒がしい。ひともドラゴンも入り交じって共生しているこの城は玉座まで緋毛氈が敷かれている事もなく、老若男女が身分を問わずに生活をしている。子供の頃の自分がこの景色を見たらどう思うだろうか、なんて考えが柄にもなくよぎってしまう。
 心地の良い時間だった。種も国も身分も忘れて脳を休められる貴重な時間。しかし同時に、胸を締め付けられるような後ろめたさを感じてしまう。かつて破壊しようとしたこの世の中にこんな風景があるなど、あの時の自分は考えた事も無かった。
 空になったグラスに、また一杯酒を注ぐ。
「なあ、団長殿」
 マナで拳よりも少し小さな氷を作りグラスの中に投げ込む。無色な乾いた音が鳴り、酒の表面と鼓膜を揺らした。
「自由とは……なんなのだろうな?」
 突拍子もない話に、アルベールは目を見開いた。この時間ばかりは彼も鎧を部屋の隅へ脱ぎ捨て、非常にラフな恰好をしている。手甲も外された筋肉質な手がひらひらとからかうように踊った。
「どうした、謎かけか? 酔うほど呑んでいないだろう」
「そう、この世界に酔った、酔っぱらいのただの戯れ言さ」
 微妙に噛み合っていない返事をすると、グラスの向こうで目の前の男は仏頂面と言うに相応しい顔を張り付け、膝に片肘を付きながら視線を外した。顔は見ないでおいてやるから話を進めろ、という意味らしい。お人好しな態度に、ユリウスは感謝した。今の自分は、ひどく気弱な顔をしているだろうから。
「私は……自分の事を自由だと思ったことは無かった。私にとって身分とは縛りだ、絡み付いて離れないものだと、そう思っていた」
「おい、触手を出して腕に巻き付けてくるな」
「臨場感があって良いじゃないか?」
「余計な事はしなくて良い、続けろ」
 生真面目なつまらない返答に、ユリウスは軽く笑った。それから一息吐いて、感情を吐露していく。
「母の顔も覚えていない、父との関係も冷えきっている。だから王子でありながら、放り出されていたも同然だった。放り出されるとは自由の権化のような言葉ではないか? だが実際はどうだ、それは枷で、鎖で、自由とは無縁で……なんて矛盾しているんだろうね」
 レヴィオンの城での生活が全ての幼少期、国の頂点に立つ男の言葉が全てだった。何度彼から罵声と失望の声を浴びせられたかは解らない。いや、実際には無関心故に頻度はそう多くは無かったかもしれない。ただ、たった一度の雑言でも殺傷力があったから。
「だから……駄目だ、駄目なんだ。だから私は今しか見ることが出来ない。今を頑張れば見返せる、今を乗り越えれば報われる、そんな刹那的な継ぎ接ぎの思考しか無い。……私はまだ時々夢を見るよ、深淵の種に身を任せて世界を滅ぼす夢を。目を開けて、現実でない事に安堵している自分と惨めな自分が」
「ユリウス」
 淡々と沸き立つ感情を吐いていると、非難のある尖った声が投げられる。聞き手に回っていたはずの男は耐えられなくなったのか、腕を組んで、苦虫を噛み潰したような顔に張り変わっていて、思わず口が綻んでしまう。自分よりもよっぽど情けない顔をしているじゃないか。それがなんだか滑稽だった。
「みんな、苦い過去はあるものさ。後悔して、何とかやり直そうとする。そして、新しい一歩を踏み出すんだ。だが私の場合は……ふふ、これが罰なのかもしれないね。悪夢がずっとついて回るというのが……」
 グラスを軽く揺らすと、氷とガラスが無機質な音を立てる。この氷のように、自分は逃れられない立場である事を知っているはずなのに。だから知恵をつけ、研究を重ねて、少しでもリスクを潰していかなければいけないのだ。
「なあ、ユリウス」
 自分の名前を呼ぶ声で、深層に入りかけていた意識が戻される。視線を上げると、あの少女と同じ紅色の両瞳が、ユリウスを見据えている。
「お前から見て、俺は自由に見えるか?」
「君は進んでお荷物を背負っていく、堅物な男に見えるよ」
「堅物は余計だが」むっとしながらも、アルベールは続ける。「国では皆が俺の事を英雄と呼ぶが、俺は父親殺しの罪人だ。親父を殺して親父の立場に居座っているだけで、国の者が囃し立てるような人間なんかじゃない。俺は……偽りの英雄に過ぎない」
 アルベールが酒瓶を手に取り、グラスに傾けていく。中に入っている氷を伝って、グラスの底へと酒が沈んでいく。
「だが、矛盾しているこの道を選んだのは俺なんだ。たとえ誰かに罵られようとも、選択したのは俺だ。俺には使命がある。騎士団を率いる者として、国に身を捧げる覚悟を負ったんだ」
『結局君も、私を置いていくんじゃないか!』
 英雄の称号を受け入れた彼を、そう罵った事がある。鬱積していた気持ちを投げた時の彼の顔を、未だに覚えている。
 置いていくのか、なんて今思うと馬鹿げた話で、実際には彼は傷を負ったまま血の跡を引き摺って英雄の座に就いていたのだった。自分は多くの民達と同じで、表の華やかな彼しか見ていなかったのだから、厚顔無恥も良いところである。ユリウスは親から何も継がなかった事で、アルベールは親から力を継いでしまった事で、それぞれ不幸が生まれてしまっていたのだ。
「罪悪感ではなく使命か……君はやはり愚直な男だよ」
「そうだ。俺は愚直だからな、お前のような知恵者が隣にいなければ、誤った判断をしていても気付かんぞ」
 息巻きながら、真っ直ぐとこっちを射抜いてくる。ランタンの暖色に照らされた金色の髪がさらりと揺れた。
「お前はもう少し己の実力を自覚しろ。器はあるんだから、自信を持て」
「おや、言ってくれるね。英雄殿の方こそ、これっぽっちの酒で酔ったのかい?」
「お前が今までの努力を無意味だったかのように言うから、腹が立っただけだ。それとその呼び方は止めろ」
 腹が立ったと言う通り、普段から鋭い目付きがより強調されてしまっている。息を荒くしてアルベールは酒を呷り、空いたグラスに乱暴に注ぎ足した。それは彼が普段呑む許容量を、少し越えている。
「自由とは何かと問うたな。ユリウス、お前はどうして今ここにいる? 南グラスティアまで来た目的を忘れたとは言わせんぞ」
 今この国にいるのは深淵の種の回収のためだ。だが彼は恐らく、今現在のその事を言っているわけではない。深淵の種の制御と竜の血に接触するためだった、その事を言っているのだ。まだあの数年間を思い出すと気分が悪くなる。もう無いはずの妬みという油のようにどろどろとした感情が、自分でも認識できていない身体の器官から滲み出てくるような気がしてくる。自分の身体を傷付けたとしたら、赤色の血ではないものが流れ出ていくのではないかと思わせる。
 ユリウスの返事をアルベールは少しの間待っていたため、妙な沈黙があった。口を噤み続けるこちらの顔色を窺って、彼は紅潮した頬を緩めた。
「自由とは選択だ、と俺は思う。お前はきちんと選ぶ事が出来ていると俺は思っている。今ここにいる時間も、お前が深淵の種を持ち出した時も……もっと昔からもだ。親父の背を追いかけて剣しか振らなかった俺が、人を従えなければならない団長の道を選択したのはユリウス、そんなお前の意志を見ていたからだ」
「私の……?」
「ああ、幼い頃から人一倍誰に言われずとも自分なりに努力していた子供を、俺は傍でずっと見てきた。周りがなんと言おうとも、理屈に凝り固まった意見を曲げようともしない、己を持った奴だと、羨ましく思っていたんだ。俺も、お前のように強くありたかった。他人の評価なんぞ吹っ飛ばして自分を持っていたお前のように」
 無力さで喘いでいた自分の事を羨ましいという好意的な感情で見ている者がいるとは露にも思わなかった。先程、自分の努力を無意味だと言うなとこの上ない不機嫌な顔で吐いたのは、きっとアルベール自身の選択の一端に加担していたからなのだろう。
 最初から、あの広い王城で忌避されている人物に近付いてくる物好きなアルベールだからこその視点だ、等と思う自分はやはり捻くれているのかもしれない。
「全く……褒めてるのか貶してるのかどちらかにしてくれないかな」
「フッ、せっかくの機会に言いたいことは全て言いたいのさ」
 体内からさーっと醜くどろどろとしたものが洗い流されていく。手にしている酒のように粘り気の無い流水が、身体中に染み渡っていく。
 まただ。深淵の種との融合から断ち切られた時の、皮膚が裂かれるような痛みと、その傷口を覆う春の日差しのような暖かさが、同時にやってくる。憧れと嫉妬と、ユリウスを苛んでいたこの感情は、しかし今は毒にはならない。
「誰だって捨てきれない気持ちがある、悪夢だって見る、叶わない事に焦がれる。だが補い合うのが仲間というものだ。お前が自分を認められないのなら認めてやる、お前がまた暴走するというなら止めてやる。一歩を踏み出して背負っていけ、友よ」
 背負っていけ、しかしその言葉は自分にはかなり酷な話だ。だが、自分がまた壊れそうになる、その時があったとしても安心できる。安心して、未来を見ることが出来る。認めたくなかった絆とやらが身体の奥底に染み渡っていくのを感じた。
「君は……」
 率直な感嘆は、形になる前に消えていく。信頼を裏切った者を赦せる器を持つこの男は、素直に尊敬に値すると、強く思う。口にしなくとも親友には届いているようで、だが彼は自信無さげに顔を曇らせた。
「だがまあ、俺だって今までの決断が全て良かっただなどと、威を振るっては言えんのも確かだがな」
「現に君が団長になったことで苦しんだ奴が、目の前にいるからかな?」
「鏡を見たら二人目だっている」
「なんだ、後悔でもしているのかい?」
「いや」即答だった。「言っただろう、俺は……もう背負っていくと決めたんだ。でも俺だって迷わないわけじゃない」そこで一度アルベールは言い淀んだ。「……だから……」
「ふふ……そうか」
 きっと彼はこう続けようとしたのだろう。俺がお前を認めるように、お前も俺を認めてくれと。俺が迷ったらお前が助言してくれと。これ以上こっぱずかしい事を言われたらこちらとしてもたまったものでは無いので、ユリウスは頷きだけして剽げる。
「後悔しているなどと言ったら、触手で木の枝に逆さにして吊るすところだったよ」
「……フッ、ならばその触手で結び目でも作ってやろう、せっかくならブランコでも作るか、この城の子供達が喜ぶかもしれんぞ」
「それはそれは、楽しみだね」
 彼我の間には既に確執は無く、今ではこうして軽口を叩き笑い合える程度には蟠りの清算できている。自分達にはやらねばならない事が山ほどあるのだ、過去を振り返って嘆いている場合ではない。酔生夢死な人生は、絶対に送らない。
「それで、答えは出たか、ユリウス?」
「……ああ。お陰様で、アルベール……」
 手にした酒瓶と、彼のグラスを軽くぶつける。
 揺蕩う意識の中で、ユリウスは瞼を閉じた。

+++++

「ベリーナ嬢、私ともう一度勝負をしてくれないか」
 部屋の扉をノックして、彼女にそう話しかけたのは昼下がりの事だった。
 城の者でも戦える者の半分以上が今は外に出ており、残された者は各々の時間を自由に過ごしていた。
 霧の森から流れる涼気が聖城の廊下を抜けていく中で、恐らく城の中でここだけは若干険悪な空気が流れていた。
「……」
 少女はベッドに背を向けて寝転がっていた。身動ぎもしないので、睡眠中に見えなくもない。
「年頃の女性が、こんなところに下着を置くかな」
 棚の上に無造作に置かれた布を横目で見ながら、ユリウスは足音を特に忍ばせることもなく堂々と部屋に入る。
 聖城は非常に広い敷地を持っていて、他人を気にする者は個別に部屋が設けてくれている。ユリウスは相部屋ではあるが、雰囲気からしてベリーナは個室のようだった。更にあまり個人の物と思われるものは置いておらず、生活するのに必要最低限な物しか無いようだ。少ない衣服以外はこの城に最初から置かれている物ばかりである。他人の部屋を、加えて異性の部屋を目を皿にして見る趣味は無いが、そもそも関心を持つまでもなく感性に響く物は一切無いようなのが残念である。
「人の部屋を勝手に物色するな、シスターボーイ」
 手持ち無沙汰に窓から城壁を眺め始めた頃、閑散とした部屋に自分以外が発生させた衣擦れの音が鳴った。
「おや、起きているじゃないか。人に呼ばれたら返事くらいしたらどうかな?」
「生憎、お前みたいにそんな当たり前を教えてくれるママやパパはいなかったからな」
 白髪を無造作に掻き揚げながらベリーナは上体を起こした。絡まっていた髪の毛が少しずつ解けて少女の胸元に流れる。急な来客に、しかもここ数日自身が避けていた人物に、少女は吐き捨てるように応対する。
「寝ている女の部屋に入る男なんざ、溝鼠のように扱われても責任は取らねえからな」
「おや、心配してくれているのかな? 生憎、他人からの悪評には慣れてしまっているものでね」
「そうだろうな、まだ鼠の方が姿を見せないだけマシかもしれねえ」
 彼女の悪態もこう何度も聞いていると、人となりが少しは解ってくる。内心苦笑しつつ、
「ところで、私の申し出は聞こえていただろう? いかがかな?」
 話を戻して彼女にもう一度問うた。
 ほんの僅か、時が止まったのかと思うような間があった。嵐の前の静けさと言うのは正に今みたいな時の事かもしれない。その間に彼女は何を考えていたのだろうか。一文字に口を結び、視線は美妙な竜を象った篭手が巻き付いた右腕へ落としている。更に先にはまだ幼さを表す平らな膝小僧があった。
「良いぜ、私は最強を目指しているんだ。お前程度を倒せなきゃそれは名乗れねえ」
 顔を上げ、戦った時と同じ危殆性を孕んだ瞳が不敵に笑みを作った。

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    ・小説(ゲームの二次創作)書いたり、ゲーム内の台詞まとめたり

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