ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

2024/05    04« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »06
当記事はタイトルの二次創作の真ん中にあたります。
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功罪の秤は誰のために(2/3)


 気味が悪いくらい空気の澄んだ夜だった。空に輝く幾千幾万もの星から突き刺さる視線に監視されていた。自分の心臓の音が鼓膜にへばりついて離れなくて、抱き抱えた膝小僧に顔を押し付けて心臓と呼吸の音が奴らに聞こえないように必死に堪えた。
 あの日も今日みたいな夜だった。
 黄色い月も様々な色をした星達も何食わぬ顔で空に浮いている。瞬きもせずにただ嘲笑うために地上を見ている。
 助けてくれるものなんていない。
 どうして、なんで。
 そんな言葉なんて全部闇が吸い込んでいく。
 血のにおいと、冷めていく父の身体は今でもよく覚えている。
 
 足元で伸びている人物を邪魔にならないように押しのける。口元の赤い布が剥がれて落ちると、痩せた頬が見えた。年齢が自分よりもだいぶ若い少女のようだった。ざっくばらんに切られた茶髪はあまり手入れがされていないようで潤いというものがない。
 彼女も、きっとヘルゲニシュの被害者なのだろう。借金を負って弱みを握られ付け込まれて、こんな危険な場にいなければいけない。それに豚と同レベルの奴のことだ、それ以上に何をしているのかは色々と想像が出来る。護衛に声を出されると困るといった理由で持ってきた強い睡眠作用のあるシトゲ草のエキスは体格のある大男にでも使うことを想定していたのだが、結果的にこの少女を殺す事にならなかったのは良かったのかもしれない。
 加えて既にこの時点で自分には一つの誤算があった。常に身に付けていたはずの父親の形見の短剣を無くしてしまったということだ。いつも舞台の前で自分を鼓舞させるために短剣を手に取るので、今日の舞台の前に手元にあったのは覚えているが、その後の行方は全く判らない。
 だが、今更ここで平常心を失うわけにはいかない。通常の短剣は変わらず腰に差さっているし、都合よく目の前にもう一本武器がある。少女の腰にぶら下がったサーベルを鞘から抜くと、湾曲した刃に月明かりに照らされた自分の顔が映っていた。化粧は舞台で踊る時に整えたそのままだが、ここまでは走ってきたので細い栗毛の髪はあちこちに散っていた。
 視線が吸い込まれていったのは自分の瞳だった。瞳の奥でぐるぐると渦巻いている濁流のような何かが同じようにこちらを見つめているような気がして、すぐに目を反らした。
 一呼吸して、耳をそばだてる。岩陰に隠れているプリムロゼのことを、どうやら目的の人物は気付いていないらしい。
「……女は集まりそうか? こちらも人手が足りなくてな、困っているのだよ」
「た、ただいま用意しているところで……もう少々お待ちいただきたく存じます」
 いつもふんぞり返っている態度と腹ばかり大きな男が、この時ばかりはへこへこと頭を下げていた。いつもよりも二回り程縮こまったこの背中を見たら、酒場の踊子達も鬱憤が少しは晴れるのでは無いだろうか。
「ヘルゲニシュ……私と君は友人だ。友人は、互いに有益な関係でなければいけない」
「ぜ、全力を尽くします……!」
「酒場で踊っていた上質な女がいたな。ああいう女が欲しい」
 自分の事を言われているのだろう。こちらが目的の男を見つけ復讐心という暖炉に薪を投げ入れていた中で、奴は自分に色目を送っていたというのか。鳥肌が立った。
「いいな? 女を集めて来い。……この地図の場所にな」
「かしこまりました……」
 地図。
 確かに奴はそう言った。
 ヘルゲニシュが何かを受け取った。その地図が指し示す場所へ行けば何か手掛かりがあるに違いない。
 そこで会話が一度途切れ、風が砂を浚って獣の唸り声のような音を立てる。
「……さて、私は失礼するとしよう。招かれざる客人がいるようだしな。なあ……そこの女よ」
 心臓がつままれるような感覚。胸元で短剣を握る力が強くなる。客人と呼ばれるような女はこの場には一人しかいない。
 不意討ちは不可能のようだった。この岩の間に挟まれた狭い空間に攻められても不利。プリムロゼはサーベルを構えたまま、岩影から歩を進めた。
「……気付いていたのね」
「護衛を倒した時からな」
「悪趣味なことですのね」
 自分に聞かせるように密談をしていたというのだろうか。言葉遊びを楽しんで後は軽く始末すればいいと考えているのだろうか。どこまでも父を殺した仇は憎いものだった。だが、そちらの方が好都合かもしれない。ただ憤怨で武器を握れば、迷わなくて済むから。
「……プリムロゼか」
 苦虫でも噛み潰したような声を出したのは、自分が配属している酒場の上に立つ男だった。
「舞台ぶりですね、支配人様」
 太陽が沈み夜の酒場を盛り上げる舞台を終えた後、袖で今日も良かっただの終わったら部屋に来いだの言ってきた数刻前の会話を粉々にするのに、陳腐な言葉をぶん投げるくらいしか浮かばなかった。今この場で、自分にとって彼はどうでも良い人物である。
「どうしてこんなところにいる?」
 もちろんそんなプリムロゼのつまらない態度に納得するはずもなく、ヘルゲニシュは苛立たしい声と共に問いかけてくる。本物の豚でももう少しまともな対応をしてくれるというものである。
「さあね、そちらの男に聞いてみてはいかがでしょう」
 頭から黒衣を被っていて彼の表情は読み取れない。腕組みをしているとより上腕に描かれたカラスがより明確に見えて頭の奥がずきずきと痛む。何年、その模様を悪夢に見続けてきたことか。
「……ヘルゲニシュ、約束は守れよ」
 男はこちらを無視してそう言っただけだった。腕でのたうつカラスが嘲り笑っているようにも見えてきて、サーベルを握る力に一層力が入る。
「待ちなさい! 逃げるというの?」
 左腕のカラスが翻った黒衣に阻まれ見えなくなる。プリムロゼは駆け出していた。
 だが立ち塞がったのは壁のような男ヘルゲニシュだった。彼の手から放たれた黒い霧のようなものが瞬時に視界を覆う。手先に僅かだが痺れが走り、咄嗟にプリムロゼは後方へ飛び退いた。この男が魔法が使えたとは初耳だ。大した強さではないようだが、暗闇の中を走って岩にぶつかるような真似はしたくない。
 霧はそう長くは保たなかったが一人の人間が立ち去るのには十分な時間だった。乾いた風が霧を流し、後に残るのは自分と、にやけた顔を貼り付けた反吐が出る程によく見知った男と、荒涼な砂の海と、あまりに綺麗で無感情な空だけだった。
 苛立たしさで舌打ちが漏れた。十年も焦がれ続けた仇が目の前にいたというのに、こんなくだらない奴の相手をしている場合ではない。
「どいて」
「おっと、そういうわけにはいかない」
 笑みを浮かべながらそう言って彼は岩影から何かを引っ張り出してきた。一瞬プリムロゼはそれが武器だと思ったが、武器にしては歪な形をしていた。最初は奴の影に隠されて見えなかったのだ。でなければ、その一瞬でも見間違うはずがない。
 だが、彼の武器だというのはあながち間違っていないのかもしれない。身体の奥から氷を突っ込まれているような感覚があった。動けなかった。身体中の筋肉と神経が一切の信号を脳から受け取らなかった。
 それは人間だった。
 見慣れたマリンブルーのハーレムパンツはあちこちを切り裂かれ、月明かりに照らされた腕輪には赤い染みが点々とついている。口元には布とロープをぐるぐると乱雑に巻かれ、肩の長さに整えられていたはずの髪の毛は一部焼かれた跡があった。
「ユースファ!」
「……!」
 布の下から弱々しい声が聞こえた。きっと自分の名前を呼んでいるのだ。ついさっきまで酒場で言葉を交わしていた女性だった。彼女は酒場で嫌われ者であるプリムロゼに何かと世話を焼いてくるお節介な人で、カラスの男を追いかけるために酒場を抜け出した時にも手を貸してくれた。今着ている外套も元々彼女のものだ。カラスの男がやたらと迂回を繰り返してこの場に来ている間に、痛みつけられていたのだろう。
「ふん、お前の脱走などとっくに気付いていたわ。女を所望してくるあの男の前で、こんな傷を付けたと知られたら何を言われるか解らんからな」
「どうせ気付いているわよ、あの男も」
 盗み聞きをしていた部外者に気付いたくらいなのだから、岩場に隠されているとはいえ拘束された人物が察せないわけがない。しかし、あの男だけでなくヘルゲニシュにも気付かれていただなんてつくづく自分の間抜けさに虫酸が走る。
「ふん、言ってろ。お前だってこの女の命が惜しいだろう。だが街にその薬は売っているかな? あってもお前に買える値段じゃないだろうが」
 毎日三十分くらいかけて整えているらしい髭を扱きながら嘲笑する。声がわなわなと震えているのは、思い通りにいかない苛立ちと不満から来ているのだろうか。本当に人の上に立たないと気が済まないのだろうこの男は。
「今なら、まだ許してやろう。全ては嘘だと言うなら。支配人様の困る顔が見たかっただけ、と言うならそして、その汚い口を閉じいつものように儂を満足させれば……すべては、砂に流してやろう」
 この男は本当に期待を裏切らない男だ。ケースに入れて飾ってやりたいくらい。私は売春、人身売買、密売その他諸々の悪事に手を染めて、挙げ句に小物みたいな台詞を吐き出す元酒場の支配人ですって貼り紙でも身体中に張り付けたい。比類ないその人物像には敬服せずにはいられない。
 だから、そうだ。容易に想像ができたはずなのだ。この後の彼の行動が。他人の涙は踏み荒らし、傷は泥で汚してきた、この男なら。
 だが一瞬迷ってしまった。そして冷静では無かったのだ。
 自分の復讐心と、彼女の親切心の、どちらを取るのかで悩んで。
「ん? 返事聞こえんなぁ……儂の躾がたりんかったようだ」
『ほんとは、あったかいから。プリムロゼって』
 彼女にそう言われたことがある。人付き合いを避けて一人で道を歩いてきた自分なんかにそう言ってきた。あの月夜の晩以来誉められたことと言えば容姿と踊りくらいのもので、内面なんてお飾りだった。自分でもそう思っていた。
 だが、そうではないと、あの日以来そうではないと言ってくれたのが彼女……ユースファだったのだ。
「止めて!!」
 喉を振り絞って声が出た時には遅かった。
 刹那だけ苦しそうに、半開きだった目が見開かれる。絶叫だったのか、恨み声だったのか、なんだったのか自分には解らなかった。
 ただ確かなのは、奴が護身用にぶら下げていた刺突剣の刀身が赤く染まり、彼女の胸から飛び出している事だけだった。
 彼女の身体が宙を飛んでくる。ぐったりとした手足が身体を追い掛けて。このままだと一緒に砂と岩しかない地面に転がされてしまうのも解っていながら、受け止めなければいけないと思った。彼女を投げ出すなんて、出来なかった。サーベルを投げ捨て、目を瞑って――
 ……衝撃は、来なかった。
 目を開くと視界を遮っていたのは大きな背中だった。ユースファのではない、男の背中。月の色をした髪を跳ねさせて、後ろ髪は簡素なゴムで結っている。袈裟懸けに掛けた黄色い鞄を下げていて、中から何かがぶつかりあう乾いた音が聞こえた。
 突然の乱入者に思考が止まる。あまりに突然の事で誰何の声すらあげられないプリムロゼの前で、青年は絶句していた。彼の腕の中には自分が受け止めるはずだった女性が抱きかかえられている。
「息、してねえじゃねえか……」青年の言葉は鉛のように落ちていった。独り言のようにそう呟いて、それからでっぷりとした腹に向かって叫んだ。「おい、なんでだよ……どうして殺したんだよ!」
 辺り一帯にその声は一瞬だけ響き、無数の砂の奥へと消えていく。酒場で怒号というものはしょっちゅう飛び交っていて聞き慣れたものだと思っていたが、それらとはまた違った叫び声だった。体格もその場所も全く違うのに、昔の自分が父親の死体の上で泣き腫らしたあの日がちらついた。
「どうして、とな」芝居がかった大振りな口調と仕草でヘルゲニシュが答える。「そりゃあ、悪い子には躾をしなきゃいけないだろう?」
「ふざけんな! 躾だって? 人はお前の所有物じゃねえ!」
「判っていないな小僧。彼女達は儂の店の踊子だ。ならば何をしようが自由じゃないかね?」
「そんな道理なんてねえ! 人が人を殺していい理由なんて万に一つもねえんだよ!」
 ……ああ。
 なんて綺麗な言葉なのか。
 父は知りすぎたから殺された。
 ユースファは私を助けて殺された。
 私は、父を殺した者への復讐に殺そうとしている。
 だから、そんな真っ白な言葉は、この場の誰も動かす事が出来ない。
 彼が一般的な正統性を主張しても、この場に同意する者なんていない。普通の世界などとうの昔に切り離された世界なのだから。
 そうだ、何故さっきまで迷っていたのか。そんな世界に生きていながら、友達なんてやっぱり必要無かったのだ。虻蜂取らずという言葉が今の自分にお似合いだった。
 この時を逃せば、自分の生き長らえていた意味すら解らなくなってしまうのだから。
 生前の父の言葉が蘇る。
 己を信じ、貫け。
「ユースファと一緒に下がって」
「だが!」
 何処の誰が何故この場にいるのかは判らないが、この機会を二度も邪魔されるわけにはいかない。彼女を抱き止めるために空けたはずの両の腕には結局何も無い、ならばまたサーベルを拾い、奴に向けるだけだった。仇を取り、奴の手にある地図を奪う。もう天秤に掛けるものもない。
「あなたみたいな温室育ちのお気楽さんがいるようなところじゃないの」
「ふん! 何処の馬の骨かは知らんが、そういうわけでそのゴミと一緒に退場いただこうか。儂はプリムロゼにしか用が無いのでね」
 悲しいことにあんな醜い人と少しだけ意見が合致してしまった。酷い嘔吐感が込み上げてくる。
 青年の方は唇を振るわせて言葉を続けられずにいる。マリンブルーの彼女の服も、彼の浅黄色の外套も赤黒く染まっていた。
 彼は彼女を抱えたままその場から退く気配も無かったので、プリムロゼが二人の前に出ることになる。対峙している者までの距離は十歩もあれば届く。
 相対して、二人だけの世界に入る。その状態を彼は楽しんでいるようだった。奴は恍惚とした表情を見せていた。
「プリムロゼ、お前はとっておきだったのになぁ……この手で息の根を止めてやらなきゃならんとは」
「支配人様の入るお風呂は、真っ赤な薔薇の浮いた優雅なものだけかと思っていましたのに」
「それはお前が水面しか見ていないからだプリムロゼ。元から血の風呂だったことに気付かなかったのか?」
 プリムロゼは舌打ちする。汚い仕事は全て手下に任せているものと思い込んでいたのはそもそもの間違いだったようだ。こんな街でのし上がってきたのだからある意味当然かもしれない。サンシェイドは柔な人間は生き残れるはずが無い、弱肉強食の街なのだから。
「そのようね。一体何人の血溜まりで出来ているのかしら」
「――それは俺も興味があるな」
 聞いたことのない男の声がプリムロゼの言葉に続いた。
 刹那の出来事だった。巨岩の裏から飛び出た影は一瞬にしてヘルゲニシュの背中へ滑り込み、片手で両手首を拘束しもう片方の手に握られた槍で首元を抑えていた。横にばかり大きいだけの支配人違って、長身には筋骨がはっきりとあるらしい。
「ぎゃっ」
 情けない声があがる。肥えた豚のような身体を動かしても振り切れず、その様は豚というよりかはひっくり返った亀が暴れてるようにしか見えない。
「俺はお前に訊きたいことがある」
「だ、誰だお前は」
「逆らった者に対しての悪行、この街の物流に酒場の女の待遇……詳しく聞かせてもらいたい」
 ヘルゲニシュの狼狽に取り合わず、一方的に壮年の男性は強く詰問する。兵士、というにはマルサリムの宮殿で見るような紋章は何処にもない。だがサーコートの下から覗く金属の胸当てや腰に下げている剣は使い古されており、決して野蛮なものにも見えない。黒髪を梳きあげているので黒鳶の瞳に浮かんだぐつぐつと煮える怒りは良く見て取れた。
 でも彼が、彼らが誰なのかはどうでも良い。どうやら味方のようだったから、それ以上の事なんて今はどうでも良い。願わくばそのまま拘束してくれれば、自分の短剣であいつの胸を刺せるのだから。
 護衛から奪ったサーベルを右手で握ったまま、自分の左腰に下げた短剣を逆手で抜く。
 しかし、走り出そうとして異変に気付き、叫ぶ。
「……後ろっ!」
 背後の影を彼も見逃さなかった。振り下ろされた短剣が彼の首に刺さるよりも早く、片足を背後に伸ばし、襲撃者の足を引っ掛ける。
 だがもう一人の剣閃は、ヘルゲニシュの拘束を解かねば受け止めきれないものだった。地面に刺した槍からも手を離して、動くのに邪魔な巨体を突き飛ばしながら腰に下げた剣を振り向き様に抜き、両手で柄を握り受け止める。不利な態勢だというのに力でそれを弾き返すと、槍を拾いながらこちらを背に武器を構えた。
 手練れが追い付けない速さと正確な動き、何者かどうかは関係ないが、味方をしてくれるようでプリムロゼは知らず口の端があがる。
「ちっ、仲間か」
「旦那! 大丈夫か?」
「ああ、問題ない。彼女は?」
「ダメだ、手遅れだ……」
「……そうか、間に合わなかったか」
 ユースファを抱えた男性が岩壁を背にしてしゃがみ込んだまま、壮年の男性と会話する。二人はやはり知り合いのようだった。でなければタイミングよくこの密談の場に二人も現れるはずがない。
 相手方に現れた二人はもちろん、向こうの仲間ということで間違いない。「遅すぎるんだよお前たちはっ」と短剣を構え紅鳶色のスカーフををたなびかせる二人にヘルゲニシュが怒鳴っているがそれに対しての反応もせず、二人の男はヘルゲニシュを庇うように立つ。
 相手をされないので余計に腹が立ったらしくユースファの血のついた刺突剣を、懐から出したハンカチで乱暴に拭って投げ捨てる。あのハンカチだけで一般家庭の数日分の食事になるだろう代物だ。
「三対三……いや、そこの男は戦えないか、三対二だ。形勢逆転だよ、プリムロゼ」
「あら……本当にそうなのかしら?」
 相手の加勢に現れた男達のスカーフには黒いカラスの刺繍が入っている。さっき寝かせた少女の恰好と武器が異なるのは、組織が違うからに過ぎない。
「その取り巻きの短剣、もしさっき振り下ろされていたら貴方だって首があった保障なんてないのよ?」
 爛々と光る四つの目がまとわりつくようにこちらを見つめている。互いの誰かが動き出したが最後、決着は一瞬でつくだろう。隙を見せれば、殺される。
「な、何を」
「その二人、カラスの手下なんでしょう? 貴方が消えても代わりはいるってことよね」
「な……黙っていればよくもいけしゃあしゃあと!」
 大して長くもない足で地団駄を踏んでいるのがおかしくてたまらなかったが、それ以上に渦巻いているどす黒い感情を吹き飛ばすことは出来なかった。
 奴は、必ずこの手で。
「殺してやる! その後でお前を剥製にして酒場に飾ってやろう!」
 ヘルゲニシュの激昂が噴火したのを合図に、四人が同じタイミングで駆け出した。プリムロゼは右の男に、壮年の剣士は左の男にそれぞれ得物を突き付ける。
 胸を狙ってきた短剣を身体を捻って避け、こちらは逆手に持った短剣で首元を狙う。その一閃は的確に相手に読まれており、軽々と後ろへ跳躍されてしまう。だが瞬きをしたその間に地面を蹴り上げた男が短剣で突くために再度接近する。
 プリムロゼは短剣を頭上へと勢いよく放り投げる。右手に握ったサーベルで流れるような軌跡を描く短剣を弾き、次の脳天への一撃は態勢を低くして受け止める。睨み合いは一秒と無かった。プリムロゼの上半身に覆うように短剣の刃を力任せに押し付けてくるが、一部にしか回っていない集中力が仇となる。
 プリムロゼはそのまま背中を地面に付けるほど仰け反り、腹を支点に勢いで足を相手の股間に叩きつける。手が緩んだ隙に更に相手の鳩尾に左足を入れながら右へ半回転。短剣を叩きつける先を失ったのと、痛みに悶絶して折れ曲がりかけた身体に下から突き上げるように遠心力の乗った足を腰骨に当てると、男の身体が吹っ飛び、地面に崩れ落ちる。自分が頭上に投げた短剣が地面に衝突したのと、カラスのスカーフの男が正気を失い手から短剣が零れ落ちたのはほぼ同時だった。
「踊子の足を舐めないでね」
 壮年の剣士と男の決着も、プリムロゼが息を整えている間に決着がついたようだった。
「アーフェン、お前の包帯か何かで縛っておいてくれ」
「あ、ああ。解った」
 アーフェンと呼ばれた男性が気まずそうにユースファを地面に置くと寝そべっている二人の後ろ手に包帯をぐるぐると巻き始める。横目でそれをぼんやりと眺めながら、一人になってしまった上司を睨む。
「だらしない! たかが女一人、何処の馬の骨とも解らない男一人に! ……ひっ!」
 やかましく鳴く喉元に向けて槍を向ける男の瞳は至って冷静だった。まるでヘルゲニシュの精神力を彼が全て吸い取っているようにも見える。
 十歩先にいる人物に対し彼は淀みなく、朗々と言い放った。
「俺は亡きホルンブルグの騎士、オルベリク・アイゼンバーグだ」
「あ、アイゼンバーグだと……」
 オルベリク・アイゼンバーグ。その名前にはプリムロゼも聞き覚えがある。ハイランド地方の国に凄腕の剣士が二人いて、そのうちの一人が剛剣の騎士と呼ばれる人物がそういう名前だった。だがその国は王が死んだことをきっかけに破滅し、二人の騎士も戦死したということも同時に聞いていた。
 噂に尾ひれがつくのはよくあることなので嘘の部分があったことには驚きはしないし、彼の立ち居振舞いは独学だけで何とかなるようなものではないのは明らかだ。きっと彼は本物の剣士だ。
「万に一つもお前に勝ち目はない。剣を引き、大人しく縄についてもらおう」
 奴の庭で捕らえてもどうせすぐに檻から出てくる。捻くれて元の形も忘れてしまったようなこのどうしようもない人間が、反省をするとは思えない。国の騎士として真っ当で正道な意見であろうが、こんな街では通用しない。
「っふ、ふはは、はは!! 無理を言うな! 儂を捕まえて何の意味がある? この街の兵なぞ儂の傘下に過ぎんのだ、意味なんてないぞ」
 案の定ヘルゲニシュは小馬鹿にしたように笑った。そう、他人の命や想いなんて蟻のように潰してきたヘルゲニシュに突きつける答えなんて、最初から一つしかないのだ。
「くそ食らえね、支配人様」
 侮蔑を吐き捨てると、癇癪の矛先がオルベリクから自分へと向いた。
「お前もだ! こんなことをして……お前も誰のお蔭で生きてこれたと思ってるんだ!」
 どこまでも陳腐で平凡な悪党の台詞だった。本当につまらない人だ。これ以上会話をしても進展が見られるとは到底思えない。
「決まってるわ」一歩足を踏み出す。靴底が礫を踏んでざっと鳴る。「自分の脚で踊ってきた、いつだってね」
 ヘルゲニシュが魔法を使えるように、自分だって魔法が使えるのだ。闇夜の魔法を。
「ま、待て!」オルベリクが自分と同じように駆け出すよりも早く、辺りは月の明かりすら届かない暗闇になる。「殺すな! 殺してはダメだ、プリムロゼ!」
 霧の向こう、遠くで声が聞こえた。自分よりも年上の男性が、荒らげた声で何かを言っている。その何かはもう他愛のないことだ。行動は変わらない。
 踊っている時以上に足が軽かった。サーベルの刀身は、刺突剣を強く弾き、奴の身体中に血を巡らせている器官へと吸い込まれていく。
「はあああ!!」
 自分が想像していたよりも骨肉を裂くサーベルは重かった。重くて、今まで持ったどんな覚悟よりも鮮麗で。
 だが確かに、突き抜けた解放感があった。それが生理的な抵抗への慣れなのか、物理的に刃が貫通をしたのかが寸陰の時だけ把握できなかった。
 鼓膜が痛みを感じる沈黙が、刹那の時間確かにあった。
「くっ……プリ……ム……」
 それからどっ、と重量のあるものが地に沈んだ。プリムロゼの前に血溜まりが広がっていく。その中心で力無くのたうつ生物が口を開いた。
「最後にもう一度だけ……踊ってくれんか……」
 そう言って、彼は息を止めた。ユースファと同じ、二度と動かない人形になった。
 人を陥れながら自分は誰かに手入れしてもらった牛革のソファにふんぞり返る男も、そのソファを手に入れるためにプライドなんて一欠片も無く頭を下げていた情けない人間に過ぎなかった。だが彼は指摘されるまで、気付かなかった。自分は唯一無二の存在なんかじゃないということに。
「……最後に踊ったのは、あなただったわね」
 哀れな人だった。彼は何処まで走れば幸せを得られたのだろうか。汚い手ではあったが一つの街の裏で上り詰めて、更に何を求めていたのだろう。彼の人生に足りなかったものはなんだったのだろう。
 そこまで考えて思考を停止させた。死人に口は無いのだから、答えなんてもうこの世には無いのだ。
 彼のズボンのポケットに無造作に突っ込まれた紙を抜く。砂や血で汚れていたが、印の付いた場所は読み取ることが出来た。フロストランド地方の地図、赤い丸の付いたそこはスティルスノウ。
 地図を折り畳み懐に入れる。その時、軽い金属の音が背後から聞こえた。槍をホルダーに仕舞う音なのは振り向かなくても解った。
 そうか彼らへの対処をしなければいけないのだろうな、なんて頭の隅で他人事のように思って振り向いた。腕を組んで眉をしかめる剛剣の騎士と、二度と動かなくなった旧友の傍に跪き俯くお綺麗な言葉を吐いた金髪の男性、更にその隣には後ろ手で包帯を縛られた二人のカラスのスカーフの男が気絶している。岩影には自分が眠らせた少女もいるだろう。
 意外な事に重い沈黙を破り最初に口を開いたのはユースファの傍にいる金髪の男性だった。
「殺したのか……?」
 か細い呟きが無数の砂が音を吸収していく夜の砂漠に落ちていく。プリムロゼは何も言わなかった。目も合わせなかった。沈黙は肯定と同義だ。彼の抗議は静かなこの場と相対的にヒートアップする。
「どんな奴だって殺す理由なんて、人にはつけられないんだ! この子を殺されたから、報復で殺したのか? それでお前やこいつの家族がどう思うか解ってんのか!?」
「止めておけ、アーフェン。まずはそこの縛ってる二人から情報を聞き出そう」
 一国に名を馳せた騎士は、溢れ出る男の言葉を静かに止める。アーフェンと呼ばれた青年は歯噛みして何かまだ言おうとしたが、自分の膝に拳を殴り付けてそれ以上何も言わなかった。
 自分はやはり口を開かなかった。
 最も、彼が投げつけてきた言葉の球は全て自分に直撃していた。理解なんてしている。だがそれらを全て乗り越えてその先へ進む覚悟はとうの昔にしていた。
 だから、オルベリクが止めなければ最後に一言だけ返そうと思っていた言葉はあった。
 余計なお世話だ、と。

+++++

「殺したのか……?」
 男性の静かな問いが女性へと向けられる。それは間違いなく薬師としてだけでなく、人として当然の物言いだった。いくつも戦場を渡ったことのある自分には非難は出来ないが、感情は理解できる。
 アーフェンはもう動かぬ屍となってしまった女性の傍らで、声を荒らげた。
「どんな奴だって殺す理由なんて、人にはつけられないんだ! この子を殺されたから、報復で殺したのか? それでお前やこいつの家族がどう思うか解ってんのか!?」
 人を殺すことの意味は、戦場とそうでない所では違うのだと。
 そう思っていた、先程までは。
 だが彼女が酒場の支配人を殺す光景を見た時、国に仕える兵士となんら変わりないと思った。それは信じるものを信じ、立ち塞がる者を討つ姿。
 本当は線引きなんて無いのかもしれない。どちらも英雄で、どちらも人殺しだ。
「止めておけ、アーフェン。まずはそこの縛ってる二人から情報を聞き出そう」しかしその行為の善悪について論じても、今の状況に変化があるわけではない。今はやれることをやるだけだ。
 気絶している二人のスカーフの男に尋ねればならないことがある。男の腕に巻いた包帯だけでは懸念があったため両足も硬く縛り上げた。近くで見ると歳は自分よりも一回り程若い男達だった。プリムロゼやアーフェンの方が年齢は近いだろう。スカーフに印されたカラスの紋様が彼らの団のモチーフだろうがオルベリクも初めて見る。
「アーフェン、気付け薬はあるか?」
「あ、ああ。これを嗅がせれば」
 つんと鼻の奥を刺激する臭いのするハンカチを受け取り、包帯で縛られた男二人に嗅がせた。
 きっと彼らにも縋らなければいけないものがある事情を持つのだろうが、それで他人を踏みにじる理由にはならない。センジが語った物や人の流れを操っている何か……ヘルゲニシュ自身も何者かの下にいたという事実を見過ごすわけにはいかない。
「うぅ……」
 眉をしかめ二人は目を覚ます。後ろ手に拘束されている事に気付くと歯噛みしながら殺伐とした視線をこちらに送った。無論、こちらは剣を構えている。自分とプリムロゼが囲い、月明かりで出来た影が彼らの身体に落ちていた。
「お前達は負けた。だがこちらの言うことに答えれば悪いようにはしない」一呼吸置いて、問う。「お前達の雇い主は誰だ? そしてそいつは何処にいる?」
 捕虜に対してするごく当たり前の簡素な質問だった。命が惜しい者ならすぐにでも真実を吐いてくれるが、手練の動きからして相当な訓練を受けているに違いない。そんな奴があっさりと白状するとも思えない。
 実際、黙秘が当然の権利のように彼らは口を開かなかった。それどころか殺意は全く消えていない。
「このまま黙っていても、貴方達が衰弱するだけだけど?」
 焦れったいと言わんばかりにプリムロゼが声を荒らげる。
 緘口を続けられると夜が明けてしまうのは明瞭だ。いくら街と離れているとはいえ、商人や旅人等が歩かないはずがない、魔物に襲われないとも限らない。一度ここに来るまでに通った地下通路へ身を潜める必要があるかもしれない。あまり気は進まないが、肉体的でも精神的でも苦痛を与えて吐かせる手段も無くはない。しかし短期で行うには肉体的に行うのが……。
 そうして思案を巡らせている間に、オルベリクは変化に気付かなかった。この一時の思案は、昔の相方が聞いたとしたら甘さが招いたものだと言うかもしれない。
 確かに甘かった。だがあまりにもそれは唐突だった。
 縛り上げているはずの二人の身体が不意に痙攣をする。荒い息で赤い血液の混じった吐瀉物を口から吐き出した。
「……これは!」
 アーフェンが鞄を勢いよく開け、中身を引っ掻き回し出した。
 オルベリクもすぐにその結論に思い至る。これは毒だ。彼らは歯間に即効性の毒を仕込んでいたのだ。自分が捕まってしまった時、自白を促された時に、必ず自由になるはずの口の中に可能性を自ら断つものを用意をしていたのである。
「押さえててくれ!」
 剣を投げ捨て手前の人物を後ろから身体全身で押さえ付けた。それは尋常ではない力だった。生物の拒絶反応であるから確然たることだ。
 彼は小さな口の小瓶を手に取り、どちらに対応するべきか一瞬躊躇してから、手近な男に対して祈るように口に中身を入れ始めた。しかし歯や頬に当たり上手く入らない。咄嗟に身体を押さえるためにオルベリクは力任せに押し倒し、男の骨の方が何本か折れた感覚があった。
 少しずつ小瓶の中身が無くなっていく。だが一向に男性の暴走が収まる気配が無かった。隣でのたうつ男と症状に一切の違いが無いように見える。
「……くそ! 足りねぇ!」
 小瓶の中身が空になっても嘔吐が収まる様子は無かった。
 そしてアーフェンは首を横に振って小瓶を強く握り締める。
 暴力的な力が突如弱まり、重力に従って身体がくずおれる。胃液や血や、とにかく身体の中の何かがごちゃ混ぜになって撒き散らされていた。
「……毒キノコの成分のものだ。器官や胃の中を腐らせる毒……だがそこらの量によるものじゃねぇ。ここまで苦しんでるのは過剰摂取なのもある、と思う」苦々しく彼は呟く。「なんで……そんな簡単に……」
 なんでそんな簡単に命を投げ出せるのか。きっと彼はそう言いたかったに違いない。命を繋ぎ止める為に彼ら薬師は寝る間を惜しんで勉強をしているはずなのだから。
 だが、身体の中身を吐き出して死んだ彼らの気持ちはオルベリクには解る。もし自分が捕虜として捕まったとしても、同じような事をしないとは言い切れない。もちろんそれは一般的な感覚ではないということも。
 プリムロゼは見向きもせず、そして動かなかった。後ろで縛っていた流れるような髪を下ろしており、舞台で踊っていた時より大人っぽい印象を受ける。紅を塗った唇はきゅっと締まっていて、その表情はオルベリクには読めなかった。怒っているのか、泣いているのか、この結果に喜んでいるのかさえ判らない。もしかしたら無関心でいるのかもしれなかった。
「なんだ……なんなんだよ! ちきしょう……!」
 薬師が涙をいくら流しても四人の死体が再び動き出すことは無い。声を押し殺して泣くアーフェンに、プリムロゼがようやく口を開く。
「もう一人寝てるのがいるんだけど、先にそちらを見てもらえる?」
「寝てるって……!」
 アーフェンはまさかまた死体がと絶句したが、「違う、本当に寝てるだけよ」と彼女は念を押した。プリムロゼに案内された先は十歩も無かった。岩に隠れるようにして一人の小柄な人物が座り込んでいた。
「……こいつは……!」
 オルベリクが息を呑むのもほぼ同時であった。まだ年端もいかないその顔や体格は男女の区別がはっきり出ていない。黒い装束を着ているが、先程襲ってきた奴らとはまた違う恰好をしていた。壮大な砂漠を思わせる色をした茶髪は無秩序に切られている。そして、左の前腕にまだ真新しいガーゼが貼られていた。
「夕方に会った少女か」
「ああ、間違いない。このガーゼは俺が使ってるやつだし、貼った場所も……」
「知り合いなの?」
「知り合いというか……サンシェイドに入った時に少しな」
 意識は無いようだが、うなされているようで、穏やかな呼吸のはずなのに時折眉根を寄せている。
 二人の男は顔を会わせて呆然とする。何故こんなところに、その疑問はプリムロゼがよく知っていた。
「その子はヘルゲニシュの護衛をしてたのよ。奴に気に入られて借金を負わされてここにいる、純粋な被害者」
 ヘルゲニシュという人物がどういうものか、この短い間にほとんど知ることになってしまったようだ。彼がどういう悪行を成してきたか、考える事すら悍ましく感じる。
 アーフェンは彼女の手首を掴んで思案していた。「こいつはシトゲ草を使ったか?」
「流石薬師ね、正解」
 聞くとシトゲ草は即効性のある睡眠薬で、更に規範意識に反しているという自覚、罪悪感というものがあると恐ろしい夢を見るのだという。また、手足が温まる事も特徴の一つだという。その副作用のせいで睡眠薬として使われる事は無いらしい。
 罪悪感とやらでうなされているようだった彼女の目を今すぐにでも覚ましてやりたかったが、周囲の景色は一人の少女が正視するには凄惨だった。胸を貫かれた死体が二体、目を充血させてもがいて死んだ死体二体、生存者も血に塗れた服を着た者が二名いる。ここは戦場のにおいが充満していた。
 簡易でも良いから墓を作ろうというオルベリクの誘いには、プリムロゼすらも反対をしなかった。
 サンシェイドでは土葬が一般的でありその為の墓所が丁度今いる辺りのようだった。岩群の背後に装飾された岩が立ち並んでいるので、それが墓場だということはすぐに理解できるし、道具も一式全て揃っていた。砂漠で倒れて亡くなる身元不明の者もいるので、簡易に土葬できるようになっているようだった。この辺りもあまり他人に深入りしない砂漠の街らしい。
 また、「墓所が近いからこそ、ここで夜中に密談してたんでしょ」というのが彼女の見解であった。この場に来るまではプリムロゼを追って地下水路を通ってきたため、地上の土地勘は自分の中では完全に消失していたが、ここは確かに町からは少し離れている。墓地というのは嫌悪感を持つ者も多いので、大抵は人があまり住まない所に作るものだ。
 作業については女性らしい細かな気配りはプリムロゼが担ってくれたが、表情は相変わらず無いままで、多く口を開くことも無かった。 
「良いんだろうか、酒場の長ってのをこんなところに埋めちまって」
「その気持ちだけで十分だ」
 彼の悪行を考えると、下手したら死体を町中引き摺り回されて燃やされる可能性だってある。家族の元に渡せるのならばそれが一番なのだが、彼に所帯は無いというのは他でもない彼女が知っていることだった。それらを鑑みれば今弔いをする事は彼のためになる……それは自分の行動を正当化しているに過ぎない事なのだろうか。
「……旦那、俺に言ったよな。悪い医者のことについて解るかもしれないって」
 アーフェンは血で汚れた服を着たまま作業をしていたので、彼の服は土と血で汚れている。
「ああ」
「あんたの言う通りだった。確かに言ってたんだ。あのユースファって子を抱きとめる前に、薬は街にあるか、あっても買える値段じゃないだろうがって」手を動かしながらアーフェンは続ける。「……俺、もっと知らなきゃいけないことがいっぱいあるんだろうな」
 彼と最初に会った時の人当たりの良い笑顔は何処かへ消えていた。オルベリクが何かをいう前に、「ちょっくらあの子の様子見てくる」と重くなった空気を振り払うようにアーフェンはまだ眠っている茶髪の少女の元へと走っていった。
 数歩先では、プリムロゼは踊子の女性を羽織った外套と共に埋め、何の形も成していない石を数個積んでいた。周囲が暗いのではっきりと見えたわけではないが、無表情だった彼女のペリドットの瞳が本物の宝石に負けないくらいに輝いていた。
 人殺しである彼女が一人の死に悲しむ光景は甚だおかしいことなのかもしれない。命に色眼鏡を掛けないアーフェンのような薬師には腹立たしいことなのかもしれないが、乾いた砂漠にも雨が降り川が出来る事は意外でも何でもないのだ。
「……プリムロゼ」オルベリクは顔を見ないように、振り返らずに彼女に声をかけた。「お前はこれからどうする? 酒場に戻るのか?」
 解りきったことを確認のために、そして会話を繋ぐために彼女に投げかけた。彼女も同様に事実を確定付けたかったのか、噛み締めるように言葉を紡いでいった。
「あの酒場で踊る理由なんてもう無いわ……私には、行かなければいけない所があるの」
「長旅か」
「そうね」
 端的な会話が一度途切れる。頭上で鳥か蝙蝠が一斉に飛び去り、沈黙を補っていく。満天の星々と月が輝く空に、翼を広げるいくつもの鳥類の影が染みを作っていく。
「腕利きが必要ではないか?」
 やや思案するような間があった。オルベリクは相変わらず彼女の表情は見ないようにしているため、彼女がどういう反応をしているのかは解らない。ただ、その無の時間は長くは無かった。
「ええ、必要よ。腕利き……それも双璧の騎士のような凄腕であれば尚良いわ」
 砂を踏む乾いた音が近付き、そしてオルベリクの傍を通り過ぎていく。結われていない緩やかな栗毛色の長髪が獣の尻尾のように優雅に揺れる。
 旧知に会うためにオルベリクはここ数年の穏やかな生活から抜け出した。その人物は今は何処にいるかは解らない。だがこの道中で見かけた、同じ目をした彼女に会ったのは何の因果であろうか。彼女のことを放っておけなかった。それは一時の同情なのか、憐みなのか。薬師の情が移ったかな、とオルベリクは微苦笑する。
 お前と同じ目を持った彼女と共にいれば、少しはお前の真意が見えてくるだろうか、エアハルト。
 カラスの描かれた赤いスカーフを地面に突き立てた短剣に結び付けた頃には、夜の砂漠で冷えていた身体もすっかり火照ってしまっていた。

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