ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

2024/05    04« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  »06
当記事はタイトルの二次創作の後編にあたります。
前記事(1/2)はこちら




残夜の誓い(2/2)

 隣のハーバーランドからのものだろうか、流動した千切れた雲が、空に張り付く星々の一部を曖昧に隠してしまっている。
 高台に位置するここは雲が斑に作る影が地表に落ちているのがよく見える。渦を巻く砂の波が荒れて乱脈とした軌跡を描いている。ごう、と時折乱暴に唸る音は起伏を作っている岩山が奏でているものだろう。
 右肩に置かれたヒカリの頭から、身体から熱を感じる。規則的な息遣いが、彼の睡眠が健全であることを知らせてくれていた。
 五日後、彼を旗印として戦地に向かわなければならない。祖国を戦の無い国にしたいと腐心して、旅の仲間達はそんな彼を支持し共に戦うとここまで来た、もちろん自分も含めて。
 恐らく、長い戦にはならないだろう。偵察兵の話によればヒカリの兄であるムゲンは城に在留しており、軍師カザンはその城を破る手段を整えているらしいとのことだった。兵も半分程は別の戦場に出ているらしいが、それでもこちらの方が地理、戦力共に劣っているのは間違いない。
 そして何より、討ち取る必要があるのは国王ムゲンのみ。多くが傷つき倒れるのを、ヒカリは望まない。
 だとすれば、求められるのは不意を打った短期決戦。この電撃作戦は瞬時の判断が生死を分ける。当然、ヒカリの両肩には多くの者の命と重責がかかっている。
 だからせめて、今くらいはこうして平穏を享受していても罰なんか当たらない。
 風に煽られキャスティの目前を泳ぐ髪を梳く。彼の性格を象るような黒髪は一切絡まる事が無く毛先へと通すことが出来る。
 ただ、この明かりを、温もりを守りたいと思った。彼の横に並び、彼の望む未来を見ていたい。彼の語る争いの無い、血の流れない彼の国を見てみたい。
 それを、人は希望と呼ぶ。
 希望がある限り、それは強い原動力となる。
 撫でるように何度か彼の髪に指を梳き、――その静寂は突如として破られる。
 それはまるで蟻地獄の顎のように暗闇から突如伸びた。熱を帯びた角ばった手が力強くキャスティの右手首をひっ捕まえる。
 真横から穏やかに聞こえていた寝息は途絶え、飢えた肉食獣のような荒い呼吸音が鼓膜を震わせた。
 キャスティは捕まった右手首を振り解く素振りは見せず、言い放った。
「……ここにいたら会えると思ったわ」
 真横に座るその男の鋭い双眸と目が合う。その瞳に頭上の星明かりは映さない。ただ真紅の闇が全てを吸い込むように存在しているだけだ。
「そりゃ光栄だなァ。余程あの夜が忘れられなかったと見える……」
 吐息が耳に吹きかかる。言葉とは裏腹に地を這う蛇を彷彿とさせるような底冷えした声色だった。
「そうね、忘れられないわ。あなたのことは」
「だよなあ! 二度目の邂逅、お前と俺の仲だもんなあ!」
 砂利みたくざらざらと渇いた声が、陽気に言う。何処か他人事で語っているような作為的な気味の悪さが滲んでいた。
「二度目? 本当にそうかしら。私は大きな戦いの度にあなたの存在を感じたわ」
 確かに実際にこうして話すのは二度目だ。
 最初に『彼』を認識したのは他でもない、ヒカリと出会って初めての日の事だった。ヒカリとこの宿場で出会った日の夜のこと、この丘でキャスティは良かれと思い、気を張り続けていた彼の酒に、正にこの場所で鎮静睡眠薬を混ぜたのだ。実際彼の睡眠は快適だったと、何より翌日に本人が言っていた言葉だ。
 だが彼の意識が水底に沈んでしまったからこそ、押し出されて浮かび上がってきた澱があった。異常な狂気を抱いて野獣のように爛々とした殺意を持っているこの人格を見た時に、即座に察したのだ。ああ、これがヒカリという人物を蝕む最大の病原なのだと。
 掴まれた右手首が、急に乱暴に引き寄せられる。膝元に置いていた空の皿が弾き飛ばされ、硬い地面へとぶつかり不釣り合いな軽い音を立てた。喉から出そうな声を何とか抑えている間に左手首までも『彼』の右腕が捉え強制的に上体を向けさせられ、まるで展翅させられた羽虫のような体勢になる。
「光栄だねぇ……そんなに恋しくなる程俺のことが好きか?」
「一々言葉にしなければならないの? そういうところは似てないのね」
 鼻を突き合わせるような位置にいる男に冷ややかに返すと、喉の奥で声をころころと転がした。決して本人はしないであろう毒気に塗れた笑い方だった。首元できっちりと立つ緋色の襟が揺らめく。
 眉を顰めながらも、キャスティは嘲笑う声を一蹴する。
「あなたがヒカリ君に一体何をさせようとしているのかなんて訊いたところで、教えてくれないのでしょうね。だからこれだけは言うわ。ヒカリ君は負けない。お兄さんにも、もちろん、あなたにもよ」
 兇悪とも言える眼が闇夜に閃きキャスティを覗く。彼はこちらを数秒、まるで珍獣を見ているかのような目付きで見ていたかと思うと、耐えきれないといった態で高笑いする。
「そうして宣戦布告するためだけに俺を呼んだか……クク、中々気の強い女じゃないか、俺も気に入ってんだぜ、お前のこと」
 言下、殺気とも言うべき気配が膨らむのを感じ、肌をまるで無数の針のように刺した。『彼』は手を離し鋭い動きで腰の懐刀を逆手で抜き、キャスティの喉元に躊躇なく振りかざし――しかし、その刃は皮にすら届かない。唇を歪ませ覗かせた歯が、薄明かりに照らされて鈍い光を放った。「クソ野郎が……」初めて会った時には『彼』はわめき散らしていたが、過去に経験しているだけに『彼』の方も冷静だ。
「相変わらず血を求めるあなたが血を吸えないのは皮肉ね」
 『彼』には乗り越えられない問題があった。それは主人格に対して越権が出来ないことだ。例え身体を操る事が出来たところで、他人を切り刻む事は叶わない。ヒカリの根底で無用な殺生は禁圧され、同じ身体を持つ『彼』もそれに従うしかない。それは間違いなく苦痛そのものであり、まさしく塗炭の苦しみを感じていることだろう。
 だからこそ『彼』は普段は表に出ない。だからこそ『彼』は檻を出たがり、ヒカリが軛を断ち檻を破壊するように仕向けている。衝動を煽り、ヒカリが耐えられなくなるその時を舌なめずりをし待望している。
 獣のような細長い深紅の瞳孔を睨めつけると、下眼瞼を吊り上げて三日月型に歪めて笑んだ。
「そうして余裕でいられるのも今だけだぜ? “兄上”との決戦では多くの血が流れるぞ……朱い城がもっと鮮やかになる。お前がどれだけ治療を施そうとしても、クク……無意味だ」辺りを睥睨する。『彼』はこの景色に何を見ているのか、嘲るような口吻で漏らす。「甘ちゃんなヒカリもどれだけ我慢できるだろうなあ……ククク……」
 懐刀を乱暴に投げ捨て、『彼』は立ち上がる。革製のサンダルの底を擦りながら汚泥の中を歩くような醜怪じみた鈍い動作でキャスティの真正面に立った。
「その先でお前の血を流し……そしたら本当に壊れるなァ……俺には見えるぜ、暗黒の未来がなァ……」
 生気の薄い動きと、恍惚とした表情で謡うような独語。その全てに、普段の面影は全くと言って無い。
 ……そしてその姿にどうしようもなく、自分の知る一人の男の顔がちらつく。
 唇を噛み締めかけるが、それは悪手だ。無力感を刺激して、冗長させる。それは『彼』の思う壺なのだから。
「ヒカリ君が苦しんでいるなら私が、私達が救う。そんな未来なんて無いわよ」
「救う、ねぇ」
 覆い被さるような鈍い紺青の空が青年の背でざわめいている。黒風が砂を堆く上げ、空を染めていく。旋毛で結われた黒髪がたなびき、真紅の裾が翻る。
 前触れもなく、キャスティの両肩に『彼』が掴みかかった。上体を曲げ顔を耳元に寄せて、冷笑する。横目で睨みつけると、獣性そのものを表すかのような真紅の両の瞳と目が合った。なおもその瞳には虚が存在するだけで、奈落の底を覗き込むかのようだ。
「お前は人間を良く知っているはずだ。あのトルーソーという実直な男の為した事を。衝動は容易く人を殺す。お前の可愛いヒカリ君が同じ事をしない可能性なんて無いんだぜ?」
 とくん、と胸が鳴る。『彼』はヒカリと共通の景色を見ている。ならば、あのヒールリークスの惨状を、自分とトルーソーが生んだ結末を、この人格も知っているのだ。
 だが、そう揺すられても自分の中の信条は変わらない。今の自分を否定することはマレーヤ達を否定することになる。かつての仲間達が託してくれたものを否定することになる。そんなことは自分が許さない。キャスティは『彼』に対して毅然と言い放った。
「可能性を語るんだったら、ヒカリ君があなたを完全に克服する可能性だってあるわよね? 衝動そのものを……あなたを克服する可能性を」
「そんなに己の過去の過ちを精算したいか。お前が記憶を失ったように悪しきことを上塗りして無かったことにしたいとは……クク、傲慢で醜い考えだなァ」
「……そうなのかもしれない。薬師という職は必ず死を経験する。後悔だってするし、自分のことを責めもする。事実は、容易く人を蝕むものだから。トルーソーと全く重ねていないなんて、言えない」
 声の調子を落とすと、『彼』は片頬の口角を上げる。ヒカリはいつもこの者に抗い続けてきているのだろうか。自分が知らない時でさえも、ヒカリを苦しめているのだろうか。
 握った手が震えていた。恐怖で、ではない。怒りで、そして嘆きで。
 キャスティは耳元で囁く声に対し腹の底に力を込め、負けじと厳と言い放つ。
「でも足掻くことの何がいけないの。物事を紡いでいこうとするその歩みを笑って、ただ他人の気持ちを踏み荒らす、あなたの方がよっぽどかっこ悪いわよ」
 ぴたりと地の底を這うような笑みが止まった。それから血生臭い話に対して飛んできた言葉が幼稚だったせいかやや酢を飲んだような顔になり、それから心底つまらなさそうに舌打ちをした。
「詭弁だけは一人前な女だな」
 痛めつけがいがない、とでも思われたのだろうか。それとも時間切れだからか、肩を掴む力が徐々に弱くなっていく。
「……良いだろう、あの猫被りが絶望するのが先か、貴様の毫末な希望が叶うのが先か……楽しみにしておいてやろうじゃねえか」
 嘲弄した虚ろな笑いが尾を引いて闇に溶けていく。母譲りのものだと旅路で教えてくれた黒髪が勁風に巻かれ、大きく舞う。
 思わずキャスティが目を瞑ってしまった間に肩を掴む力が失せ、頭から上体から彼の身体が真正面から伸し掛かった。華奢に見えるとはいえ、普段鍛えている男性の身体はやはりそれなりの重量がある。
 何事も無かったかのように今や穏やかな寝息を立てている青年の腕が窮屈に曲がっていたので、静かに伸ばす。ヒカリを抱いた自分の手がまだ少し震えていた。
 元々ヒカリなだけあり、『彼』はよく解っている。トルーソーのことを引き合いに出されると、未だに自責の念に駆られそうになる。なまじ心優しかった彼を知っているからこそ、人は変貌し得ることを理解している。どうして彼がああなってしまったのか、どうして彼を止められなかったのか、そんな胸が抉られるような悔恨は、今でも続いている。
 連鎖してトルーソーが蒔いたエイル薬師団の噂に翻弄されかけた時も思い出す。それはカナルブラインに漂着した時も、このリューの宿場で出会った父娘に対しても。どれも、心に傷が無かったわけではない。
 それでもキャスティは歩むことを止めなかった。歩みを止めるのは一度目の死と同じだと知っていたから。精神の死、紡いできた想いの死、それは肉体の死までの途次に薬師が決して抱いてはいけないもの。
 ふぅ、とキャスティは肩から大きく息を吐いた。見晴るかす砂漠は相も変わらず波間を覗かせ、この地に生きている植物達をぐらつかせている。いくつもの千切れた雲が素知らぬ顔でぷかぷかと浮かび、斑に地表に影を落としている。
 正面から寄りかかったままの青年の背中に手を回す。今は皮手袋をしているので熱はほんのりとしか伝わらないが、緩やかに規則的に上下していることは感じ取れる。雄大な砂漠を閉じ込めたかのような琥珀の瞳は、明日の朝まで開くことは無いだろう。
 『彼』は檻の中で爪を砥いで今か今かとその時を待っている。ヒカリが渇きに耐えかね檻を壊し解き放たれるのを待っている。今しがたキャスティを巧言で殴りつけたように、ヒカリは常に戦いに曝されているのだ。彼が戦いを求めずとも、内が、外が強制する。
 彼がその全てを背負うというのなら、共に歩けば良い。
 彼を夜叉にしようというのなら、共に振り払えば良い。
 見知った心優しい人を、あんな哀しい姿にはさせたくはない。
 眉間に力を入れ歪みかけた視界を強引に引き戻し、キャスティはそっとヒカリの背を叩いた。

+++++

 黄金色の外套が乱暴に扱われ、付着していた砂が舞う。たちまち天幕の中がけぶった。「あ、わりぃ」とやってから気付いたと軽い調子で張本人が謝るが、同じ空間にいる三人は渋い顔で彼を見やる。
「パルテティオ、もう少し周りに気を遣ってください」
 棘を含んだ物言いで、テメノスが口元を押さえながら非難する。今いる天蓋は文字通り四人がいるのが限界といった大きさなので、砂塵が舞ったらあっという間に空気が黄濁する。
「悪かったって」今度は慎重な手つきで外套を羽織りつつ、話を元に戻した。「で、今日はサイの街で泊まるんだっけ、ヒカリ?」
「ああ」無意識に止めてしまっていた身支度の手を再度動かし、「ク国の道中にある街の中ではかなり大きい。ここらの情勢もよく知れるだろう」
「過去にアグネア君の御母君が住んでいらした街ですよね。確か美味しい饅頭屋がありました」
「さっき朝食食べたばっかなのにもう飯の話かよ?」
「フフ……茶菓子は別腹とアグネア君が言っていましたからね」
 二人の話を頭の隅で聞きながら、自分の荷を確認する。必要な物を全て入れた、と思ったが方位針が足りない。辺りを見回すとすぐにデミクラブを嵌めた大きな手が差し出され、探し物が乗っていた。
「すまぬ」
 彼は小さく頷き、顎の髭を擦り、
「……確か今日は地下水道を歩くと言っていたな」
「そうだ。といっても今は水は流れていない。流そうとした形跡があるだけだ」
「ふむ、戦で使われた地下道ということか? それを改良しようとした、もしくはその逆か」
「……よく解ったな」
 機密事項であるはずの内容にやや警戒した声色で返すと、自分よりも一回り、身体も歳も大きな男は迷いなく続けた。
「歴史の中でこのような事例は往々にして存在する。今のは条件から導かれた純然たる推論に過ぎない」
「成程」
 ひゅっと若干乱暴に袋の紐を搾りオズバルドが立ち上がる。後ろを見ると、他の二人も既に身支度を終えていた。ヒカリも丁度、菅傘を結び終える。
「うし、忘れ物はねーな!」
 ヒカリ達が天幕を出ると、殆ど同じタイミングで隣の天幕から短い黒髪を同じく黒いフードに仕舞い込みながらソローネが出てくる。これまでの経験則で大抵女性陣で一番早く起きるソローネが、最初に準備を終えるのだ。
 それを見たパルテティオが早速声を上げた。
「ソローネが今出るってことは後ちょいかかるか?」
「いや、すぐ来るよ」
 気だるげに口元を押さえ欠伸をして答える。彼女は身体の曲線の浮かんだドレスに更にコルセットを巻き、顔を隠すフードを被っている。明け方を過ぎ宿場の多国籍な商人達が各々のペースで開店の準備を進めていたが、その内の何人かが妖花のようなソローネに熱い視線を送っていた。彼女もそれを解っていて流し目を送り返し、暇を弄んでいる。
「やれやれ、こんなに暑いのに更に場を暖めて……」
 萌葱色のローブの裾、聖火をあしらった金の刺繍についた砂埃を軽く払いながらテメノスがぼやくのを、当の本人は肩を竦めて顔を手団扇で扇ぐだけで聞かぬ振りをしている。
 そうこうしている間に、天幕の出入り口の布を退けて他の三人も顔を出した。
「お待たせー」
「ふぅ、あ、暑いべ……」
 各々帽子や布を被り直射する日光から頭を守る用意はしている。だが、どれだけ準備をしていようとやはり他の地方と比べるとその程度は厳しく、仲間達はもう既に体力が奪われ始めているようだった。
 早くここを発ち地下へ行くべきだろうな、とヒカリが仲間に促しかけた時。
「急患だ! 誰か!」
 若い男の声が宿場の出入り口の方から飛んでくる。気だるげに準備を始めていた宿場が俄かに騒めき始めた。
 付き合わせた顔を確かめ合うよりも早く、円の中で真っ先に一人の人影が走り出す。それはそこらの剣士より余程俊敏な動きで、束の間に面前に辿り着いていた。
「急患ってどなた?」
「はいはーい、うちが診るよー」
「あら?」
「ん?」
 二つの女性の声が、発している言葉は違えど同時に発される。一人は凛としたよく知る女性の声、もう一人は鈴を転がすような愛らしい声だった。前者は当然ヒカリ達の良く知るキャスティのものだが、後者は初めて聞くものだ。
 ヒカリを始め他の仲間もキャスティに駆け寄る。もう一人の声の持ち主は、薄桃色のワンピースを腰回りで締めた、鳶色の髪を右耳の上辺りで小さく結わえたワンサイドアップの女性だった。歳は自分と同じくらいだろうか、キャスティと同じく肩から袈裟懸けにベージュの鞄をかけている。
 この宿場馴染みの商人の男性が「こっちだ!」と再度声を荒らげる。どうやら先程の呼び声は彼のもののようだ。隣に立つ旅装の男の腕の中には、一人の子供が抱えられていた。殆どを布でくるまれて細かな年齢や性別すらも解らないが、キャスティは男性に陽を遮るテントを差し、問いかける。
「とにかくあちらへ。症状は?」
「熱と咳が出てて……」
「水分は取ってた?」
「はい」
 短い応対を交わし、移動する。「う、うちも行きます!」鞄をぱかぱか鳴らしながらもう一人の薬師が追いかける。「ありがとう、よろしくね」とキャスティが応じているのが聞こえた。
 勢いで物事が進んでいくが、このような事態に慣れっこな仲間達も行動を始めた。
「俺、水持ってくる」
「手伝います」パルテティオが真っ先に声をあげ、テメノスが続く。「ソローネ君とアグネア君は、念のため商人達に声をかけて薬の原料を持ってる者の把握を」
「解った」
「アグネア、あっちから回ろう」
「うん!」
「私は果物買ってくる! 行こ、マヒナ、とっつぁん」
「ああ」
 ヒカリの思考が一瞬止まっている間に、仲間の輪は散り散りになる。
「ヒカリはキャスティの傍で手伝ってあげてください」
「……ああ、解った」
 こちらの反応が少し遅れたのをやや訝しみながらも「頼みますよ」と肩を叩き、最後の一人も去っていく。流石に組織に属する人間だからか、こう言った時のテメノスは手際が良い。
 ヒカリは刹那の間思案してから、菅傘の顎紐を外しつつ彼女達を追いかけた。自分の役目は正に足りない所を補う猫の手のようなもので、その場にいなければ意味は無い。
 だがそれでも心の端で改めてその事実を考えてしまうのだ。あれから時が経っているのだから身なりは多少違ったが、この場で気付けるのだとしたら、それは先方か、キャスティと自分だけ。
 あの男性は、ヒカリとキャスティが出会った日に見た……エイル薬師団が村人を殺しまわっているという虚伝を信じ、キャスティに罵声を浴びせた人物、その人だったのだ。

 空高い太陽から発される熱気が遮られる日陰の中、キャスティは水で濡らした布で年端も行かない少女の汗を拭っていた。その折、少女の首元に触れ、力強く頷く。
「この地方の風土病ね。以前、別の患者さんを診た時に薬を作ったことがあるの。すぐに用意するわね」
 明確にキャスティがそこまで述べ原料を広げたところで、しかし考え込むように呼吸を荒くしている少女を見やる。
「それと合わせて解熱の効力を上げた方が良いかもしれないわ……」
「このキキョウの根はどう? その材料なら喧嘩しないはず」
 別な布を冷やしていた薬師の女性が声を上げる。布を片手に器用に鞄を開けようとするので、ヒカリが代わりに布を手に取ると、女性は「ありがと」と端的に述べた。近くで見るとちょっと唇を尖らせたひよこ口が特徴的だった。
「キキョウの根……そうね、それで行きましょう」彼女から粉末の入った小瓶を受け取り、キャスティは首肯した。調合のための鉢に手慣れた手付きで素材を入れ、最後に女性から受け取った小瓶から粉末を入れ、棒で練っていく。
 少女を抱き抱えていた男とヒカリは出入口付近に立って外から運ばれる物資の数々を受け取りながら二人の女性の健闘を祈る(いかんせん広いテントでは無いので他の仲間が入れる程の余裕が無い)。一通り受け取り二人の女性に渡し、薬の調合も末つ方に近付くと、二人の男は手持無沙汰なりに後は祈るしかない。
 ヒカリが横目で男を見ると、彼は腹の辺りで手を組んで握りしめて黙りこくっている。少女の無事を祈っているようにも見えるし、思案に暮れているようにも見える。どちらにせよ自分達はこれ以上の事は何も出来ず、冷静さを欠いてしまうのも無理はない。
 ヒカリは足元の籠に入った大量に入れられた果物のうち、リーフランド産の木苺を男に手渡した。
「大丈夫だ、彼女は優秀な薬師だ。娘さんは必ず治せる。ずっと気を揉んでいたら、そなたまで倒れてしまう」
 男は苦衷を抱えるような顔を若干緩め、やがて小さな声で何かを言ったが、外の商人の掛け声でかき消される。その内容をヒカリに確かめる術は無く、ヒカリも再度訊くことはしなかった。
 それから程無くしてキャスティは調合を終えた薬を口の小さな容器に入れ水に溶かし、意識が不明瞭になっている少女に慎重に飲ませる。
「これで良いわ」キャスティは顔をあげて目の前の薬師に、そして傍に立つ二人の男に対して頷いた。「熱が下がるのに少し時間は掛かるけれど、これ以上悪化することは無いはずよ」
 キャスティは立ち上がり男の前へと立ち、
「これ、食事の前に一つまみずつ飲ませてください。大体二日くらいで良くなると思うわ」
 男は強張っていた身体を緩め組んでいた手を遠慮がちに解き、キャスティから紙包みにされた薬を受け取りかけて引っ込めた。少女の無事に対して素直に喜色を浮かべかけたがそれすらも堪えるように頬を引き締め、
「……すまない」
 ぽつりと、男から謝罪の言葉が漏れ、頭を下げた。キャスティは僅かに驚き目を見開く。
「最近リーフランドで専ら噂になってる。水色の制服を着た薬師が街を救ったと。名は、エイル薬師団のキャスティ……」砂漠の乾燥からなのか、緊張からなのか、男性の喉仏が一度大きく上下する。「……オレは、あんたに酷い事を言ったのに……二度も助けてもらっちまって……」
 しかし彼が言葉をこれ以上続ける前に、キャスティは再度手を伸ばして包み紙を握らせた。
 そして普段と変わらない調子で言った。
「一人でも多くに救いの手を差し伸べる。私達薬師は、ただ目前の患者に対して出来ることをやるだけです」
 自分がどう思うとか、相手がどういう人物だとかは関係無い、彼女の世界には患者への色眼鏡が存在しない。そう言い切る彼女は、何処までも眩しい。
「それに礼なら私だけじゃなくて、そちらの方にもしてください」
 何の話か理解していなかった女性の薬師が名指しされて、泡を食ったような顔の後にぶんぶんと手を振った。
「いえいえ、うちは手伝っただけだし」
「そんなことないわ。おかげで私の見立てより半日くらい早く治るはず。後の倦怠感もだいぶ取れるはずよ」
 キャスティの裏の無い柔らかな笑いを見てようやく肩の荷が下りた心地で、彼は足元に置いていた荷を解き、中から何枚かの銀貨を取り出した。今度は男の方がキャスティの手にそれらを握らせる。
「今回と……前回の分の金だ」男はすぐに手を離して両手をあげた。相場よりは多いであろうその金額にキャスティは言葉を発しようとし、しかし男に止められる。「おっと、返さないでくれよ。それこそ立つ瀬が無くなっちまう」
 男は振り返り、少女の傍に座る薬師の女性にも銀貨を二枚渡した。
「お嬢ちゃんも。助けてくれてありがとな」
「こちらこそ。でも、こんなにお金貰うようなことしてないよ」
「そんなこたねえ、放っといたら命に係わるかもしれなかった。オレにとってはそれだけの価値があるんだ。だから、貰ってくれ。別に渡したからって一文無しになるわけじゃねえんだから」
 実際、彼の布袋の中にはまだそこそこの金銭が入っているのが見える。少なくとも中流階級に属する人種なのは間違いない。
「その、オレの家は貿易商なんだ。ティンバーレインを拠点に西大陸を歩き回ってる。オレらがいるかは判んねえが来たら是非寄ってくれ。サラも喜ぶよ」
 落ち着いた呼吸で胸元を上下させるサラと呼んだ少女を見下ろして言った。
 キャスティも同じく少女を見下ろし、険しい顔を緩めて笑った。
「……ありがとう。是非立ち寄らせてもらうわ」

 父娘を残し、テントを出る。テントの外で待っていた仲間の六人は岩陰で話し込んでいたが、こちらが出てきてキャスティがサムズアップした手を掲げると、各々が安心したように反応する。
 それから共に尽力した鳶色の髪の女性に振り向いた。
「あなたも手伝ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ殆ど手伝えなかったけど」
「そんなこと無いわ。ずっとあの子を支えてもらっていたし、薬についても勉強になった。えっと、そういえば名前聞いて無かったわね。私は……」
「キャスティさんでしょ。さっきおじさんが言ってたし」鈴を転がすような声が得意げに続ける。「エイル薬師団のキャスティさん、一瞬もしかしてって思ったけど、本当にそうだなんて。会えた上に実際の治療の手際まで見れてとても光栄だよ。やっぱり噂って大体本当なんだよなあ」
「あら……それはありがとう」
 口を挟む間もなく破竹の勢いで捲し立てられキャスティは言葉少なに返した。女性はそれすらもあまり確認せず、更に口を開き続ける。
「良いもの見せてもらってこちらこそありがとう! まだまだ修行中だから、勉強になったよ」頭を忙しなく揺らし、追従して鳶色の髪が大きく動き回る。「じゃあ、うちはこの辺で。まだ朝食食べてなくてお腹空いちゃった。それじゃ!」
 と言うなり等閑に手を振って、こちらが何か口を挟む間もなく去ってしまった。彼女が駆けた後には踏まれて舞った小さな線のような砂煙が、それも宿場の風に瞬く間に浚われていく。
 嵐のような女性だ、と思った。結局キャスティの問いは彼方に投げられてしまったので、彼女の名前も聞いていない。
 思わず二人で呆然と立ち尽くしてしまったが、背後を通ろうとする商人に邪険にされてようやく金縛りも解け、謝しながらも邪魔にならない位置に数歩移動する。
 大変情けないことに、そこで肩の辺りにある彼女の表情に気付いた。袈裟懸けにかけた鞄の紐を胸元の辺りで抱き寄せている。抑えられた胸元の布地には彼女の名前が縫われている。
「……キャスティ」
 彼女の背後に手を伸ばす。彼女の瞳と同じ色をした澄んだ水色のフードを、そっと頭に被せる。
「良かったな」
 一人の少女を二度も救った。キャスティのことを免責していた男も、同業の女性も、彼女を褒めそやした。記憶を失い一人で投げ出され、過去の己に不安を抱き、それでも前へと歩み続けた彼女の、小さな心の蟠りが溶けた瞬間でもあったのだろう。彼女は言葉もなくただ僅かに頷いた。
 仲間達はまだ日陰で話し込んでいる。どうやらこちらが薬師の女性と話を終えるのを待ってくれていたらしい。しかし、これ以上は仲間達を待たせられない。今日中にはサイの街まで辿り着かねばならず、日中は地下を通るとはいえそこまでの道中は砂漠の外気で今現在も熱されていくばかりである。
 キャスティの背中を静かに押して足を前に出そうとし、
「ねえ、ヒカリ君」
 耳に届く、凛とした声。透き通った声が、ヒカリの鼓膜を叩く。
「時には迷うこともあるかもしれない。でも私は、それも含めて無駄なことなんて一つも無いって思うの。だから、めいいっぱい足掻きましょう。私も……皆も、あなたの希望を信じてるから」
 金に光る油をといたような月が、砂漠の寒夜に浮かび照らすように。
 キャスティがこちらの手を握って歩き出す。皮手袋に包んでいる、自分の手よりも少し小さな手にやや引っ張られる形になって、ヒカリも後に続いた。その先にいる岩陰にいる友たちも気付き、こちらへと向かってくる。
(希望を……)
 内に生息する『自分』のことを彼らには直接的な話はしていない。だがこれまでの旅の中で生じた戦いの中で折に触れてきていて、仲間も勘づいているのはヒカリも知っている。
 昨晩、キャスティと『それ』の間にあったはずのことも、ヒカリは訊いていない。だが彼女がわざわざあの場所で語らう事を選んだ時点で、ヒカリは意見を挟まなかった。心配じゃないと言えば嘘になるが、自分も応えなければならないと思ったのだ。彼女のその心に。
 握られたキャスティの手からは、穏やかで堅固な決意を感じる。ヒカリは強くその手を握り返した。
 決戦は四日後だ。カザンは実際その場になるまで決して自分の計略を話さない。ライ・メイは戦場に来ないかもしれない。リツとの道は、もう交わることは無いのだろう。そして肝胆に住まう『己』に勝てるかどうかすら、今のヒカリには判らない。未来は夜よりも深い闇のようであり、何処までも曖昧なものなのだ。
 だからこそ人は甘い夢を語らい、希望を求め、現実にしようとする。
 ヒカリと呼ぶ、彼女の声がする。
 ヒカリと呼ぶ、友たちの声がする。
 闇の中で誰かが手を引いて、誰かが背を押してくれる。
 それだけで、自分はまだ道を踏み外さないでいられる。
 光の中で、戦い続けていられる。






※ここから言い訳エリア
・どうしてもヒカリにキャスティの肩を抱き寄せさせたいがためだけに書きましたことを告白します
・やみりん(仮称)が表層に出てきている時にキャスティの“雨”の特効薬を飲ませたら撃退出来そうとか思ってしまったことも告白します。そんな虫じゃないんだから……
・酒と薬を一緒に飲んだらいけません(2回目)
・全国のアカラ派の皆さま、マヒナで申し訳ありません
・子ヒカリ時代に人傷付けてて矛盾してるやろ!って言われそうですが、ヒカリ自身のやみりんの存在を自覚しているかそうでないかが決め手になっている、という妄想設定です。
※ここまで言い訳エリア

 前作からの熱量そのままどころかマシマシで書けて大変満足です(挨拶)。

 前の小説でキャスティが自分のことを明かす時に「辛かっただろう」とヒカリが言うシーンがあると思います。
 そこでこう、ぐっと、ぎゅっと抱き寄せてやりたかったんですが流石に万人向けじゃなくなりそうなので止めた結果、自分が辛くなってしまい鬱憤晴らしの場を十秒後に作ったんですが、ひかりんよりもやみりんの方が元気で積極的でした。英雄色を好むとは言うけど、ひかりんが決戦前にいちゃいちゃ出来る人間なわけなかった。心中ではハートでいっぱい装飾され「やみりん」「がんばって」と書かれた派手な団扇を振っている気分でした。

 しかし筆者は恋愛ものを書いたことがほぼほぼ無く、かなり頭を抱えながら書いていました。前回くらいのほんのりレベルなら片想いだのなんだのは書いているので問題無かったんですが。
 だからこそ新鮮で楽しかったってのもある。恋愛が新鮮てお前!

 今回は彼らの旅の終わりがけ、ということもあり、パーティ中の親しい雰囲気を出せていれば良いかなと思っています。
 後オクトラ小説は1から数えて6本目ですが、なんだかんだ言ってオールキャラは初めて書きました。いつも登場人物2~4人くらいの範疇で書いてたので人数多いのって大変だな……うぇへえ……と謎の溜め息を漏らして書いていました。すげー楽しかったけど!

 前回かなりほんのり控え目なヒカキャスだったのであまり語れなくて。
 で、ヒカキャスについて色々と語りたいことはあるんですけど。
 大体の人がキャスティ→ヒカリの「立派ねヒカリ君」で大体脳みそやられていると信じています。これを聞く度に(他者から見るときっと気持ち悪い)笑みが浮かびます。
 それと個人的にはキャスティ編3章のヒカリとの支援会話が最高なんですよね。そもそもキャスティ3章の終わり方が最強なのに、そこで語り掛けてくるヒカリ君ですよ。イケメンかよ。
 逆も然りでヒカリ4章で母親のこと夢で思い出してからキャスティと接するパーティーチャットがあるじゃないですか。最高じゃないですか。

 うわぁ、長文だあ。


 というわけで前回の時に余りまくった熱量を吐き出して作ったので、今回は物凄い速度で出来上がりました。2週間で2万字も書いてて自分でもびっくりです(実際は推敲で+2週間かけてます)。

 因みに今回は推敲時にオクトラ2のBGMを聴きながらやっていました。
昔日 → ヒノエウマ地方 -夜- → 薬師キャスティのテーマ → うつろな記憶 → 悪の奔流 → その集落は砂の行く先 → 背中を押して
 と聴くとなんとなく良い感じかもしれません。


 ちょっと別のジャンルも書かないといけないので、ペースは落ちますが(2作しかないのにペースも何もない)まだオクトラ2は書いていけたらなとは思っています。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。
 もしよろしければ拍手やコメントなどいただけると嬉しくて飛び跳ねます。
23.12.31更新 続きであるヒカリ5章直後のおわりとはじまり 前編 ~ 二人の夢現も良ければどうぞ

拍手[7回]

お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
管理人のみ閲覧
ブログ内検索
カテゴリ一覧
プロフィール
  • HN:
    ヴィオ
    HP:
    性別:
    非公開
    自己紹介:
    ・色々なジャンルのゲームを触る自称ゲーマー
    ・どんなゲームでも大体腕前は中の下~上の下辺りに生息
    ・小説(ゲームの二次創作)書いたり、ゲーム内の台詞まとめたり

    【所持ゲーム機】
    ・SFC GC(GBAプレイ可) Wii WiiU NSw NSwlite PS2 PS3 PS4 PS5
    ・GBAmicro GBASP DS DSlite 旧3DS PSP PSV
    ・ミニファミコン ミニスーファミ PSクラシック
    ・PCは十万円くらい。ゲーム可だがほぼやってない
最新コメント
バーコード
<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- ポケ迷宮。 --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by もずねこ
 / Powered by
☆こちらもどうぞ