ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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オクトラ2作目。
 オフィーリア1章のストーリー進行中にトレサと出逢うSSです。

 オフィーリアの1章の話を知っていれば大体大丈夫です。その他ネタバレはありません。

 では、「聖女の道、輪廻の導き」です。

 ではどうぞ。

1作目 テリオン主人公ハンイットとの出逢いSS。
 【オクトパストラベラー】枷の男はアルテミスに出逢う【小説】
 






 聖女の道、輪廻の導き



 オフィーリア・クレメントは一人、朝の雪原の丘に立っていた。町の象徴とも言える大聖堂を見渡せるこの丘は、どんな時でも自分に無い勇気をくれた。今日は一つの誓いのためにここに来ていた。
 ヨーセフ大司教が倒れたという悲報が舞い込んできたのが昨日の夕方。その悲報は教会関係者や自分、そして何より愛娘リアナに強い悲しみを与えた。十五年前に両親を亡くした自分にとって本当の父親のように接していただいた方だった。今日見た柔和な笑顔は当時引き取ってもらった頃と同じものだったが、痩せこけた血色の悪い頬を見ていると胸の奥がきりきりと痛んだ。
 問題なのは病に伏した大司教の娘であるリアナが明日、教会を挙げて二十年に一度行われる式年奉火の種火を携えねばならないということだった。種火を手にしてしまえば、彼女はこの街を旅立たねばならなくなる。種火を大陸の二ヶ所の教会に注ぐという大役がリアナの肩に掛かってしまうのだ。
 大司教はオフィーリアにだけ自分の命が長くない事を告げたが、それはきっと娘のリアナが一番理解しているだろう。昨晩は彼女がうなされていたのを聞いた。今朝も顔色が良くなく、食事をほとんど口にしていなかった。本当に仲睦まじい親子なのだと、十五年見続けてきた自分はよく知っている。
 リアナを本当に送り届けて良いのだろうか。あの親子には、今という時間が要るのではないか。
 そう思って、出した結論を固めるため、自分はこの丘にいる。この丘は自分の一番の友達であり姉妹である女性が、幼い頃に勇気をくれた場所だ。ヨーセフ大司教に引き取られた時、毎日塞ぎ込んで部屋から出なかった自分を引っ張って外の世界を見せてくれた場所。実の両親を失った時に水で洗い流したように消えていた世界の色を、リアナは少しずつ塗ってくれたのだ。
 背中に差した杖は自分の魔力を引き上げる効果がある。修道衣の下には身体を守るための軽鎧を着ている。どちらも隣街に巡礼を行うために配られる自衛用の武具だ。
(聖火神エルフリックよ……どうか身勝手な決断をするわたしをお許しください)
 天を仰ぐと、目覚めたばかりの太陽が真っ白い大地を目映く染め上げている。
 胸の前に両手を重ね合わせ、オフィーリアは祈った。


 雪と大聖堂の街フレイムグレース。一年のほとんどが雪に埋もれたフロストランド地方は聖火教会の直轄地である聖火教皇領である。二百年前、南東のコーストランド地方からの侵略戦争の時に教会がこの地方に味方をしたのが始まりだという。
 そして優美な炎を表するこの地には、聖なる星の灯が眠っている。聖火神エルフリックがもたらしたとされるその聖なる星の灯、現在その種火があるのは街から少し外れた原初の洞窟と呼ばれる洞窟であった。
 オフィーリアは丘を下り、よろず屋へ向かった。洞窟に行くための道具を揃えておかないと、道中で倒れてしまっては何の意味も無い。戦闘への心構えに関しては、手持ちの武具でなんとかなるだろが、暗がりならばランタンが必要だろうし、念のために食料品等も持っていった方が良いかもしれない。
 頭の中のメモに必要なものを書きながら歩く。まだ朝早いこともあって気怠そうに家の前の雪掻きを行う青年や、古い本を扱う古老の男性は開店の準備に腰を擦りながら埃を掃って、一日の始まりを習慣的にこなしている。そんな彼らに一人ずつ挨拶をしながらまばらだった人が途切れ、壁に這っている蔦がまた伸びたなぁと不気味な様相になりかけている空き家を横目に通り過ぎた時だった。
「――っと、あなたが頭からぶつかってきたんでしょうが!」
「あんたがこんな狭い道ででけぇリュック背負ってよちよち歩いてんのが悪いんだろうが!」
 どうやら聞こえてきたのは男女の言い争いのようだった。聞こえて来た方角――人通りのない路地を駆け出し、十字路のところですぐに現場を目にすることになった。オフィーリアは迷うことなく仲裁に入る。
「何事ですか!?」
「お、オフィーリア様」皺が顔に刻まれ始めた中肉中背の男性がすぐに反応した。自分の名前を知っているということはこの町の者なのだろう。分厚いインバネスコートや手袋、長靴、ホットシェルといった身なりはフレイムグレースでは一般的な外出時の格好だ。彼は眉を吊り上げて足元を指差した。「そ、その、この少女がわたしにぶつかってきたんですよ」
 一方で視線を下に向けると巨大なリュックを背負った少女が雪の上に座り込んでいた。彼女はオフィーリアよりは年下に見え、腰まで届くようなカパを羽織っているが、他に寒さを凌げるようなものは身に付けておらず、剥き出しになっている膝小僧は雪に沈んでしまっている。背中には少女の上半身と同等以上のサイズのリュックサックが背負われている。更に紐が幾重にも縦断して縛られていて、どうやらリュックの上にあるぐるぐると筒状になった布が固定されているようだった。頭にかぶったウロッシェ帽には手の平よりも大きな黄色い羽根が飾られている。十分な防寒とは言えないその恰好と頭の羽根から恐らくこの街に来た商人だろうという事は理解できた。この年頃の少女が一人で商いをしているのだろうか、それともご両親が宿で待っていたりするのだろうか。
 そんな事を考えているうちに、少女も中年男性に負けじと指を差して食いかかっていた。
「何を言うのよ! おじさんだって全然回りも見ずにすたすたと突っ込んで来たじゃない!」
「あんただってよそ見してただろ!」
「自分の事を棚に上げて話すのは良くないわよ、おじさん!」
「そっくりそのまま言葉を返してやるよ!」
「あ、あの……」
 売り言葉に買い言葉。閑静な景色とは裏腹に、二人の諍いは加熱し始める。
「なによ!」
「なんだと!?」
 今すぐ取っ組み合いを始めてしまいそうな二人を見て胸に当てた拳をぎゅっと握りしめた。
(……リアナならこういう時にどうするのかしら)
姉妹のように育った女性を思い出す。偉大な父を持つという点で周囲から期待をされているにも関わらず、嫌味も嫉妬も全て払いのけて勉学に励んできた彼女。快活で、懇篤で、だけど少しの強引さで自分や周りを引っ張ってきた。引きこもりがちだった幼い自分を引っ張って外へ連れ出してくれた彼女なら。
 きっと、彼女なら。
「き、聞いてください!」
 自分が出せるぎりぎりの声量をこの場に響かせ、飛びかかりそうな二人を制止させる。向かい合っていた四つの目が驚きを浮かべたまま今はこちらを見ている。
 オフィーリアは小さく深呼吸をして、言葉を紡いだ。
「どちらが先にぶつかったかではなく、まずはお互いが謝りましょう。お怪我や損害が無いのでしたら手を取り合って思いあえば嫌な思いをせずに済みます!」
 そこまで息継ぎもせずに言い切って、もう一呼吸。胸に当てた手から振動が伝わる。二人の表情はまだ変わらない。
「わたしが確認することは、お二人にお怪我が無いかということです。痛みがあるところは治療いたしますから」
 そう言ってまずは男性に歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ」
 金縛りから半分解けたように答える男性。
 それから少女に。
「立てますか?」
「あ、うん……」
 目を何度かしばたたせ肯定する少女に右手を差し出した。少女の冷えきった手を握ったところで後ろへ重心を持っていって引っ張り……あげられなかった。彼女が足を地に付け立ち上がろうとすると、どすんと尻もちをついてしまったのである。「いたっ」少女はしばらく悶絶をしていたが、「い、いつもはちゃんと持ちあがるんだけど、雪って滑るのね……」と力なく漏らした。どうやら身体の痛みよりも自力で立ち上がれないことの方がショックらしい。
「ほら、手を取りな」
 一言のもと、オフィーリアよりも大きな手(手袋で更に一回り大きく見える)が彼女を支えて、危なげながらも商人の少女は立ち上がることに成功した。少女の身についた雪をオフィーリアが落としている間に、男性は足元に転がっていた古びた手帳の雪を払って少女に差し出した。
「その、悪かったよ嬢ちゃん」
 少女は小動物のような大きな瞳をぱちくりとさせたが、差し出された年不相応な手帳を大切そうに受け取った。
「ううん、あたしも言い過ぎだし、おじさんの言う通りこれ見て歩いてた……よそ見してたのも本当だから。ごめんなさい」
 向かい合って先程まで喚き散らしていた人物同士が頭を下げている。この平和な光景に、オフィーリアはほっと胸を撫でおろす。少しでも困った人がいたら助けたいし、そのきっかけになりたい。その誓いを、果たせたから。
「いやー俺も娘と喧嘩しちゃってさ……」と男性がホットシェル越しに頭を掻きながら苦笑する。「周り見てる余裕なかったのは俺もだ」
 口にしてから、他人に話すことじゃなかったなと男性は手をひらひらさせて、そのまま立ち去ろうとする。しかしそんな男性の後ろ姿に少女は飛びついた。
「おじさん、もしかして娘さんって、あたしくらいの人なの?」
「……ああ」
 言葉は少し不明瞭だったが、どうやら先程と同じ照れ隠しから来ているらしかった。大層愛されている娘さんなんだろうなと微笑ましくなる。
「うーん。それなら……あ、これなんてどうだろ?」少女は綺麗にしたばかりのリュックを下ろして雪の上に乗せると開けてごそごそと漁りだした。鮮やかな装飾のついた布や鞘に収まった武器等がごちゃ混ぜに入っているのがオフィーリアからでも見える。探し物なら手伝おうかと喉元まで言葉が出かかかったところで少女が声をあげた。「あ、あったあった」
 男性に伸ばした手の上に乗っていた物は手の平に収まる程度の小さな飾りだった。花の形をした金属製の物のようだ。中心を通る茎には穂状に三つ、壺のような形をした白い花弁がついている。
「これは……すずらんでしょうか?」
 寒さが和らぐ季節にフロストランド地方で良く見る花だ。文字通り鈴のような花がとても愛らしく、また香りも良い植物だ。
 少女は頷きながらまた鞄の中に手を入れて、言葉を続ける。
「そう、すずらんのブローチよ。すずらんの花言葉にはね、『幸せが再び訪れる』っていうのがあるの。フロストランド地方で雪が降らない季節にすずらんって咲くでしょ? 寒い時期を乗り越えて暖かな季節がやってきた喜びが込められた花言葉なの」
 少女は勢いよく立ち上がるとそのまま男性の手を取り、彼の手の上にすずらんとシンプルなレースがついたハンカチを乗せた。
「あたしもおじさんに言い過ぎちゃったし、お詫びとして。おじさんの娘さんにプレゼントしてあげて」
 曇りなんてない二つのエメラルドはこの太陽の届かない路地でも判るくらい輝いていた。男性を直視し、返事を今かと待っている。しかし男性は対照的に視線を泳がせ言葉を濁す。自分もきっと似たようなものに違いない。
「でも……お嬢ちゃんその恰好は商人なんだろう? タダで物を貰うってのは……」
「タダじゃないわ」間髪入れずに少女は言った。「あたしのお詫びの気持ちにそれだけの価値がある」
 男性はまだ何か言おうと口をぱくぱくさせていたが、やがて手に乗せられたすずらんをそっと握りしめた。
「……ありがとう、気を使わせて悪いな、嬢ちゃん」
 少女の頭を男性が撫でる。少女は大きな手を不機嫌に振り払おうとするが、当然年頃の少女が中年男性に腕力で勝てるはずもなくされるがままに帽子をくしゃくしゃにされる。
「ちょ、子供扱いしないでよおじさん。これでも立派な商人なんだから!」
「そうだな、立派だ立派!」
「だから子供じゃないってば、もう!」
 その様は確かに仲の良い父娘を見ているようで、オフィーリアには空の星のように眩しく映った。見失う事のない明星は、絶対に手が届く事はない。だが、自分がその光景に対して抱くのは憧憬でもなく羨望でもなく、多幸感だった。
 大人になればなるほど、自分がどれだけ恵まれているかを知った。親を亡くした子供が皆家庭に引き取られるわけでもない、その先が幸せなものとは限らない――教会に勤めて、町の人の祈りを聞いて、知ったのだ。だから自分が出来るだけのことはやろうと、そう思い続けている。一人でも多くの人に、今見ているような幸福な景色の一員になってほしいと。
「オフィーリア様もありがとうございました」
 インバネスコートにブローチを仕舞いながら男性は礼をする。少女もまたリュックを背負い直す一連の動作を終えたところでこちらに振り向いて男性に倣う。
「あ、あたしも。ありがとうございました、あのままだと最悪な気分で街を出るところだったし」
「いえ、そんな。当たり前のことをしただけです」
 オフィーリアは二人から賛辞を受けることを、神官として当然の事をしたからと拒みながら早足でその場を退場する。背中に二つの視線を感じたが、路地を抜け次の道を右に曲がったところでそれも感じなくなり、当初の目的であるよろず屋へと急いだ。


 街の外で見る雪はいつもと少し違って見えた。誰にも踏まれることの無い、ただただ純粋な白。重力とご機嫌な風に遊ばれながら無秩序に、何にも縛られずに雪がちらついていた。
 原初の洞窟は街を出て三十分程のところにある。オフィーリアがよろず屋へ寄っている間に太陽が輝いていた空模様は一変し、瞬く間に粉雪が舞い始めた。雲行きからして荒れることは無いだろうが、頬を叩く風は冷たい。
 神官服の上に白地で厚手のコートを羽織ってフードを被り杖を握る手は祭服用の手袋を外し、ウールで出来たものを嵌めた。雪道を上るためにソールに滑り止めのついた靴を履いてきた。これだけでも普段この地で暮らすオフィーリアには十分耐えられる寒さと装備だ。また、道具は全てヒップバッグに入れてあるため、仮に足を滑らせても杖や手を使って身体を支えることは出来る。
 幸運にも道中で魔物とほとんど遭遇することがなく、山の中腹の分かれ道に辿り着く。ここから人造の階段を下れば、洞窟が見えるはず。
 問題は、洞窟前の門番をどうするかだが、これは明日の式年奉火の準備で急用があるという体で乗り込むことに決めている。演技力というものがないのは解っているが、他に選ぶ道も無い。教皇聖下の文のような物的証拠があれば良かったのだろうが、独断で動いているオフィーリアにはただのたられば話に過ぎな――
「…………うぅ……」
 今、何か視界の端にここで映るはずの無いものが映ったような。
 何かここで聞こえちゃいけない声が聞こえたような。
 一瞬頭の中が空白になったが、慌ててその見えるものに駆け寄る。一抱えあるような布袋の下からどうやら何かの呻き声が聞こえているらしい。一方向に巻かれた紐は布袋の側面にあるぐるぐると巻かれたまた別の布が……ってあれ?
「大丈夫ですか!?」
 重たい布袋、いや、リュックの上からオフィーリアは呼び掛けた。
「う、うーん……そのこえ、あさのしんかんさん……」
「そうです、オフィーリアです! 立てますか?」
「りゅ、リュック重い……」
 声の主はまるで芋虫のように頭や足を上げてはすぐに力なく四肢を伸ばしている。オフィーリアはなんとか主の協力を得ながら布で出来た重石を退けることに成功させた。
 オフィーリアの杖を支えにかろうじて立ち上がった少女は少々ではあるが顔色が悪く衰弱していた。道の脇にこの場にいる二人でようやく抱けるくらいの木が生えていたため、その下で二人で少し休憩することにした。オフィーリアは自分のコートを少女に掛け、ヒップバッグに入れていた水筒から温かいコーンスープを取りだし少女に飲ませた。そこで初めて少女に名前を訊くことが出来た。
「トレサ・コルツォーネよ。神官さんは……オフィーリアさん……だよね?」
 南東のコーストランド地方から一人で旅に出ている最中らしい。コーストランド地方といえば漁業や商業の盛んな港町が多い。彼女が商人であることは身なりと今朝の会話で十分理解できるが、この歳で一人で、というのは驚きだっが見聞を広めるために同じような歳で旅をする者も少なくないのだという。
 そして、彼女は今いる雪国を抜けてウッドランド地方のシ・ワルキに向かうところだったと告げた。
「フレイムグレースから隣町への雪道ってこんなに危険だと思わなかった」
 と言うのが彼女の言い分である。黄色い羽を押さえながらぶんぶんと帽子を振り少女は口を尖らせて。
 少し訂正を躊躇われたが、黙っていても何か生み出すわけでもない。
「あの……この道は隣町に行く道じゃありませんよ」
「え」
 帽子を振り回していた手がぴたりと止まる。西フレイムグレース街道は確かに西に続く狩人の村に続くが、その前に北フレイムグレース街道を通らねばならない。この道は街の東側にある上に原初の洞窟以外に目ぼしい場所に繋がっているわけではない。ここら一帯は雪が積もったまま放置されていることが多いのだ。
 そういった旨を説明をするとトレサは脱力して肩を落とす、と同時に彼女は至極真顔でオフィーリアを見つめた。
「じゃあオフィーリアさんはなんでここに来たの?」
 とくんと胸が鳴った。自分でも顔がひきつっていることが解る。今から独断で原初の炎を取りに行くということは誰にも伝えていない。当然だが彼女はこちらの都合なんて知らないはずだ。何の関係もない今日会ったばかりの少女に事情を話して巻き込んで良いなんてのも到底思えない。今朝、丘の上で誓ったのだ。何があっても一人でやる、と。
「教会の儀式で急用があるんです。なので、一般の方にお話出来なくて……すみません」
 それだけ言うのが精一杯だった。これ以上話すと聖火教会の内部事情に触れてしまう、という風に解釈してくれれば、オフィーリアにとっては好都合だった。実際にトレサの返事は「あ、ごめんなさい。聞いちゃいけないことだったのね」と申し訳なさそうに帽子を口元に当てて、それ以上追及してくることはなかった。
 妙な沈黙の間にも雪が周囲を脱色させていく。空は朝だというのに時間の判断しづらい中途半端なねずみ色で地上をゆったりと照らしている。街を出たときと比べて風が幾分か落ち着いてきており、人も通らないため耳から入ってくる情報は限られていた。街の喧騒や教会の荘厳な静けさとはまた違い、ここだけ時間と空間が切り取られていてこの世界に二人しかいないような奇妙な錯覚を覚える。こんなところでこれ以上会話すると自分はいずれ弱音を吐いてしまうかもしれない。
 それを察したのかどうかは判らないが、彼女はそれ以上の会話を必要とすることは無かった。「身体あったまったし、街へ帰るわ」と彼女はリュックの側面についた小ポケットから石の欠片のようなものを取り出した。
「オフィーリアさん。お礼にこれもらってって」
 一方的に手を取って握らせてくる。青色の水晶の破片のように見える。食器を割った時のガラスの欠片に見え、その決まりの無いいくつもの平面にトレサの顔と自分の顔が写っていた。覗き込むと欠片の向こうに見える世界は青がかって見えた。彼女によると氷の精霊石といって、飾ったりアクセサリーとして使う者もいるが、魔法のかかった戦いの場でも使える道具なのだという。
 しかし、自分は神官という立場である。人から何かを貰うというのはあまり良いとは言えない。最初に会った時と同様に断りを入れようとすると、先手を切ってトレサは手を引いた。
「返品はダメ! ここで受け取ってもらえなかったらまたずっともやもやした気持ちを抱えなきゃいけなくなっちゃう。値段の問題じゃないけど、見た目ほど高い品でも無いし」
「でも……」
「でもは禁止」
「その……」
「そのも禁止!」
 無意味な応酬を続けるも、トレサは両手を背中に回したまま顔色を一つ変えない。どうやら彼女はかなり頑固らしい。オフィーリアは折れるしかなかった。
「……ありがとうございます、トレサさん」
 トレサは木を支えに立ち上がり、オフィーリアが貸していたコートをこちらの肩に掛けながら「こちらこそありがとう、オフィーリアさん」と返事をする。コートに腕を通しながら手にした欠片はそのままコートのポケットの中に宝物のように仕舞い込んだ。
 坂道を下っていくトレサを見送って、オフィーリアは改めて原初の洞窟を目指す。


 左手に持った杖を握る力が自然と強くなる。右手に掲げているランタン以外の光源は明日来るはずだった来訪者の為に用意されているかがり火が点在しているだけで、十分とは言えない。この火は通常の火を焚いているものと違い、魔法を扱える者が炎を模して作った幻のようなもので、近付いてもにおいや熱さを感じなければ、触れてもすり抜けるだけだ。明るさも本物のそれと比べると軽少であるため、手元のカンテラで少しずつ先を照らしながら歩を進めていく必要があった。一歩、また一歩と今いる場所よりも低い場所に向かっている。石ころや不意な凹凸に気を付けながら、洞窟内になるべく足音が響かないように歩いていた。天井は意外と高く、自分の身長を超える杖を掲げてようやく届く程で圧迫感は無い。空気は洞窟内だというのに不思議と澄んでいて、冷気も届かないため外よりも暖かく、オフィーリアは防寒用に付けた手袋を外し普段身に付けているものに変えた。
 洞窟に入ったときから感じていた気配が奥に行くほど徐々に強くなるのをオフィーリアは感じていた。原初の洞窟に入るのは初めての事だが、ここが普通の洞窟と比べ異質であることはすぐに判った。人の目よりも更に鋭く、身体を射抜いてくるような気配を四方から感じる。自分はきっと試されている。儀式を行うのに相応しい人物であるかどうか。聖火に触れても良い資質があるのかどうか。一挙手一投足、一呼吸ですら注目されている。
 どれくらい歩いただろうか、何度目か大きく右に曲がったところで地面は長方形の石を敷き詰めた石造りの床へと姿を変え、開けた場所に出た。
 そこは洞窟の中とは思えない程に明るく、そして広く感じる。高さも先程まで歩いていた通路の倍はある。この空間には何か超常的な力がはたらいているのだろうか。
「あ……」
 思わず声が漏れ出る。
 確かにその光はあった。広間の奥でフレイムグレースの大聖堂で祀られている炎と同じ色で音もなく燃えていた。青と白が乱れ、ここら一体を照らす聖なる灯。炎が収められている台座は緻密な幾何学模様が施されている。
 とうとう辿り着いてしまったという気持ちは、しかし決心の前に立ち塞がる事は無い。
 広間を迷わず真っ直ぐ抜ける。台座の十歩手前までは人が一人歩ける程度の細い石造りの通路と、数段の階段があった。
 オフィーリアは通路の前で膝を折り手元のランタンを吹き消し、ランタンも杖も地面に置く。オフィーリアは一人祈る。儀式の手順は全て頭に入っている。寝る前にリアナの練習に付き合って教皇聖下や大司教の代わりのマネキンにさせられるのが最近の日課だった。また、幼い頃から教会の文献に読み耽っていた事もあり、式年奉火に憧れてこっそりと真似していたこともある。
 頭を垂れたまま、心臓がゆっくりと、二桁を超える脈を打った頃だった。
「汝は原初の炎より採火を望む者か?」
 声が、聞こえた。
 男とも女ともつかない性別の壁を越えた何かの声はゆったりとだが明瞭に言葉を紡いでいて、声は聞く者を納得させる威厳があった。教壇で教えを説く、教皇聖下のように。
「……はい、望みます」
 祈りの為に重ねた手が、震えている。それでも、即座に決意を込めた声でオフィーリアは答えた。
「我は原初の炎を守護せし者」
 この広い空間に響く声は余韻を伴って二重にも三重にも聞こえる。
 そういえば、聞いたことがある。文献にも残っておらず練習でも認識は出来なかったが人の口に戸は立たないのか、誰かが話していたのを聞いた事がある気がする。
 ――式年奉火にはエルフリック神に認められるための試練があるらしい、と。
「“運び手”とならんとする者よ」
 背後に強大な気配を感じ、オフィーリアは杖を取り、振り向いた。
 先程まで何もいなかったはずの場所に、それはいた。それは人型をしていた。オフィーリアの背の二倍はある。聖火の台座と同じ幾何学模様が全身に描かれ、薄っすらと秘色に明滅していた。人間の丁度顔にあたる部分にも実際の人間の頭部の四倍くらいの石の塊があり、模様の筋は縦に二本並びて目のようにも見える。腕と思しき左右にただ重力に従って垂れている石は地面に付くほど不釣り合いに長い。一繋がりで右腕には剣、左腕には盾のような形をした石がついていた。
 石造りのゴーレム。試練。
「その資格――ここに示せ!」
 言下、流暢に振り上げられた作り物の腕がオフィーリアの脳天に届く前に、神官服を翻しゴーレムの後ろに回り込む。岩と岩の鈍い破壊音が耳をつんざく。振動が洞窟を揺るがす。一瞬までいたその場所は石畳を大きく抉り取られていた。
 試練、というからには戦わないといけないのだろうか。さっきまで冷めていた身体が急に火照りだす。ゴーレムの背後には青白い炎が絶えず光っており、まるで後光のようにも見えて畏怖を覚えそうになる。
 認めてもらうには相応の力を示さなければならないのだ、と杖を握る手に力を込めオフィーリアは咄嗟に杖を掲げた。先端が直視できない程の光を放ったかと思うと、尾を引きながらゴーレムの右肩に飛んでいく。見るからに長さのある武器、あの腕さえ落とすことが出来れば確実に相手の牙を削ぐことになるはずだ。
「そんな……!」
 確かに質量を伴ってぶつかったはずの光は、しかしゴーレムに当たった瞬間に拡散してしまった。巨体が揺らいだ様子は全く無い。聖火教会の神官に伝わる魔物を浄化するための聖なる光は、聖なる神の僕には効かないのだろうか。だとしたら倒す手段なんて……。
 ゴーレムはそれまでの間止まっていたと思いきや突然、床を粉々にした右腕はそのままに旋回する。咄嗟に杖を構えたが巨躯からは想像できない速さで地面を抉りながら一帯を薙いでその勢いでオフィーリアをあっさりと吹っ飛ばした。杖で受け止めたため直撃はしなかったものの左肩を地面に打ち付け、一瞬息が詰まる。寝転がっていればすぐにあの腕の餌食になってしまう、まだ打撲程度の軽傷。杖を支えに立ち上がる。
 石の塊へと視線を送ると、ゴーレムはまた微動だにしなくなっていた。何かしらの動きを実行してから次の行動までに多少の時間が必要なのかもしれない。全く動かない時間というのは不気味ではあったが、その間にオフィーリアは思考を巡らせることが出来た。
 きっと闇雲に攻撃しては駄目だ。歴代の式年奉火を行ってきた者の姿を肖像画で見たことがあるが、佳人で聡明な方々ばかりだったが、腕力があるようには見えなかった。ただ物理的な力を試すだけが試練では無いはずなのだ。
 焦ってはだめだ。怖がってはだめだ。混乱しかけていた頭を冷やす。
 相手をよく、見極めなければならない。ゴーレムは何を元に動いていたかを考える。基本的には魔力を与えられて動いているはずだ。心臓のようなエネルギーを供給している場所があるはずだ。力が収束している場所が、必ず何処かにあるはず。
「集中して……」
 石の人形の動きを、オフィーリアは凝視する。今はまだ止まっている。何本も枝分かれしているあの光に何か、規則性は無いか。何か……、
 突然ゴーレムが機敏な動きで腕を掲げた。腕についている剣や盾の形をした石も頭上へと伸びる。身体が身震いした。恐怖からではなく、寒さでだ。洞窟内はさほど寒さを感じなかったはずなのに、という疑問は目の前に現れた膨大な熱量によって昇華される。ゴーレムの両手の間に炎が起こっていた。恐らく、周囲の熱を吸収している。
 金属を擦り合わせたような不快な音が耳に届いた。ゴーレムの模様がより一層明滅する、と同時にその音も高さを変える。凝視する。幸運にも光の度合いが激しい場所はすぐに見つけることが出来た。盾のような形をした左手の手のひらにあたる部分。そこだけ模様に違和感があった。どこも何本もの紐が好き勝手に形を取って出来ているのに、そこだけ真珠で型を取ったかのように丸かった。もしかすると、そこが心臓かもしれない。
 短時間の集中でオフィーリアが手にした杖の先が光る。左手を前に突き出し、相手の攻撃を待つ。
 待つ、という程の時間もなく、それはやってきた。
 ごっ、という……敢えて言うならば崖から身を投げればこれくらいの風圧を耳が感じるかもしれない、という音がして。
 巨人が、オフィーリアの目前で跳ね返った火球に当たりぐらつく。
 頭上に両手をあげたままの姿勢でゆっくりと、背中から傾いていく。ゴーレムが剣を振り下ろした時とは比べ物にならない振動が起こり、何度かたたらを踏んだ。
 無防備になった石榑が動き出す前に駆け寄った。自分の読みが確かならば、この巨体のうちの左手にあたる箇所さえ破壊すれば機能を止めるはずだ。
 意識を杖の先へと持っていく。また白い光が集まり、そして月明かりに照らされた水溜まりのような淡い青色に吸い込まれ弾けた。
 それはすぐに始まった。川のように流れていた幾何学模様の光は色合いを失い、奇妙な甲高い音は聞こえなくなる。一秒、二秒……料理が焼き上がる時間を待つよりも、オフィーリアがかくれんぼで隠れたきり夜になるまでリアナに見つけられなかったあの時よりも長く待ったような感覚がした。知らずに止めていた息をゆっくりと吐き出した、その時だった。
 異変は唐突に訪れた。
 石の塊の上方から星が、生まれた。
 星のように輝く炎が。
 夜空に輝く青白い星が。
 流れて――降ってくる。
 咄嗟にオフィーリアは手を突き出した。教会に勤める神官に伝わる、相手が放った魔法の力を跳ね返す反射のヴェール……先程ゴーレムの火球を跳ね返したその技は、唐突な攻撃を防ぎきれず不完全だった。絹のような壁を切り裂いて、肌を焼く熱風がオフィーリアを襲った。
 刹那の颶風はオフィーリアの身体を浮かす。少し遅れて背中から叩きつける衝撃があった。同時に右腕に何かに押さえつけられるような激痛が走る。焦げたようなにおいとからんという杖が転がる軽い音が妙にはっきりと感じ取れた。熱さと痛みの区別が全くつかない。動かない身体の中でこの場にないのであろうかと疑ってしまうほど脳だけがやけにはっきりと冷静に結論を出していた。
 ゴーレムの要となる場所は一ヶ所だけじゃなかったのだ、と。
 でなければ、この痛みは、なんだというのだろう。
 この地響きはなんだというのだろう。
 規則的な音と振動で何かが近付いてくるのが解った。視界には石畳と洞窟の壁や天井がおぼろげにしか見えないが、聖火や洞窟の仄かな明かりが迫る影を知らせていた。
 ……思えば自分なんかがリアナの代わりを務められると思ったこと自体、厚かましいことだったのかもしれない。
 リアナに言われたことがある。オフィーリアはいつも一人で抱え込んじゃうんだから、と困ったように笑っていた。でもそれはリアナだって同じだ。リアナとはしゃいで走り回っている間に教会の食器を割ってしまって二人で謝ろうって言った時も一人で自分のせいだと言って謝りに行ってしまったり、捨てられた子犬を教会で世話出来ないからとこっそり二人で世話をしていたら大雪の次の日にいなくなってしまって、リアナは良い人に拾われたんだよと言ってたけど、その後教会の墓地の隅の方に手作りで不恰好なお墓が出来ていたことを知っている。
 リアナだって、オフィーリアから見たらいっぱい無茶をしてるのだ。だから助けになりたいってそう思った。だから今日この場にいるのだ。
 でも、初めて、今日後悔をした。
 今日、嘘を沢山吐いたから、エルフリック神のお怒りを買ってしまったのかもしれない。
 それに何しろ、貴方から賜った聖火をわたしは奪おうとしているのだから。彼女のためと言いながら、本当は自己満足のためだったのかもしれない。あの父娘に離れてほしくない、そんな自分勝手な理屈が通るはずが無かった。
 床と壁が映っていた視界は、気付けば聖火と同じ色の青い筋を持った石の物体が支配していた。
 石でごつごつしたその身体は文字通り無機質で、しかし、幾何学模様の奥の秘色の光は何処か血管のようにも見え、その歪さが、とても怖くて目を瞑る――
「――オフィーリアさん!!」
 最初は、頭の中で再生された声なのだと思った。
 つい先刻に街へ帰ると言ったはずの少女に名前を呼ばれた。そんな事、あるわけない――
 突如として風が起こる。感じると思ったはずの痛みはなく、頭上の風は吹き続ける。
 怖々と目を開くと、轟音と地響きと土臭さと土煙が五感を支配した。上手く目は開けられないが、どうやら石榑の人形が突風に吹かれてひっくり返ったのだと理解するのに少しの時間が必要だった。
「オフィーリアさん! 石を投げて!」
 煙で視界は奪われているが、背後からまた声が聞こえた。
 石。……氷の精霊石。
 オフィーリアはコートのポケットに急いで左手を突っ込んだ。欠片は、すぐ指に触れた。目で確認はせず、茶色の煙の中に投げ入れる。
 ガラスを割った音だ。昔、リアナとはしゃいでいて食器を落とした時の音。そんな平和な光景が頭の中を一瞬通り過ぎたが、意識は冷気によって現実に戻される。砂埃ですらも凍って落ちたのか、目に入る情報が途端に鮮明になる。
 氷が石の巨躯を覆っていた。その下でもあの金属を擦り合わせたような不快な音が聞こえる。より意識を集中させると、音は首の辺りから聞こえてきた。こんなことになっても、ゴーレムは己の使命を果たそうとしていた。
 せめて、眠りは安らかに。目を閉じ、黙祷を一瞬。
 ゴーレムの首にあたる部分に意識を寄せて、氷の膜を割って光の筋が走っていく。やがて巨体の内側のあちこちから光が漏れ出した。継ぎはぎだったいくつもの石もまた白く光り出し、氷の精霊石で作った氷の小山と共に星の数の砂になって霧散する。その景色は何処か幻想的ですらあった。巨人の見てくれは石だったが、それすらも魔力で造り上げた幻に過ぎなかったようだ。
 空気に混じって消えていく石の守護者を見送りながらオフィーリアは大きく息を吐く。と、さっきまであった圧迫感も息苦しさも無い。
「……痛くない……?」
 今まで緊張で麻痺していた痛みも砂塵と一緒に飛んでいってしまったのだろうか。身体の火傷や擦り傷は消え去って、思い通りに動かすことができる。だが黒焦げになった手袋や砂にまみれた服はそのままで、ここに来たときと違うのは自分が戦火の中を歩いてきたような服も髪もぼろぼろな様相だけだった。ゴーレムに木っ端微塵にされたはずの床も、来たときと何も変わらず隙間なく長方形の石が埋められている。転がっている杖だけがやたらと浮いて見えた。
「オフィーリアさん、大丈夫?」
 身体より大きなリュックからがしゃがしゃと音を鳴らし、スカートの裾を翻しながら少女が駆け寄ってきた。原型を留めていない手袋を見てさっと彼女の顔が青ざめてしまう。
「だ、大丈夫じゃないよね!? ここ焦げてるしここも破けちゃってるし……ってあれ、血とか、爛れてる感じは無い……?」
 訝しげに眼を細め凝視してくるので、なんだか自分の恰好が少し恥ずかしく感じてしまって焼けた手袋を逆の手で押さえながら、
「どうやら治していただいたみたいで」
 彼女の頭の中に疑問符がいっぱい浮かんでいるのが解ったが、自分だって疑問符の数なら負けていない。今この場の一番の問題は自分の怪我が完治していることじゃない、と強引に話をすり替えた。
「どうしてトレサさんがこの場所に……?」
「あーえーっと……」
 少女はエメラルドの瞳を気まずそうに明後日に向けるので、回り込んで視野に無理やり入り込む。それをもう一セットやったところで、
「そ、その。怒らないでね、オフィーリアさん」
 と観念したように顔元に両手を上げる。
「お、追いかけてきちゃった」
 帰ってきた返答は至ってシンプルだった。彼女はフレイムグレースに戻って、それから西を目指すと言っていたという事実と異なることはとりあえず置いておいて、そもそもこの洞窟は教会関係者でも容易に入れないはず。自分がこの場にいるのも、明日の儀式に関して急を要するからとオフィーリアなりに必死さを醸し出した演技で入れたのだ。残された最後の可能性を提示してみるが、
「教会関係者で偉い方……だったりします?」
「まっさか! ただの平凡な商家の生まれよ」
 ふわふわとウロッシュ帽についた黄色い羽根が揺れた。確かにそれは商人の証であって教会のシンボルではない。
 視線を落として考え込んでいると、トレサは気まずそうに口を開いた。
「あー……もしかして手を出したらまずかった……です?」
 何故か突然敬語を使われて萎縮しだしたので、慌てて両手をぶんぶんと振ってすぐさま否定する。「あ、いや! その大変助かったのです……が……」しかし言葉尻が萎んでいく。一つの疑問がさっきから頭の中を離れない。「試練は一人で乗り越えなくて良かったのかなと……」
「し、試練!? あ、そういう話なの!? え、えーっと……」
 壊れたからくり人形のように地団駄を踏んで頭を抱えて一秒起きくらいにポーズを変えながら「そうよ!」と突然顔を上げた。
「そ、そう! 心配してこうしてついてきてるあたしみたいな人がいる事って、それだけで強さになると思うのよ。腕っぷしだけが強さじゃない! 仲間がいるから強くなれる! それが試練の答えよ!」右から左に暴走した馬のごとく流れていく言葉。だけどその明け透けな言葉は、不思議とオフィーリアの奥底に注がれたペンキのように染み込んでいく。「オフィーリアさんは、もっと自分の事をぱーっとさ、曝け出しても良いと思うのよね」
 それは、遠い昔に感じた灰色の世界に色をつけてくれた一人の義姉妹を彷彿とさせる。
 自分の事を……曝す?
 そんな事、考えた事もなかった。
 いつも自分が声を張り上げたり行動するのは、他人のため。西に悩んでいる人がいれば話を聞いて、東に迷子がいれば駆け寄って親を探す。それは誰かに支えられてきたから自分も支えたいというものだった。
 だが、自分の世界はそこで収束してしまっていた。それで精一杯だったのかもしれない。自分の事で迷惑をかけられないって、必死になって。今朝彼女と出会った時だってきっとそういうことを囁く自分がいて、他人からの感情を拒んでいたのかもしれない。
「――その通りかもしれません」
 だったら、なんて身勝手なんだろう。なんて我が儘なのだろう。
 まだ何か言おうとして水面の金魚のように口の開閉を繰り返していたトレサがぴたりと止まる。
「わたしは人は一人で生きていけないことをよく知っているのに、誰にも助けを求めたりしなかった。自分だけでなんとか出来るって思ってました。でもそれはおこがましいことだったんです」
 自分に必要だったのは、自分の弱さを認める強さだった。弱みを気振りにも見せないことが強さだと思っていたが、そうではなかった。
「そして後悔をしてしまった。一人でいることを。誰にも打ち明けないでここにいることを、嘘を吐いてきたことを……ありがとうございます、トレサさん。大事なことを思い出させてくれて」
 目の前の少女に礼をすると少女ははにかんだ。エメラルドの瞳は相変わらず澄んでいる。
「いや、その……お礼言われるほどでも……でも、良かった。あたしが最初にオフィーリアさん見た時よりもずっと良い笑顔してる」
「そ、そうでしょうか……?」
「うんうん、美人さんは笑ってないとねー」
「も、もう、トレサさんっ!」
 少女のからかいを背にこの場に来た時と同じように、階段の下で跪き頭を垂れる。
 わたしは、支えたい。
 自分の家族を。そして、自分自身を。
「オフィーリアよ、汝を聖火の運び手として認めよう」
 やがて響いた威厳のある声は試練の前よりも心持ち穏やかで、出した結論を包み込むように肯定したものだった。
「祭壇の採火燈を手にせよ」
「……はい」
 オフィーリアは天上の色をした星の炎へと歩を進めた。


+++++


「本当に良いのですか?」
 雪国の朝日を拝むのは二度目だが、空からの光を受け止めて反射するこの光景は港町に負けていない。きっと雪国は雪の中に、海は水の中に星がいっぱいあって、太陽の恵みの光をめいいっぱいの力でお返ししているのだ。
「そんな何度も確認しなくても、むしろあたしが訊くところよ、オフィーリアさん」
 新調した雪道用のスパイクのついたブーツを踏みしめる。見た目はシューレースがついているお洒落なレースアップブーツなのでフロストランド地方を抜けた先でも使える物である。雪道で滑るのは良いとして、その衝撃で商品が壊れたり、踏ん張ることが出来ずリュックを背負えなくなるという商人としてのプライドが大層ずたずたになった気分を二度と味わいたくないという理由で手に取ったが、確かに地面を踏む感覚が全然違う。鳥みたいに小刻みに歩かなくても良いし、不意の横滑りトラップに気を遣わなくて良いというのはなんと素晴らしいことだろうか。
 そんな解放感に包まれながら、婉然と歩く隣の女性をちらりと見やる。フレイムグレースの神官である女性は、周囲の雪の眩しさに負けない白い神官服を纏い、その上から同じく白いポンチョを羽織っている。腕まである黒い祭服用の手袋は彼女の身の丈を超える杖とランタンが握られていた。杖の先端には教会のシンボルである聖火の灯をモチーフにした彫刻があり、そしてその青白く輝く聖火を収めているのがランタン……ではなく聖火燈という神器なのだそうだ。彼女の顔立ちは今まで見た女性の中でも五本の指に入る別嬪さんで、よく故郷で見た地平線の果てにまで伸びる空の同じ色をした瞳は一度見たら忘れないだろう。毎朝毎晩丁寧に手入れされているであろう金糸雀の翼の色をもった髪は太陽に照らされるとなお眩しく見える。
 そんな人と、平凡な商人であるだけのトレサは二人で西のウッドランド地方へ向かうために肩を並べて歩いていた。自分は地元で出会った商人からもらった手記を持ち歩きながら、彼女は二十年に一度の教会の式典の任を遂行するために、旅をしている。
「わたしは……心強いです。トレサさんが一緒にいてくださって」
 その物静かな笑顔はもう無理をしている顔じゃない。釣られてトレサも笑いかけた。
「あたしも、オフィーリアさんといると心強いわ」
 トレサは表面がくたばっている茶色の手帳を開けた。昨日の出来事は、全てここにトレサの字で記した。フレイムグレースの暖炉が暖かかった宿から出て朝っぱらから狭い路地で娘思いのおじさんと見た目も心も綺麗ででもどこか憂いのある神官さんに出会ったこと、街を歩いていたらその神官さんが街を出ようとするので先回りして驚かせてやろうとして道なき道を歩いてたら雪に埋まって別の意味で驚かせてしまったこと(ついでにその道は隣街に続く道だと信じていた事も追記した)、その時の会話で神官さんが父さんが赤字を出した時みたいに曇った顔でいたこと、心配で追いかけたら警備のついている洞窟に一人で入ったので爆竹を鳴らして退かせたこと、その先で神官さんがでっかい石の巨人に殺されそうになって無我夢中で助けたこと、洞窟を出た時にその警備さんに凄く怒られたけど神官さんが庇ってくれたこと、その神官さんがやろうとしたことが認められて、青い炎を携えながら自分と一緒に歩くことになったこと。
 自分の行動は昨日の洞窟からの帰り道でオフィーリアに話をしているが、無茶をするなと散々釘を刺され、感謝の言葉も散々言われた。トレサは一人っ子だったが、仲の良い姉がいればこんな感じなのだろうか。自分の両親からこんな美人さんが産まれることはまあないだろうが。
「それに商人の世界じゃこういう言葉があるのよ、『旅は道連れ、人の情けにお代は要らず』って」
「まあ……素敵ですね」
 自分のことではないのに誉められてつい照れてしまう。人にかける情けには商人もお代を求めない……親から散々聞かされた商人の心得は掃いて捨てるほどあるが、その中でもトレサが一番好きな言葉なのだ。
「うん、あたしにとっては魔法みたいな言葉」
 出会いを大切にするのが商人の基本だ。お金を稼ぐ、というのは当然だが稼ぐためにはまず人の信頼を得なければいけない。人との繋がりを蜘蛛の巣のように張って成功してきた人を沢山知っている。それに、今のトレサの旅のきっかけもある人との出会いだった。
 昨日の出来事を書いたページを勢い良く閉じて、トレサは言った。
「だから、凄く嬉しいの。こうして人との繋がりが増えていくのが」
 まだ昨日の事だからはっきりと覚えている。あの時、洞窟での試練の答えは咄嗟に出た言い訳のようになってしまったが、神様が求めていた答えだっていうのには妙な確信があった。だってエルフリック神も昔は他にも十一人も仲間がいて、一緒に悪い神様を倒したというお伽噺があるじゃないか。
「昨日のおじさんのパンだって、受け取って良かったでしょ」
 昨日トレサが手帳を見て歩いていた時に死角から激突してきたおじさんのことを思い出す。オフィーリアの仲介のおかげで禍根を残さず仲直りしたわけだが、彼もまた、オフィーリアには恩を返したいと思って教会に出向いてきた一人だった。家がパン屋だというそのおじさんは一番自慢だというメープルシロップがかけられたクロワッサンをいくつか持ってきたのだ。ただ教会に来たときはオフィーリアが着替えていたりお偉いさんとお話をしていたりで自分が出迎える羽目になってしまって、ああ丁度良かった嬢ちゃんにもお礼をしたかったんだよと五分後には何倍かの量のクロワッサンを持ってきたのである。口に含むとシロップの甘い香りと幾重にも重なったさくさくとしたパン生地のハーモニーにうっとりしてしまった。しかしいくらお腹が空いていたといっても二人で食べるには結構な量だった。教会にいる方に配ったらまた大反響で、おじさんが子供達に取り囲まれてるのを思い出して笑みが溢れてしまう。
「ええ、旅から帰ったら常連さんになってしまいそう」
「あたしもフレイムグレースに来たときは絶対に食べに行くわ」
 二人で目を合わせて笑い合う。何度見ても同性のトレサですら背景の雪がよく映える綺麗と思える笑顔だった。化粧っ気は無いがそこがまた清楚な雰囲気を鮮明にしている。彼女が笑顔になれるお手伝いが少しでもできたなら、それはとっても素敵なことだと思う。
「じゃあ無事に帰れるように、頑張らないとね!」
「はい! 必ず成功させてみせます!」
 今は、彼女の式年奉火の目的に付き添いながら、この手帳を埋めよう。
 リバーランド地方のクリアブルックを目指して白銀の大地を踏む。
 彼女らに、どんな運命が待ち受けているのか……いまは誰も知らない。





【長文なあとがき】


※ここから言い訳エリア
・ファッションに疎すぎてトレサの帽子が解らなかったけど、某掲示板で教えていただいた方ありがとうございました。
・ゴーレムゴーレムと言ってますが、正しくは「聖火の守護者」という偉大なお名前があったり、雑魚呼びでウィスプ系の敵が出現したりします。
・爆竹はゲーム中にはありません。
・雪山では絶対に道を外れて歩かないでください。遭難します。山岳救助されるってのはべらぼうにお金がかかります。っていうか命の危機です。死にます。
・トレサマジ天使
・オフィーリアマジ聖女
※ここまで言い訳エリア


 オフィーリア&トレサの出会いの話、「聖女の道、輪廻の導き」でした。
 眩しすぎて浄化されそう。

 純粋っ子&純粋っ子なのは本当に自分にとっては新境地。
 とにかく難しかったのがオフィーリアは聖女であり、作中で成長するキャラではないということ。この言い方だと誤解されるかもしれないのでもっと詳しく言うと、作中前に成長終わってしまっているということです。サイラスもその類。ある意味トレサもその類。そういう意味ではその人物の中で物語が難しいので、なるべくストーリーと絡むような成長型の物語にしてしまいました。けど、いいところに落ちたのではと若干自負しています。こんなのオフィーリアじゃねぇよ!っていう人いたらすみません……。でも、20年に一度の儀式を代わりにやります!って誰にも相談せずに突っ込むのは「優しい」ってだけじゃ済まされないと思ったわけです。
 オフィーリア視点にしたのは、「1作前(テリオン・ハンイット)は現在進行の物語(ハンイット)と関係のない人(テリオン)を巻き込む話だったから、今回は物語進行してる人視点でやっちゃおう」っていう行き当たりばったりな理由。


 実は、今回とても迷ってたシーンがあります。
 それは雪道でトレサに出会ったところ。
 いつも書き始める前に雑なチャートを作るのだけど今回は、
「トレサがオフィーリアの街へ→鞄がぶつかったごろつきに絡まれてるトレサ街で出会う→わかれる→雪道に慣れないトレサが倒れてる→トレサ、オフィーリアにくっついて聖火のお手伝い→一緒に西へ」
 という予定でした。大筋は一緒だけど、やっぱりだいぶ変わった。

 一番の問題が、オフィーリアがトレサを巻き込んで試練に連れてくって絶対無いなって。本当は雪道で倒れている時にトレサがくっついてそのまま無事に終わりましたー!ということだけ書こうと……つまりテリオンハンイット小説みたいにボスと戦うところをやるつもりはこれっぽっちもなかったわけなのです。
 ここの展開は3日くらい悩んで3つくらいパターンが出て、悩みに悩んで今のところに落ち着いたって感じ。この選択に納得はできたものの戦闘シーンで苦しめられるっていう。
 ゲーム中は杖でポコポコ殴ってそれが弱点でも、実際に石でできてるようなゴーレムをオフィーリアの立ち絵にあるような細い杖でポコポコ殴るのもなんかこう、ゲーム的には良くてもね……。杖弱点ってのはハンマーみたいなので叩いて砕くという意味なんだろうけど(世界樹でも石造りのゴーレムに弱点に打撃がある。新パルで言うとこのハードナックル的な杖で殴れと)……。
 結果的に1シーン増えたので、文字数が前小説より圧倒的に増えました。むしろ短くなるのではと危惧したくらいなのに。世の中何が起きるか判らない。

 ゲーム中では今回活躍してくれた氷や風もちゃんと弱点。


 そういえばすずらんって摂取すると最悪死んだりもするくらい毒があるらしい。
 花言葉調べてたら初めて知った。最後のワンシーンはすずらんでも摘もうかと思ったけど最後どころか最期のシーンになっちゃいそうなので却下しました。まあただ、摂取しなけれ良い話なので触っても大丈夫だそうです。気にする方は手を洗いましょう。


 以上、「聖女の道、輪廻の導き」の執筆感想でした。


 実は既に次のオクトラ小説の内容は決まっていて。
 まだ出てない4人のうちから出すことにしています。
 自分自身がかなり書きたいと思っている組み合わせなので熱が入りそう。
 うちのリーダーであるテリオンがハンイットと合流した実話を元に始まったオクトラ小説だけども気付いたら群像劇になりかけてるけどどうしよう。全員が誰かと出会うというのは妄想として出来上がってるけど、そっから先は真面目に全員の行先を地図と睨めっこしながらスケジュールの如く管理しないとヤバいと思う。今はそこまで考えてないし。


 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 もしよろしければ拍手やコメントなどいただけると嬉しくて飛び跳ねます。

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