ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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オクトラ2小説3作目。

 ソローネが旅立つ何年か前のお話で、ソローネピルロが中心です。
 カップリング(ピルソロ)要素強めですが、恋愛的な描写よりかはパートナー的な描写になって(ると思い)ます。

 作中のネタバレ自体はソローネ父3章までですが、ソローネストーリーを全て見てから読まれた方が良い気がします。
 あとがきはソローネストーリーラストまでのネタバレも含んでいます。

 まあまあ暗いです。
 流血等の描写と下ネタもちょっとだけあります。

 2分割で前後編にしています。
 字数は前後合わせて2.8万字程です。

 それでは「この世界を生き抜くための手段ほうほう」です、どうぞ。




この世界を生き抜くための手段ほうほう



 人間はどうして、欲を持つ生き物だ。
 本能で他人を征服して、知恵で他人から搾取して、野心で他人を失墜させる。
 自分の世界で出会う人間なんてそれが全てで、だからこそ己の情を棄ててきた。
 現状に満足して程々にその日をこなしていた自分に欲が芽吹き始めたのは、十八の頃の事だった。

+++++

「ねえ、神様っていると思う?」
 雑然とした街の音に溶けるような、銀のように澄んだ声で彼女はそう言った。あまりに突拍子もない話題に、ライターを懐に戻しながら脊髄反射で冗談混じりに返す。
「なんだそりゃ、信仰心に目覚めたか?」
 けれど彼女の方は本気のようで、横顔しか見えずとも黒紅の瞳に乗る感情はいつも以上に薄かった。
 この街に降る濁った雨に浸食されてすっかり錆び付いた欄干の笠木の上に、細く白い指先が置かれている。その殆どを夜闇に晒している生色の薄い白い手の指先には艶やかな桃色の化粧っ気の無い爪が乗っていて、彼女はそんな指先の爪を別の指で撫でながら言うのだった。
「神様、ねえ」
 否応にも彼女の指の付け根に彫られたタトゥーが目に入る。手首の方から細長く伸びたそれは一度大きく楕円形に広がり、その先は小馬鹿にしたように細くうねる。やや青白いとすら言える肌に対照的に映る黒一色のタトゥーの正体は、舌を出した蛇だ。
 その蛇を辿っていくと菫色のドレスが蛇の胴体を隠し、胸元で尻尾だけを覗かせている。真っ先に街の男達は恵まれた胸元に目が行くだろうが、付近を飾る黒蛇の尻尾と首元の金属製のチョーカーは知る人が見たら決して近付くことはしないだろう。自分達が首輪と呼んでいるチョーカーは、無理に外そうとすると皮膚に染みて死ぬ即効性の毒が仕込まれている。決して飼い主から離れられない事実の象徴という意を持つ上では冠絶とした一品であり、もちろん同業であるピルロ自身の首にも同じ物が存在していた。
 腹部はコルセットできつく縛り、そしてまた膨らみ、細い脚に繋がる。胸元から上は白い肌に目鼻立ちの整った顔が乗り、桃色の口元が締まっている。そんな彼女の表情を烏羽色のセミショートが一部を隠してしまっている。
 全身を通じて煽情的とすら言えるプロポーションは彼女の武器の一つにもなっており、極め付きに夕焼けに照らされる様は、絵画として今の視界の四辺で枠を切り高値で売られていても納得してしまう。少女から乙女という分類に、確実に大人へと成長している唯一の時は、花火のように一瞬で咲いて消えてしまうだろう儚さがあった。
 だが服の下は玉の肌が続いているわけではないことをピルロは知っている。特にコルセットの辺りには鞭で打たれた生々しい痣がいくつもある。思い出すだけでも耳元で鞭の唸る音が聞こえてきそうだった。
 彼女から視線を逃がし、欄干に身体を預けたままピルロは顔を上げた。斜陽はせせこましく建ち並ぶ建物群に隠れてその姿は見えない。
 もし神がいるならあの太陽のようなものだろうな、などと思考する。強い光は必ず強い影を生み出し、その影を覗くことは出来ないのだろうと。
 足元には何処から飛ばされてきたのか誇張された宣伝文句の書かれた娼館のびらが、雨風によって無惨な姿になっている。置いてある複数の酒瓶も土にまみれ、何時からあるものなのか判らない。持ち主にはとっくに忘れ去られ、世界が終わり共に滅びるのを待っている。
 神ねぇ、と再度揶揄を込めて唱えてから、足元の酒瓶を軽く踏みつける。
「そんな偉い奴がいるのが事実だとしたら、そいつは恐ろしく身贔屓だな。でなけりゃ俺らの握ってる物は血塗られたナイフじゃなくて、極上の羊の腸から作られたバイオリンの弦だったぜ」
 肺を一巡した空気を一気に口から吐き出した。白い煙がうねうねと橙に燃える空に立ち上ぼり、一切染めることなどなく霧散していく。
 彼女が自分で店先で選んだと言っていた翡翠の雫型のピアスを揺らして、建物の下に向けていた視線をこちらに向けた。髪色に近いが、やや赤味がかっている黒紅色の瞳を見開き、
「意外。音楽好きなの?」
「まさか。腹も懐も膨れやしねえ享楽に興味は無えよ」
 完全に嘲りの意を込めて言い切った。自分達の生活には掠りもしないその風雅で情味のある趣味とやらには一切惹かれるものが無い。そんなものに興じるなら、手すさびで何の苦労も無く吸える煙草の方が魅力的に見える。
「……そう」
 しかし昔馴染みに言葉少なに返され、ピルロは思わず鼻白んだ。どうやら彼女の方は興味が無い、わけではないらしい。
 ソローネとは同じ組織の中でも気が合ってよくこうして話をしている。それでも、たまにこう意見が食い違うと彼女と自分は違う生き物なのだと実感する。それは単純に個性で片付けられるものなのか、性別なのか、何かもっと根本の話なのか。きっとそのいるかもよく判らない神様とやらから見捨てられて画一的な視野しか持たない自分にその答えは見付けられないだろう。
 釈然としないことへの苛立ちからなのか、会話を再開させると自分でも驚くくらい張った声が出た。
「今日はいたく感傷的だな、ソローネ。今夜は久々の『灰』だぞ。そんな湿っぽいと燃やせるものも燃やせねえ」
 『灰』は組織で使っている符丁だ。自分達のいる組織は決して明るいものではなく、むしろ墨の如くどれだけ薄く広げた所で真っ黒で濁っている。隠密、謀略、盗み、運び屋といったことは日常茶飯事で、暗殺だって当然ある。いずれも真っ当な人種なら真っ当だとは言わないだろうこれらを仕事と称し、このニューデルスタという雑多な街の裏社会を牛耳っているのが“黒蛇盗賊団”である。
「……そうだね」
 端的に呟くソローネは組織の中でも殊にナイフの扱いに長けている。そのナイフ捌きと来たら、しなやかに鮮やかに、豪奢な服を着て音楽を奏でるより余程芸術的である。彼女の太股に差した短剣から描かれる軌跡が幾人もの頸動脈を断ちきってきたのか、それは本人も覚えていないだろう。
 元々口数の多くない人間だが今日はいつにも増して静かで、それこそ本当に絵画に向かって話しているような気分になった。そのうち動くことも呼吸することも止めてしまうんじゃないかと錯覚する。
 どうにもやり辛く感じて、ピルロは意味も無くポケットの中でフォールディングナイフを転がした。
「そういや、」煙草の煙を燻らせながらさり気無く、「最近下町裏通りのとある酒場が盛況らしいぜ。明日は非番だしどうだ、行かねえか」
 時が止まっていたかのように見えたソローネが、小首を傾げてこちらを見た。桃色の唇の端を僅かに吊り上げ、そして少し温度の上がった声で、
「明日のことを言うと腕の蛇が笑うよ、ピルロ」
「……へ、そうかもな」
 組織で言われる箴言で冗談めかす。
「……うん、そうだね。行きたいな」
 幼少期の面影を残した黒紅の瞳を細め、しかしその横顔は段々と建物群に沈んでいく夕闇に照らされ重たい影を落としている。まだ見る人が見れば子供だと言うかもしれない顔立ちには、やはり少女と言うには大人びた憂えた表情をするのだった。

 仕事は難易によってグレードが割り振られる。金剛、紅玉、珊瑚、真砂……中でも今日の仕事は金剛に値する仕事で、更に内容は『灰』と言われるものである。今まで築き上げた街のルールを不用心にも破ってた組織との抗争をおっぱじめ、形の無い灰になるまで壊滅させる、つまるところ鏖殺である。
 その仕事を“黒蛇”の双頭の一人である“マザー”に命じられた。メンバーのリーダーとして任命されたフィンリーは自分達よりも十は年上の男で、その下にピルロとソローネ、そしてドニとほぼ同年代の者が続く。
 フィンリーは自分よりも頭一個分大きく、常に不気味に笑っている男である。組織の中でも酷薄、何より人の不幸が好きな奴で、ピルロからして見たら品性の欠片も無い(殺しに品を語ることから野暮かもしれないが)。装いにもとことん気を遣わない奴であり、ぱさついた茶髪が落ちくぼんだ眼窩を隠してしまっていて野生の熊を彷彿とさせるという、出来るなら一緒に仕事をしたくない類いの人種である。はっきり言ってピルロの中ではこれっぽっちの信用も無いが、何処で嗅ぎ付けたのか、今回のリーダーの枠に強引に割り込んできた。彼が今回の仕事の全てを“蛇”の頭に報告する以上は成果の良し悪しを決めるのもこの熊の役割であり、正直かなりやりづらい。
 一方でドニは荒事よりも小手先の物事が得意だ。背丈も低く着痩せするタイプで、そばかすの浮かんだ顔を張り付けた、なんというか、夜空よりも昼間の晴天の元にいる方が余程似合う男だ。髪も瞳も明るい晴天の時の空の色をしている。どちらかというと狙う側よりも狙われる側のような雰囲気を出していて組織の中で後ろ手で指す者もいるが、ピルロはその腕を高く買っている。彼の専門は情報収集や鍵開け等で、今夜のルートの組み立ても作戦だって全て彼の調査から成り立っているのだから。
 今回の作戦も、はっきり言えば実質的なリーダーはドニだ。ドニが最初に単独でやっていた仕事に、自分達が割り振られた。
 ドニによると、相手は九人の情報屋らしい。情報屋だというのに嘘の意味を持つリューゲという名の集団。どっかの貴族に取り入って蜜月の関係となり、その貴族が所有する建物の二階と三階とを間借りしているとのことで、自分達はまずその隣の建物に潜入していた。
 持ち主が亡くなって後継者争いとやらが終結を迎えないまま放置されたこの建物は、今や鼠と屋根無し……浮浪人の立派な雨避け場所である。もちろん事前に人がいる箇所の把握はしていて、買収もドニがとっくに終えている。このニューデルスタの燦然な都会という皮を一度でも剥がしたことのある人間なら、誰だって“黒蛇”の世話になりたくはないのだ。
 土と埃で元が何なのかも判らない古びたぼろ切れを廊下の端に蹴り上げ、どんつきの蝶番の壊れた扉をフィンリーが押した。きぃ、と不快な音を立てて行き先が現れる。すっかり暗闇に慣れ切った瞳が、扉の先でとぐろを巻く階段を映した。ここから四階へ行き、こちらの窓から目的の建物の屋上へと侵入する手筈である。
 フィンリー、ピルロ、ドニ、ソローネといった順番に、呼吸音すらも一切立てずに踏面を一つ、また一つ上がっていく。
 建物に入った時から身体に纏わりつくようなかびた臭いを意識から消しながら、今日の対象者の事を考えた。リューゲの情報屋達の年齢は僅か十歳程度らしく、そのことについてさしたる驚きは無い。自分もその頃には既に一通りのあくどいことはやっていた。無論、殺しも含めて。
 ただ言えることは、そいつらは運が無かった。ただ身体を売って情報を売って薬を売って、それだけできっとこの街では生きていられた。
 ただし、“黒蛇”に手を出さなければ。
 不幸なことに奴らは“黒蛇盗賊団”の懐事情を知り得てしまったらしいのだ。薬とリューゲの男娼達と楽しんでる間についゲロってしまった“黒蛇”の倉庫番も騙しきれていると思っていたようだが、今夜中に文字通り寝首を掻かれて今頃は死神というお迎えが来ている頃合いだろう。
 不意に壁を小さく二回、叩いた音がした。
 顔を上げると、二段先に上がった大男が目的の窓に辿り着いている。
「ビンゴだ」フィンリーの低くしゃがれた声が、下卑た笑いを漏らした。大男の月影が不気味に揺れる。「時間はどうだ?」
「問題ないぜ」ピルロの背後からやや高めの声を精一杯下げてドニが答えた。ドニの頭の中には懐中時計並の正確な時間が刻まれている。「全員仕事を終えて個人の時間を満喫してる最中だっ……と」
 ドニの言葉を最後まで聞かず、フィンリーは体格に似合わず身軽に窓を飛び越える。気の早い奴だ。
「気の早い奴……」
 後ろから窓から漏れる夜風と同じ冷めた女性の声が聞こえた。思わず振り返り「同感だ」と鼻で笑い、胸元に刺したトレンチナイフの柄の感触を確かめてから窓を乗り越える。刃がスピアポイントの形状をしており、両刃かつ殺傷能力の高い。このナイフの存在を確認することが、ピルロの仕事始めの儀式のようなものになっていた。
 湿気の籠った建物から外に出ると、薄汚れた街を流れて淀んでいたとしても、相対的に外気は気持ちよかった。こんな時間でも明るいニューデルスタでは夜空に浮かぶ星とやらは殆ど見当たらず、白く光る三日月も煌々と輝く遊戯場の背の方に薄っすらと見えるだけだ。
 ここからリューゲのアジトに入るが、屋上の扉からは勿論入らない。真正面から入れば必ず罠がある。ドニが目を付けたのはすぐ下層の緩い睡眠効果のある薬草の乾燥所だった。薬草といってももちろんまともな薬草ではない。四六時中誰かがいるわけでもなく、そして薬草の換気のために常に窓が開いている。ピルロから言わせてみれば本来はこういう所に注意を払うべきではあるのだが、高層という条件が感覚を鈍くしているのだろうと思った。
 ピルロは腕に巻き付けていた留め金具のついたロープの用意を始める。金具は手摺に引っ掛け、ロープは階下に垂らし、それを伝って降りる。横から部屋の中を覗き込み、誰もいないのを念入りに確認した。窓も決して広くはないが、肩幅さえクリアしてれば大抵何処でも通れる。当然、フィンリーくらいの大きさでも問題ない大きさだった。事前にドニに聞いていた通りだ。
 本来の出入口である金属製の扉の裏側にすぐに駆け、左足のレッグストラップに差したナイフを逆手で抜いて構える。刃がスマチェットのものに近いが、特別に裏街の刀工に頼んでより刃先をより鋭利にして貰った一品だ(その刀工が腕が良い代わりにやたらと変わり者で、武器を作る時間と同じ時間をかけてお世辞にも良いとは言えないセンスの名前を付ける。今手にしているナイフは「蛇の牙」と安直に名付けられた。修理を頼む度にバージョンツーとかつけられるだろうと思うとうんざりする)。例えリューゲの誰かがこの部屋に入ってきたところで、声をあげる前にこれで首を掻ききれる。
 そうして待機している間に他の三人も屋上から降り立っている。壁際に並び、合図を送り合う。廊下は締め切られた手入れのされていないガラス窓からのっぺりと拡散した月明かりに照らされ、滞留した空気そのまま静まり返っている。
 ここからはペアを組んで行動する。左右から回り込んで順に仕事回りをし、最終目的地の主犯各がいるであろう部屋に左右から突撃する。気付いた時には逃げ道は存在しないというわけだ。
 自分とソローネ、フィンリーとドニでそれぞれ扉先の廊下を左右に分かれて疾走を開始した。埃と土と鼠の糞がとっちらかる廊下をまずは十歩程駆けると、最初のターゲットがいる部屋に辿り着く。
 扉はこれまたいくつもの傷がついた金属製の開き戸。ソローネと共に壁を背に気配を探る。
 人の気配は確かにした。男女の声だ。男の方もまだ声変わりすらしていない、女と言っても通じる。まあそれ以上にはっきりとしている理由があったが。
 ナイフを手の中で一度廻してから、ピルロは後ろ手で扉を勢いよく押した。
「よう、お二人さん」
 やはり寝床に転がる男女の二人は、正に情交を交わしている真っ最中だった。
「お前らはラッキーだぜ、一番幸せな時に死ねるってな」

+++++

 ナイフに付いた血は敗者の味。
 こびりついた命の欠片を舐めて糧としろ。
 血を吸った分だけ命を吸って崇高な存在になれる。
 幼い頃から耳元で、神様がそんなことを言っていた。
 いつから自分を造り上げた父を神と呼ばなくなったのか。
 噎せ返るような血の臭いが境界線を掻き消して、一人の人間を希薄にしていく。
 今はただ、……ただ、息をしているだけ。

「まず二匹……と」
 手狭な部屋をピルロが燭台を持って回旋する。錆びと埃が充満するこの廃墟の部屋が清潔なはずもなく、新聞やびらが床や足の折れたテーブルに散らばっている。情報屋の部屋だけあり、精査すれば使えるものもあるだろう。
 でもそれをするのは二の次。ナイフに付いた血をハンカチで拭いながら、ソローネはピルロに出入り口を促した。
 ピルロが微笑し、燭台を元の位置に置く。部屋の隅に置かれた木箱の上で、足元に転がるものを無感情に照らしている……石膏で出来た一体の彫像のようにその殆どが一色で出来ていてもう動かなくなったものを。これを芸術だと言う人間がいるのだとしたら、きっとそれは世の中の害意や邪心を混ぜこねて人間の皮を被った物の怪なのだろう。少なくとも、今はそう感じている。
 渇いてない赤い液体を踏まないようにしながら、ソローネ達は廊下へと出る。来た方向とは反対側へ。小さな窓が夜空に貼り付いた三日月の灯りを切り取って四角い光を落とし、道を示していた。
 なんとなく、光は踏まないように走り抜けた。とりわけ意識していたわけではない、頭の片隅で、なんだか本能のように避けていた。別に何も減りやしないはずなのに、避けることに神経をすり減らして。
 本当に必要な行動以外は余計なことで頭を働かせていたかった。朝から頭痛がして、こめかみの辺りでじくじくと何かが脳髄を小突いてきている。最近仕事の度にこうなるが、特に今日は酷かった。毒水のように染みて、身体を麻痺させにくる。
(早く……終わらせたいな……)
 目的の部屋の扉は空いていた。薄暗がりな空間で、蝋燭の炎が思考を惑わせるように揺れて廊下にまで伸びている。ドニの調べが本当ならばここに一人の少年がいるはずだ。判然と、気配がする。
 肘を曲げてナイフを構える。ナイフを握り締めた左手の指が、固まって動かなかった。
 金剛の仕事は定期的にあるが、『灰』は一年ぶりだった。前の時は自分より三、四歳上の、世間的には成人と呼ばれ始めるくらいの集団で、あの時は二十人はいた。その半分を自分が片付けた。ナイフは人数の分使って、全て育て親の“ファーザー”の元に持って帰った。彼はいつも言っていた。人の命を仕留めたナイフはどんな宝石よりも美しい、と。
 その意味が段々と形を崩していき認識出来なくなってきたのは、あの頃からだったか。

 肉薄した白銀の刃の切っ先を反射的に弾いた。耳障りな金属音が一瞬で場を支配する。
「ぅぁああっ!」
 ほぼ同時に正面の人物から叫びとも呻きとも取れる少女のような声があがり、くずおれた。あまりに拙く脇の甘い一手を放った少年のサバイバルナイフは、壁にぶつかり鈍い音を、そして折り重なった新聞の上に柔らかい音を立てて落ちた。
 フィンリーがドニと更に分かれて行動している分、リーダー格に着くのは早かったようだ。自分達が辿り着いた時に丁度、こちらの通路へ逃げ込んでくる最中だった。
「おいおい、随分と可愛い声で鳴くなあ。それでタマとサオがあるとは、そりゃ物好きがこぞって舐めるわけだ」
 少年二人の背後で熊のような大男が呵呵大笑した。
 リューゲのリーダーとその弟だという少年二人は同じ顔をしていた。毛先が緩やかに巻いた金の髪、蒼い瞳を持ち、そのまま小さくして腕の中に抱き抱えたらお人形みたいだった。事実、弟の方は感情に乏しく見えて精巧な作り物めいていた。
 兄の方は対照的に整った顔立ちを俯かせ苦々しく歪めている。その二人を十近く、あるいは二十近く歳上である三人の黒いチョーカーをした人間が取り囲んでいた。
 部屋はせいぜい大人三人くらいが横並びに腕を広げられるくらいの大きさで、部屋を照らす二本の蝋燭が他の部屋と同様に衣食を満たす生活用品と紙束が散らばっていることを知らせる。
「な、なんなんだお前ら……」
 確かに愛らしい声である。ソローネの頭の中にぼんやりとリスが思い浮かんだ。本当のリスの声を聞いたこともないし実物も見たことは無いが、外ではきっと着ていないだろうラフで地味な格好に身を包み二人で身を寄せ合う様は、そういった小動物を彷彿とさせる。
「なんなのかとおっしゃる。身に覚えがあるんじゃないのか?」
 出入り口を封じるように一緒に立ったピルロが、手元でナイフを弄び半笑しながら少年に問うた。
 弟を抱き寄せて睨みあげるリーダーの視線にあった殺気が、やがて黒いチョーカーを捉えた瞬間にみるみる強張っていく。
「ちっ、金蛇に目をつけられたのかよ……」
「んだと……?」
 ナイフを指と指の間で遊ばせていたピルロの動きが止まった。
 金蛇。蛇とついてはいるがそれの正体は蛇ではなく蜥蜴だ。手の平くらいのロープのような細長い身体を持ち四つ足で這い、虫を食す。危険な時には尻尾を切り、本体だけは逃げていく。このニューデルスタの街で“黒蛇盗賊団”を卑下するために使われている用語だ。兼ねてから言い得て妙だなと悲観すら感じていたが、同業はそうではないらしい。
「失敗したら捨てられる、尻尾を切られる。蜥蜴と何が違うんだよ!?」
 ソローネ達から見て部屋の奥の出入り口を塞いでいた大きな影が、その巨体に似合わぬ速さでリーダーの少年に馬乗りになる。弾かれた弟の方は壁に背を強かに打ち付け、咳き込んだ。そちらには咄嗟にピルロが駆けつけ、ナイフを向ける。
「そういうのはな、勝ちを確信してから言うもんだぜ、お嬢ちゃん」
 静かな部屋に響くのは骨を折る音と少年の絶叫。十やそこらの少年の骨が、三十近い熊のような男の力に勝てるはずもない。元々手加減が頭にない粗野な男だが、こういうやり方はソローネは嫌いだ。効率だって悪い。
 大男を咎めようと声を上げかけたが、しかし、腕を折られてもがきながらも、少年は依然として金蛇だと嘲った時の顔を形作っている。
「勝ち? 確信だって?」痰と共に吐瀉物を吐き出し咳き込みながらも、彼は笑っていた。「そんなもの、してるさ。お前達、僕達のアジトに来てどれだけ経った?」
「何……?」
「多分、そろそろ来るよ」
 言下、左手に握りしめて構えていたナイフが、意識の外で唐突に床へと転がり落ちた。
 朝から続いていた頭を締め付けるような頭痛が、ふと軽くなる。蝋燭の灯りが不意に眩い光を放ち、辺り一帯を白くする。
 白い霧。限りなく遠くまで広がる、乳白色の霧があって、
「……“ファーザー”……?」
 何処から現れたのか、霧の中からひょろ長い影が浮き出した。小さな羽虫が寄り集まって出来たような、瞬きをしたら中身が抜け落ちて崩れ去ってしまうような虚像がソローネに向かって歩いてくる。
 はりつめていた緊張が鈍麻し、心臓音が強くなる。神経を圧迫させるように身体中の血管が荒れ狂う。
 ソローネ、今日は何本ナイフを持ち帰ってくれるんだ?
 影が喋った。適度に整えられた髭は毎朝自分で整えているらしく、いつ見ても同じだけの量が生えている。髪の毛も同じだ。自分で全て切っているという髪はざっくばらんで、癖の強い髪は常時暴れていた。特に左目は視力を失っており、左側の髪の方がより雑に切られていた。
 時が止まっているかのような容姿ではあるが、やはり記憶にある“父”の姿は少しずつ皺が増えているように思う。その間に自分も背が伸びて、彼の腰の辺りにあった頭は今は肩の辺りで並んでいる。
 ソローネ、今日の仕事は『灰』だ。花を満開に咲かせてきたか?
「人間、一番気が緩むのは勝利を確信した時ってよく判るね。蝋燭はこういう小部屋には必ず必要な物だから」
 常に隣に立っていた彼から生きていくための全てのことを教わった。世の中で生きていくためではない、“黒蛇盗賊団”で生きていくため。盗みをするための心理的な人間の弱点を、掃除をするための身体的な人間の弱点を叩きこまれた。
 ソローネ、今日は生きた証をいくつ刈り取った? 今日は対象が大勢いたからなあ……
「僕達は対抗薬を持ってるし、いつもこれを吸ってるから効かないんだよ」
 影が口の端を上げて笑った。手にはソローネの好きな木苺を持っている。甘く、赤い小さな木の実が、しかし途端に形を崩して足元に落ち、赤色の水溜まりを広げた。植物特有の青みも、木苺の甘い香りもしない。足元からは慣れきった血膿のにおいがする。水溜まりの中から腐った腕が骨を覗かせながら伸びてきて、その中を“ファーザー”のひょろ長い影が歩いてくる。
 ソローネ、上出来だ。お前が今期で一番人を殺した、俺も鼻が高い
 ソローネ、今日の掃除は
 ソローネ、今日の
 ソローネ、
 ソローネ、……
 ソローネ、…………
「……っ!」
 不意に影に肩を掴まれ壁に背中を打ち付ける。痛覚に対して咄嗟に胸元のナイフを引き抜きかけたが、馴染んだ鼻の奧をつくにおいで……煙草のにおいで我に返った。
 翡翠の両の瞳が目前にあった。壁についた手が微風を生み、肌の表面をそよがせる。昼日中をあまり歩かないこともあるだろうし、横から差す月明かりのせいかもしれない、今その肌は全くの不健康で青白いとすら言える。
 ――“父”は、この場にはいない。
 瞳の中の同じような状態の自分と見つめあって、はっきり自覚する。辺りを支配していた乳白色の霧がかき蹴散らされ、暗く錆びれた景色が戻ってくる。
 朧げで何も認識しなくなっていた五感と意識が徐々に画然となっていく。耳にこびり付くくらいにうるさかった心臓の音も正常を取り戻しつつあると同時に、朝からあった突き刺すような頭の痛みも戻ってきていた。
 数年前は自分の方が身長が上だったのに、今は目の前を覆うように立つピルロの方が高かった。肩で切り揃えられヘアバンドで留められた癖の無い亜麻色の髪が頬に触れそうになる。
 軽い調子で笑みを絶やさない見知った顔ではない。翡翠の瞳は瞳孔がいつもより開き、半開きの口から漏れるような呼気が聞こえる。
「ピルロ……?」
 焦点の定まらない視線はソローネを透かして遠くを見ていた。ソローネの、壁の向こうにいる何かに語りかけようとしている。
「へ、そろそろおやすみの頃合いだね」
 部屋の中央から小動物のような可愛らしい声質からは到底掛け離れた、悪意という感情を塗りたくって吐き捨てるのが聞こえた。口を歪めて愉快そうにほくそ笑む様は、およそ十の少年がするものではないのだろうが、残念ながら自分達の世界はこれが当たり前なのだ。
 しかし、そう、ソローネが真っ先に立ち直ったように、少年が頭の中で描いているだろうビジョンは自分達には訪れなかった。
 虚ろだった青年の表情が歪み、突然短い呻き声をあげた。壁についた手を緩めて眉根を寄せる。
「っくそ、効くのが遅いぜこれ……」
 掠れているが、耳に馴染んだ落ち着いた声がぼやく。喉の辺りで少しかさついた低い声は少年という時期を過ぎたのに、どこかあどけなさも残している。
 一瞬ピルロが首をもたげたせいで、吐息が耳にかかった。それからすぐに体勢を立て直して、頭を抱えて何回か短く呼吸をする。
 どうやら完全に持ち直したらしいピルロは、床に落ちたソローネのナイフを拾い器用に取り回して差し出した。
「……すまねえ、ソローネ」
「ううん」
 短い応答。互いに不敵な笑みを浮かべ、リーダーの金髪の少年に振り向いた。相対的に少年の顔がみるみると恐怖に変わっていく。動揺……その表情の意味するところは一つ。
「何故だ!? どうして正気でいられる!?」
 咄嗟に声を荒らげ、ひびが入っているのか、肋の辺りを押さえて咳き込んだ。
 最初から彼らのアジトには罠があった。もちろん自分達の襲撃を見越して張られた罠ではない。彼らリューゲの連中が慣れるために常日頃に浴びているとさっきリーダーの少年は言っていた。貴族連中を初めとして商売をした時に気分をあげると同時に色々と秘密を吐いてもらっているのだろうというのが容易に想像できる。
 正体は、建物に侵入した時に部屋で干されていた葉だ。あの葉を溶かした蝋で混ぜ固めて出来た蝋燭を暗い部屋でじりじりと焼くと、葉の成分は空気に溶けていく。効能は興奮作用と幻覚や幻聴作用、それから僅かな睡眠作用。ソローネの場合考えていることがいることだったので、悪い方にとびかけたらしい。
 これらの葉の効能に完全に侵されずにいたのは、対抗薬を事前に口にしていたから。当然これらの存在をソローネ達は知っていたから。
 何故知っていたか、それは――
「質問はそれだけじゃないよな? どうして知られた、から始まるべきだよな?」
 フィンリー側の扉から、一人の少年が出てくる。銀色の色素の薄い髪の毛を持った少年は、黒い首輪も腕に黒い蛇も無く、リューゲのリーダーと同じ薄汚れた服を着ていた。リーダーとその弟が可愛らしいリスだとしたら、銀色髪の少年は凛々しい狐のように感じた。狐も実際に見た事は無いから想像でしかないが。
 ……あれが、ドニが話していた子か。
 銀色髪の少年の固い表情を見てリーダーの少年が項垂れ、痛々しい渇いた自嘲が漏れた。
「……そうか、最初から入り込んでいたってのか、毒蛇の毒が……」
「違うよ、最初からリューゲにいたおれは本当だ。でも、君が……」
「何が違うって言うんだよ、裏切り者!」
 狭い空間に膨れ上がった怒声が、微かな余韻を残して声が消えていく。物音を立てることすら躊躇われるような静寂の後、
「……そう」
 まるで魂も共に吐き出しているような、霞んだ声が幽かに聞こえた。銀色髪の少年の声だった。
 部屋の隅に飛ばされていた金髪の弟がふらふらとした足取りで兄に駆け寄ろうとするのを、すかさずピルロが後ろから抱き抱え首元にナイフを突き付けて止めた。どうやら元々声が出ないのか、身体を暴れさせ口を開いたり閉じたりしていても声帯が震えない。その様子を銀色髪の少年が見て勝ち誇った笑みを一瞬だけ浮かべ、リーダーに視線を向ける。
「君は……君はいつも弟のことばっかりでさ、おれ達のことは二の次で。いつも、いつもだ!」十とほんの少し生きた少年の目から涙が出て、頬を伝っていく。嗚咽を漏らしながら昏い表情で吐き出す呟きは、鉛のように部屋に落ちていった。「最初から……だなんて……一番言われたくなかった」
 拙く夢遊病のように歩みを進めていく様は、先程の“ファーザー”の幻を思い出してしまう。その手にはクリップポイントナイフが逆手で握られているのも、状況は近いのかもしれない。
「だから……だからおれは……」
 銀色髪の少年がリーダーの少年の前に辿り着き、
 腕を振り上げ、ナイフが閃く。
『――今回の作戦が『灰』である以上、全滅させるのは仕方無い。騙しているのも解ってる。これが偽善だってことも理解してる。でも、彼の願いだけは叶えてあげたい』
 間謀を一人確保した……ドニが今回の作戦の前に言っていた。
 銀色髪の少年の願い事は、リーダーの少年の心に留まりたいというものだった。愛憎入り混じった心の程はソローネには理解できないが、その答えは詰まるところ自分が殺すということらしかった。
 代わりにドニから渡す切符は銀色髪の少年の“蛇”への加入。少年はイエスと言った。今よりも生活が良くなるだろうと、仕事していればここのことは忘れられるだろうと。
 さりとて残念ながら、『灰』である以上それは叶わない。だからドニは当初の予定を変えた。彼の願いを叶えてから即死させてほしいと、そう言った。このことについてはソローネやピルロは同意した。少年への同情ではない、信頼できる仕事ぶりを発揮しているドニのためだった。それが情実に囚われた判断であっても。
 当然、フィンリーにも話はつけていた。だがあの男のことだ、どうせろくでもないことをしでかすと、始まる前にも確かに頭の片隅にはあった。今回のことで唯一不幸だったのは、ドニが一人で動いていた仕事が上から『灰』の判を押されて、今回のメンバーが捩じ込まれたということだった。
 まださっきの薬の痺れが残っていたのと、“ファーザー”と重ねて見てしまったから……その事が頭の中から欠落していた。それはやはり言い訳に過ぎないのだろうか。
 突如、リーダーの少年の背後にあった山が動きだし熊の形を取り、鋭い爪から一撃を放つように腕が振り下ろされる。しかしその一撃を放っているのは人間で、爪だと思われたのはプッシュダガーだった。およそ致命傷を負わせる代物ではない刃の短い暗器は矢のように飛び、灰色髪の少年の右の、左の太股に突き立った。からん、と少年のナイフが床に落ちる。
「あ、く、うあ……っ!」
「おーっとっと、手ぇ滑っちまったなあ」
 蝋燭の淡い明かりに照らされたフィンリーは、特段手入れされてない茶髪を掻きむしり落ち窪んだ目で恍惚と笑っていた。
「なるほど。なるほどなるほど……こりゃいい、おもしれえ! 弟を守るために作った組織は……弟のせいで壊れたんだ。実に解りやすい図式だ、傑作だ! 劇場でやったら満員御礼、拍手喝采だなあ!」
「フィンリー!」
 ピルロが非難の声をあげるが、まるで大男は聞いていない。ピルロは弟に向けたナイフをさ迷わせ、どうするか考えあぐねている。
 自分も、何かしないといけないと漠然としたその思考が形を持つ前に滅失していく。朝から続く頭痛が、考えることを遮る。乖離した世界で、一人一人の少年から情報が、標的という一つの要素だけを残して剥落していく。
(早く、帰りたい……)
「気分が変わった。良いもん見せてもらったからお前は一番後だ。クク、お前は大好きなリーダーとその弟がなぶられるのを見て絶望しながら死ぬんだぜ」
「ま、待て! 話が違う!!」
「『灰』ってのはな、燃える前の形なんてなんだって構わねえ。ましてや簡単に所属を裏切る野郎を誰が欲しがる?」
「な……っ! ……嘘……だったのか……“蛇”に入れてくれるって……」
 ぼやけた世界の中で、誰も応えない。唯一、大男は笑いを噛み殺していた。
「お前ら全員殺してやる!!」
 喉も枯れよとばかりの叫びは、すぐに悲鳴に変わった。フィンリーが投げた別のプッシュダガーが銀色髪の少年の脇腹に突き刺さって服に赤い染みを作る。
「セイラン!」リーダーの少年が短く叫んだのが聞こえた。銀色髪の少年の名前だと、一拍置いて解した。
「おうおう、囀ずるねえ。じゃあ、素晴らしく涙ぐましいお話を見れて、俺はもうそれはそれは聖火神サマのように寛大で公正だからな。ソローネ、お前に点数やるからその女男はてめーにやるよ。弟クンはピルロのもんだ。それで今日は終わり、実に丸く収まる」
 言うだけ言って、餌以外には興味の欠片も残さず一瞥すらしなかった。リーダーの少年のくるりと大人しいウェーブのかかった髪を乱暴に掴み、ソローネの前に投げて寄越した。
「フィンリー、てめえ……ドニの話は聞いてただろ」
「話ぃ? さて、何のことかな」
 内容を知る自分達以外でも故意であることが解る喋り方だった。
 ピルロが憤懣やるかたないと舌打ちを三度鳴らし、順手で持っていたナイフを逆手に持ち替える。これ以上抗議を長引かせても無駄だと判断したのだろう。
 ソローネも左手に持ったナイフを握り直そうとして、やはり指が石のように動かなかった。右手で手の甲を擦ったら指先が恐ろしいくらいに冷えていた。
 とうとう、と思ったのか。蹲る標的の少年は咳込みながら訴えた。その顔には男女問わず数多の人間の官能を擽ったであろう愛らしい少年の面影は最早微塵も無かった。
「弟は、弟だけは何もしてない! 売ることも、てめえら“蛇”の情報も何も知らない! 弟は殺すな!!」
 再度苛立ったピルロが舌打ちをした。今度はソローネに目配せをして首を少し動かし、合図を送ってきた。弟は後で殺るから、先に兄の方をお前が殺れと。
 見下ろすと上半身を曲げた少年の蒼い瞳が殺気立った視線でソローネを射抜いていた。足は動くだろうが腕は動かせず、上半身も起こせないのでは立ち上がる事も出来ず、少年が唯一動かせる顔だけで殺意を振りまいていた。
 少年の目の高さまで合わせようとして、床に散らばった砂利が膝小僧に食い込んだ。痛覚を頭の中から追い出して、何故か自分でもよく解らないまま口を開いていた。
「……約束する。私が弟を助ける」
 言下、少年が目を見開く。しかし、すぐにその目には憎悪と侮蔑で溢れた。
「はん、嘘ついてるでしょお姉さん」
 俯き細かな擦り傷と自分で吐いた唾や涙、吐瀉物で汚れた顔は、人を恨み、妬み、そして疲れきっていた。およそ十の少年のする顔ではない、そう思うのは何度目か。
「お姉さん、何もない目をしてるね。出会った時のセイランと同じ目だ」
 それでも裏切り者と罵った少年の名前を口にした時だけは、悲傷という心情が表層に出ていた。
 銀色髪の少年セイランは言っていた。リーダーの少年は常に病を持った弟のことばかりで、自分のことは全然見えていないと。だがこの一瞬しか彼らのことを知らなくても、ソローネにはとてもそうは思えない。その亀裂を広げた自分達が言うのも勝手な話ではあろうけども。
 ……考えるのは止そう。起きていることを無かったことには出来ないのだから。ナイフを首元に当てようとし、
「守るものでも作ったら」
 ぼそりと、標的の少年が語調を緩める。淡彩な視野の中で、蒼い瞳が表情を消してソローネを見上げていた。それに何故か幼い頃の、すぐ側にいる青年を……ピルロを思い出した。今よりもぶっきらぼうで、無頓着で、でもいつからか人を気遣って笑うようになった少年を。
 動かなかったはずのナイフを握り締めた指先がふと震えていた。ナイフの刃に、少年は自ら近寄ってきた。触れると発火して、それこそ灰になりそうな程に強い殺気を込めて、
「大事なものを抱えてお姉さんが地獄に来た時に、僕が真っ先に壊してやるよ」
 鮮血が、広がっていく。
 血膿のにおいが――身体の内から腐っていくようなにおいが、染みついて離れない。

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