ポケ迷宮。
ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。
信の果て(3/3)
薄暗く狭い階段を上り終え、雪国に来てすっかり見慣れた自分の吐く白い息が霧散していく様を眺めた。キャスティが最善だと思っていることは今のところできている。
しかしそれ以上に、安堵している自分がいた。ヒカリが無事な姿を見たことに対する、安堵である。
この城に通じる橋が落ちて突貫で打たれた木板の橋を恐々と渡っている間も、キャスティは気が気ではなかった。橋の割れ目は乱雑で、中には黒焦げに焼けている箇所もあった。昨日ヒカリと外から眺めていた時はそんな傷痕は無かったので、今日この城に向かうと言っていたヒカリとの間に何かあったのは明白だった。
志は同じである者達が外からでは見えない何か因縁のようなものがあって阻んでいる。それがキャスティにはとてももどかしい。
わざとらしく目立つようにキャスティの背後で音が聞こえた。振り返るか一瞬だけ悩んだが、キャスティは視線を向けた。
見張られている、というのは自覚していた。この城に来た時に対応したのが彼だったから。
壁の陰から革靴が滑り出す。濃紺色の外套を羽織ったその姿は、街で何人もすれ違った姿である。何より、ガーナが勤める診療所でも傍にこの外套をかけている病人がいた。この城の主に仕えることを示す色。
「そなたは、ヒカリ殿の旅の共だったのだな」
淡々とした、感情の読めない声だった。手にしたランタンから漏れる暖色の灯りが、男の頬に刻まれた皺を浮かび上がらせている。刈り込まれた麦藁色の髪はさながら獣型の魔獣の鬣のようで、闇夜でもはっきりと見えた。体格は男性にしては中背で、彼の自然に見える一挙手一投足には一切の無駄がない。背中に背負った槍が時折窓から差し込む月光を反射して、彼の隠した牙を表現しているかのようだった。
「……反逆罪に問われているヒカリ王子の仲間を捕まえに来たのでしょうか」
「そうだ、と言ったら?」
「私は薬師です。私は正式に診療所から派遣されて目の前の患者の治療をしただけ」
質問をそのまま返されるが、想像の範疇だった。キャスティは用意していた答えを怯むことなく返す。睨み上げるような形になってしまったが、退くわけにもいかなかった。
「……なるほど、確かにヒカリ殿の仲間らしい」
しかし、そう独白した男からは非難や追及といったものは感じなかった。ただ事実を受け入れるだけに留まる単調な呟きに、キャスティはまだ警戒をしながらも口を開く。
「私を……咎めに来たんじゃないんですか」
「私が望むことはただ一つ。主君に仕え、支えることのみ。これが意味するところはそう難解ではない」
迂遠に告げる老翁の真義を問う前に、彼は言葉を続けた。
「先程、ヒカリ殿と話をしていたな。ヒカリ殿は母君の薫陶を強く受けておる。ジゴ国王がご存命ならどれほどお喜びになったことか。今の国王の元では負の連鎖を、ライ様のような不幸を生むだけだ」
むしろ穏やかに言うその様子は、見返りを全く求めない、何処か子を想う父親のような暖かみのあるものだった。
キャスティは強張っていた肩から力を抜いた。
この人は、敵じゃない。
「手を取り合える人達が対立してしまうことは悲しいこと。すれ違いを埋められるのであれば、私はいくらでもお手伝いします。私は……そのためにここに来たんです」
キャスティの口から出た言葉も、何も形作ったものではない。流れ出たものだった。記憶を失う前の自分も同じことを考えている人間だと、今は多少なりともそう思える。それはサイの街やウィンターブルームで出会った人達が、そして旅の仲間達が教えてくれた。
「……そなたは似ているな」唐突に発された男の呟きに、キャスティは顔を上げる。「崩御されたヒカリ殿の母君に」
「ヒカリ……君の……?」
彼の父親の話はたまに聞くが、母親の話はそれに比べると少ない。先程も会話の切れ端で出てきただけで多くは語られなかった。ただ、幼少の時には既に母を亡くしていたと聞いているため、キャスティから安易に訊きだし辛い。彼の母親像というものは元々曖昧なものではあるが、一国の女王という立場を持った女性に似ていると言われるのはひどく漠然としている。
「存外、ヒカリ殿が懸想するならばそなたのような人間かもしれないな」
「けそう……?」即座に飲み込みにくい単語を発せられ、思わず不審な声をあげてしまった。瞬きを数回挟む程度の空白を置いて、乾いた唇が開いた。「えっと……それって人を……異性を……好きに……なるってこと……?」
ふわりと春空に舞う綿毛のように浮かんだ言葉は、形を歪にしたまま城の果てしない天井へと溶けて消えていく。手を伸ばそうとする勇気は、自分には出てこなかった。
「そんな……だとしたら、私にその資格はありません。最初は今回のことも疑っていた……心の何処かで疑ってしまっていました。自分のことも信じられない人間の、小さな嫉妬があったからです。私はヒカリ君を、ヒカリ君の語るライさんを信じきれなかった、弱い人間です」
「人は誰しも闇を抱えている。それを否定し目を背けることは健康的ではない。そう認めて言えるそなたは強く気高い人間だ。ライ様に今一番必要なのは、その認める心だと……そう、私は思う」
そう言いながら、キャスティの横を通り過ぎて老齢の男は牢へと続く階段の闇へと消えていった。彼がヒカリに会って話す内容を想像するのは難しくはない。
残されたキャスティは、城の出入り口へと視線を向ける。そこには、曇天に拡散された淡い月光に切り取られた大小の六人分の影がある。外部の者が侵入しているという状況だが、先程の老翁が気付いているのは明瞭だ。知っていて尚、キャスティを含めた自分達を見逃したのである。
キャスティがランタンを振ると、その六人がこちらへと歩いてくる。
「大丈夫。きっと二人とももう持っているわ。希望を」
――自分も、歩き続けなければいけない。歩み出さなければいけない。
そんな呟きが心の端で揺蕩い、無意識に鞄に付けた勾玉に手が伸びていた。
+++++
地上の物事に一切気に掛けないこの国の空は幾重もの灰色を塗り重ねて押し込められて作られている。山から吹き下ろす風が無遠慮に地上の万物を薙ぎ払い、地上を極寒の地へと作り上げていく。
それでも、西の空を見上げると、太陽がその日の寿命を終える前に光り輝いているのが見えた。本来分厚い雲が無ければ一面をグラデーションで飾り付けるはずの夕影が雲の向こう側で懸命に輝いている。
半壊している石橋の先には色素の欠けた城が厳然と佇んでいて、ともすれば背後の景色と同化してしまいそうだが、人がいることを示す煌々とした篝火が城の存在感を浮かび上がらせている。
「明日にはこの街も出立か。過ぎれば何事も刹那だな」
「そうですね」
柵に手を置いて、男が涼しげに答える。
沈黙を埋めていく人々の声も少しずつ遠ざかっていく。夕餉の準備を始めている家も多く、家々の屋根から伸びる煙突が灰色の煙を吐き出している。
ヒカリはテメノスに居直り、腰を折った。
「テメノスの言う通り、俺の命がここで潰えてもおかしくはなかった。俺が忠告を聞いていれば、友たちに迷惑をかけずに済んだ。……本当に、すまなかった」
二人の間を、ストームヘイル特有の颪が吹いていく。うなじに忌憚ない視線が突き刺さるのを感じながら、ヒカリはテメノスの非難を待った。
しかし、彼からかけられた口調は柔らかかった。
「ヒカリ、頭を下げないでください。私はあなたの選択は必要だったと思います。相手方の凍った心を溶かすのに真に必要だったのは、あなたのそのひたむきで雑念の無い魂胆だったんです。私も学ばせてもらいました」
(テメノスって照れてる時に左手で右腕をつねったりするのよ)
と、騒動を終えてから何気なく口にしていたキャスティの言葉を思い出してしまい、テメノスの発言を真剣に受けながらも、つい彼の手元を見てしまう。これが本当に彼の照れ隠しなのだとしたら、判りにくいことこの上ない。
「私は、ヒカリのことを誇りに思います。だからこそ、無茶をしてほしくはないのも事実ですけどね」
最後に釘を刺してくるのも、やはり彼らしい。ヒカリに非があり、手助けが必要だったのは事実なのだ。
「本当に、俺は一人では何もできないことを実感する」
噛み締めるように言うヒカリの隣で、テメノスは楽観した口調で言った。
「そう思っていただけると助かりますね。こうして寝食を共にしている仲なのですから、もっとパルテティオみたいに態度を大きくして頼っていただかないと。私達だって死ぬ気は全く無いんですからね」
「そうだな。存分に頼らせてもらおう。パルテティオみたいに上手くできるか判らないが」
「パルテティオは上手いんじゃなくて図々しいんですよ。あまり調子に乗らせるとそのうちク国からも優秀な人材を抜かれますから、程々に警戒しておいた方がいいですよ」
「ふむ、それは今後の戦や復興に困ってしまうな」
一通り話を終えたところで、どちらからともなく、自嘲気味の小さな笑みが零れた。
「そんなわけで、私の次の戦いに力を貸してくれますね?」
「ああ。テメノスが追っている人物を、俺も放ってはおけぬ。ク国の戦までには、まだ日はある」と明日の予定を話すだけのような気軽な調子で話しかけた。
「ええ。楽しみにしてますよ」テメノスも大様に笑んだ。「賢しく卑しい烏を討ち落とすには、それなりの奇手が必要ですからね、フフ」
「う、うむ……」
とても神職者とは思えない陰険さを満面に滲ませている。彼が敵対している者はヒカリからしても到底許せるものではないが、その行く先を思うと僅かに哀れみを覚えなくもない。
ヒカリがたじろいでいる間にテメノスはさっさと俗な笑みを引っ込めた。
「まあ、私よりも我々には先に行くべき所はあるでしょうが……」はたと動きを止めて、テメノスは外套の下からヒカリを睨め上げた。声の高さをそのままに、言外に緊迫感を滲ませる。「……ヒカリ、あなたはヒールリークスに行ったことがありますか」
短兵急の問いに、ヒカリは思わず顎を引いた。
「いや。ブライトランドの人も住まぬ村だと、そうソローネが言っていたが」
だからこそ、キャスティの目的地となる理由を考えると穏やかではいられない。故郷でも人の住まなくなった土地は様々な蛮行の温床となっていた。前向きになる何かが待っているとは到底思えなかった。
「ふむ……合っていますが、それでは言葉が足りない」
「と言うと?」
「ヒールリークスが廃村となった日はそう遠くはありません。キャスティが記憶を失った日と一致するからです」
「……本当なのか?」
「教会の情報網は舐めたらいけませんよ」
不遜に笑ってヒカリの疑いを一蹴し、すぐに真面目な顔つきに戻る。
「記憶障害の原因には心因性……精神的な傷もあると言います。例えば、親から強く乱暴を受けた子供が教会に引き取られた時に、その家にいた時のことを忘れていることがある。山賊に浚われた女性がその間の記憶を忘れていることがある。それは即ち、心の防衛なのです」
戦の最中、そうして戦えずに戦意を失った者もいる。ヒカリには、テメノスの言わんとすることは理解できた。キャスティの記憶を取り戻すことは、傷口に塩を塗るだけになる可能性が高いだろう。
「覚悟は……我々にも必要だと思います。まあ、彼女が起きた直後から知っているあなたは、とっくにしているかもしれませんが」
「……」
その時自分達がキャスティにできることは一体なんなのか。無力をただ突き付けられるだけかもしれないが、それでも考えることを止めてはいけないのだとテメノスは言いたいのだ。
「さて、野暮な話をしてしまいましたね。そろそろオーシュットの口とお腹が合唱し始める頃ですし、戻るとしますか」
と軽く伸びをしながら踵を返して歩き始めようとし、「おっと」その動きをぴたりと止めた。不審に思いヒカリも彼の視線の先を追うと、一人の人物がこちらに向かって歩いてきているようだった。寂寥とした雪景色の中で、仄日に照らされている彼女には色がついているように見える。
「戻るのは私だけの方が良さそうですね。皆に先に酒場に行くよう伝えておきます」
そう言い残しヒカリに背を向けて彼は去っていく。入れ替わりにやってきた女性は、臈長けた笑みを浮かべてこちらを見上げている。雪除けで被っているフードから金色の髪が見え隠れし、この寒空の地では中々望めない青空と同じ色をした相貌をより印象的に見せた。
「少しだけ、良い?」
「ああ」
小さく頷くと、彼女は笑みを崩さないままヒカリの隣に立った。視線の先には昨晩、そして明け方まで中にいた巨大な建造物があり、交差する槍と稲妻を印した旗が強風になびいていた。
「テメノスには謝った?」
「ああ。お互い様だと言われてしまった」
「認め合えたならよろしい。私もテメノスに一日がかりで付き合わされちゃったもの」
胸を張って、まるで自分のことかのように彼女は朗らかに笑った。
「改めて此度の件は感謝する、キャスティ。俺の不甲斐なさで皆に迷惑をかけてしまった」
「迷惑というより心配かしら、なんていうのは野暮だけれど。でもね、ヒカリ君は間違っていなかったわ。作為のない真っ直ぐなあなただから、ライさんの心を救えたのよ」
「救えたかは……まだ俺には判らないが」
「大丈夫よ、きっと来てくれる。あなたの言葉は彼女に響いていたわ」
やはり先程のテメノスと同様の返答が返ってくる。成すべきことはしたと、背中を押してくれるその声に、旅の中で幾度と救われたか判らない。甘えが見えてしまっているだろうかと思いながらも、彼女の真っ直ぐな言葉を否定することはできなかった。
「キャスティにそう言ってもらえると頼もしい。少し心が軽くなった、ありがとう」
「どういたしまして」
短いやり取りながらも雪のように積もった不安が流されていくような感覚。
それから無音を埋めるように粉雪が舞った。恐らく空からではなく、風上から飛んできた地吹雪である。こういった雪を花びらが舞うように見えることから風花という言葉に喩えるのだと珍しくテメノスが感傷的に言っていたのを思い出す。横目でキャスティを眺めると、化粧っけの無い肌が冷気で紅潮して彼女も自覚していない清艶な顔立ちを、風花がより一層飾り立てる。
「……私がここに来た理由、聞いてくれる?」
ヒカリは無言で頷いた。彼女が口にすることは、なんとなく察していた。その重要さを知っているからこそ、ヒカリは焦って続きを促すことはしない。
「私、……マレーヤの言っていた村へ……ヒールリークスに向かうわ」決意を固めた声が告げた。「私は自分が知りたい。真実を知って、ヒカリ君みたいに胸を張って前に進みたいの」
空色の瞳が、ヒカリを見上げた。空を赤く焼く太陽が彼女の横顔を強く照らしている。
身体の芯にぽっと火が灯ったような心地を覚える。外套の内側で一瞬にして熱気が膨れ上がる。
突き動かされるように声をあげようとしたが、鼻の奥が震え――
「へぁっぶし!」
自分の口から間抜けなくしゃみが出た。「す、すまない」咄嗟に取り繕うが、神妙な顔つきだったキャスティがささっと引っ込んでしまっていた。
「あらあら、風邪をひいたらいけないわ。もう酒場に向かう?」
素早い機転で背中を押されそうになり、慌てて引き留める。
「いや、これは風邪ではなくて、急な寒暖差が招いたものというか……と、とにかく大丈夫だ」
大きく咳払いして、逆に彼女の背を押して元の位置まで戻した。せっかくキャスティから歩み寄ってくれたのに、こんなことでぶった切るわけにはいかない。
青空と同じ色の双眸と目を合わせ、ヒカリは言った。
「キャスティ、俺はそなたを信じている」
握りしめた拳が震えた。この言葉を、今まで何度言ったか解らない。
「それ……ライさんにも同じこと言ってたわよね」と言った声色は何故か納得がいってないといった様子だ。そんなつもりはないが何度も口にしているせいで言葉の重みが薄れてしまっているのだろうかと、
「キャスティも同じように値する者というだけだ」改めてヒカリは嘘偽りない言葉を投げかける。「……俺も、断片的ではあるが記憶を失ったことがある。だから知らぬ恐怖というのは俺も理解しているし、不信感を抱く気持ちも解る。俺も、俺自身を知らない。だが、それは決して己を否定するものではない」
普段から他人を評すのに嘘を吐くことはないが、今この時は一言一句を噛み締めるようにキャスティに語る。彼女は欄干の向こうに沈む太陽に顔を向けたまま動かない。紅く染まった金色の髪が彼女の顔を曖昧に見せる。
「人を助けたいというそなたの思いは出会った日から今までまるで変わっていない。だから、俺は……ヒカリ・クはそなたを信じるのだ」
「……ありがとう。ヒカリ君の人を見る目と、それから私も私自身を信じてみるわ」
何か吹っ切れたように話す彼女に、ヒカリも安心する。キャスティと出会った日から、ヒカリはキャスティのことを見てきた。
疫病神、人殺しの薬師、そう罵られていた彼女は人を救うために全力を尽くし続け、手を差し伸べ続けている。ヒカリが今までに出会った、誰よりも。
だからこそ、彼女に差し出されるべき救いの手をヒカリも願い続けている。
-+-+-+-+-+-
街の水源での戦闘で身体に付いた異臭を落とすため、宿で町人の口利きによって水浴をさせてもらえることになった。祖国では貴重な水もこの国では豊富に溢れる程あるものだということが頭から抜けていて、慎重に木桶の水で濡らした手巾を絞りながら使っていたら、家の主人に遠慮するなと頭からぶちまけられてしまったものである。
潮風では髪が痛むからと今度は夫人に半ば強引にオイルを塗られてしまった。その時に亡き母と同じ色をした髪を切らないのは敬意だと言うと夫人が号泣してしまい、この街の洋服を一着と近所の店で販売しているパンを押し付けられてしまったため、聞慣れない港町の服装を着込み共に戦った女性をパンを齧りながら待つ事態に陥っている。早々にでも再開した船に乗り込み東大陸を目指したいが、世話になったキャスティに挨拶し労う合うくらいはすべきだろう。
しかし、どうにも自国以外の風景をこうしてじっくりと見たことがないため、そわそわと落ち着かない気持ちになる。華やかな色合いの煉瓦や窓の大きな家はもちろん、象徴とすら言える街の中に流れる水路の中で穏やかに水が流れる様は祖国では見れないものだ。
あの乾いた地に住み暮らす以上は全く同じ景色は望めまい。それでも、何か役立つものがないかと四顧していたその時。
「――待って!」
悲痛さを伴った女性の叫びが聞こえ、ヒカリは最早指の腹程度だったパンを口の中に詰め込んで走り出した。まだ出会って長くはないが、彼女の声は既にヒカリの頭の中にしっかりと刻まれている。病を持つ患者を前にしても、モンスターを前にしても一切取り乱すことのなかったはずの、彼女の声だ。
「どうした、何があった」道端で蹲る当の女性の姿があった。団子に結わえていたはずの肩より少し長い金色の髪はまだ完全に乾ききっておらず、その上から頭を片手で乱暴に抑えつけている。「キャスティ、頭が痛むのか、キャスティ……!」
「彼女を……」絞り出した声により返ってきた言葉は、ヒカリの問いとは違った。「マレーヤを、追って……っ!」
マレーヤ、といえば、キャスティがこのカナルブラインでたった今解決へと導いた疫病問題を手伝ってくれていたという薬師の女性の名前ではないか。騒動の中では結局ヒカリと顔を合わせることはなかったが、彼女と水源へ向かう最中に名前は聞いていたからすぐに察することができた。
「どちらへ向かった?」
声を出すのも苦痛らしく、キャスティは道の先を指差した。街の外へと続く方角である。
皮布を受け取った時と、水源へ赴いた時に聞いた彼女の特徴を反芻する。といっても、確か聞いていたのは栗色の髪の女性の薬師だということくらいだ。だが、薬師は大抵、薬草や材料の入った薄茶色の鞄を提げていることが多い。それにこの街の薬師は今いないから、この情報だけでもなんとかなるだろう。
「判った。キャスティは休んでいてくれ」
痛みに苦しむ彼女を置いていくのは忍びなかったが、一刻を争うような事態にそうも言っていられない。
鮮やかな石畳が敷き詰められた床を軽快に蹴って、まず一角を曲がった。周囲を見回してみるが、この街の潮風を軽やかに受け流すような色地の服を着ている住民ばかりで、薬師らしい人物は見受けられない。路地にも目を配ってみてはいるものの、人気は無いか、もしくは談笑している人々がいるだけだ。
丁度、いくつか歳上だと思われる男性二人がヒカリと目が合うと手を伸ばして会釈してきた。服の上からでも筋骨隆々であることが読み取れる。解れをその都度直しているらしい服も、一部は油がついて染みのようになっている。どうやら海を渡るための船を整備している人物らしい。
「おう、刀のあんちゃん。なんかこの街の英雄さんって聞いたぜ」
「あ、ああ……」なんだか知らないうちにこの街でヒカリも有名になってしまっている。戸惑いながらも彼らに尋ねた。「こちらに薬師の女性が来なかっただろうか?」
「薬師の女性って、あの金髪の……キャンディみたいな名前の?」
「いや、それはキャスティという者だが、キャスティではなく別の薬師だ、栗色の髪をしている。もう一人この街に滞在している旅の薬師がいるのだが」
「別の? お前知ってるか?」
「さあ……」
男性二人とも、首を傾げたまま戻ってこない。ヒカリも追加で情報を渡そうにも手元に材料が無かった。
「いや、すまない。ありがとう」
対応もなあなあにヒカリは早足で歩き出した。しかし、いくら見回しても港町らしい背格好の人物しか見当たらない。
その後も通りを歩く老婆や、はたまた露店を開く中年男性等、十人を達成したところでいよいよヒカリも自信がなくなってきた。
どうにもおかしい。
街の西口に辿り着いた頃には、自分の中に浮かんだ疑念が形を固め始めていた。
キャスティの言っている薬師が、今しがた姿を見た者はおろか、今回の事態を解決するまでに目撃した者がとんといないのである。異口同音に、金髪青眼の水色の服を着た薬師に助けられたと言い、他の薬師などは見ていない、というのだ。
蜃気楼を見せられたかのよう、という祖国の言葉はこういう時に使うべきなのだろうか。それとも今更ながら、薬師然とした恰好をしていない人物だったのだろうか。それはそれで騒動に立ち会っていたのだとしたら、人々の記憶に残りそうなものである。
結局キャスティの元に何の収穫もなく戻ってくることになった。彼女は酒場の屋外に置かれた背もたれのない簡素な椅子に座って、髪を櫛で解いていた。
「ヒカリ君……ありがとう」
どうキャスティに伝えるべきか考えあぐねていたら先手を打たれてしまった。もしかしたら彼女の言う存在など最初からいないのではないか――そんな疑いを向けるようなことを口にはできなかった。
「すまない、見失ってしまった」
「良いの。無茶させてごめんなさいね」
そういう彼女の呼吸はだいぶ落ち着いている。血の気もそれなりに戻っているようだった。「キャスティも体調は大丈夫なのか?」
「ええ、なんとか……」
ヒカリが席に座ると、酒場の主人が空っぽのテーブルを見かねて、冷やした果汁ジュースを持ってきた。硝子の内側で砂金が散っているような柑橘類のジュースだ。彼がいなければ、これ程スムーズに街の者を助けることはできなかっただろうから、本来ならばこちらからも何か礼をすべきなのだろうとヒカリは軽食を頼んだ。対価を多めに支払えばそれが礼にもなるだろう。
流れるようにキャスティも同じ物を頼んだ時は付き合わせて申し訳ない気持ちにもなったが、「いい判断ね、ヒカリ君」と笑顔で言われたので心中で胸を撫で下ろす。
改めてヒカリはキャスティに向き直る。
「キャスティ、もう一人いた薬師はどうしてそなたを……」
「……解らない。私には……何も……」
独白する声は、力無くテーブルの上に落ちていく。そのマレーヤという人物はそんなに薄情で物言わぬ人物なのかと憤りそうにもなったが、
「……ごめんなさい、こんな曖昧な話されても困っちゃうわよね」
彼女の消え入りそうな微苦笑にヒカリは怪訝な目で彼女を見る。どうも、単純な話ではないらしい。
実際に彼女が口を次いで話したものは、全く想像だにしていなかった内容だった。
「今日この街に来るまでの記憶が、私には無いの」
「記憶が……?」
「ええ。何処にいて、何処から来て、何者なのか。それも解らない。今日したことも、身体が憶えていたっていう感じで、私がそれをいつから勉強していたのか覚えていないの。だから私が着ていた制服を持つ意味も、私には解らない。ごめんなさいね、こんな人に付き合わせてしまって」
そんな状態で彼女は今日を過ごしていたというのか。確かめようのない不穏な噂を耳にしながら人助けに奔走していたというのか。
「……そんなことは……」
ヒカリは二の句が継げない。想像で語るにはあまりにも突拍子なことだった。
「でも、知ってる人がいないわけではないの。さっきいた……マレーヤは……」
「……知人だった、と?」
彼女は言っているのだ。右も左も解らない暗闇に差す一筋の光明が、そのマレーヤという薬師だったと。
「……もう一度、探してくる」
ヒカリが勢いよく席を立つと、木製の椅子が乱暴な音を立てて倒れかけるが自重で踏み止まる。思わずその椅子の行方に気を取られてしまい、走り出そうとした時には、キャスティに手を握られていた。
「ヒカリ君、待って、もうこの街にはいないわ。だから、本当に良いの」
「だが……」
「良いから、ね? ほら、座って」
あやされるように言われてしまって、ヒカリもばつが悪くなってしまう。このままマレーヤを見つけてきたとしても、見つけられなかったとしても、彼女を困らせてしまうのかもしれない、そんな気遣いの笑顔だった。
ヒカリは椅子に座り直した。これからどうするのかと問うべきかも躊躇われるが、またしても先手を取ったのはキャスティの方だった。膝上に置いていた鞄を探り一冊の紙束を取り出して言った。
「私の持ち物らしいこの鞄にあったの。きっと……この医療日誌を辿っていれば私が解るって、またマレーヤに会えるって、そう思うの」
キャスティがそう告げる姿は、垂れ下がった一本の糸に必死にしがみつき上ろうとしているようで、ヒカリはただ彼女を肯定することしかできなかった。
咄嗟に椅子に立てかけていた刀に手を伸ばしていた。突然の行動に戸惑うキャスティの前で刀の鍔に巻き付いていた紐を解き、雫の先を曲げたような琥珀色の石を机の上に置いた。陽光を反射し、海に負けず劣らず輝きを放っている。
「あら、綺麗な石ね」
「これは勾玉と言う守りだ」
「お守り?」
「古くからある物で、狩った動物の牙とも三日月とも胎児の形とも言われている。その由来から神秘的な力を持つと言われているのだ」
テーブルの上の勾玉を再度手にして、キャスティのジュースの隣に並べた。硝子とジュースで屈折した陽光がいくつもの破片になって勾玉の上に落ち、その石はより神聖な物に見えた。
「今日会ったのも何かの縁だ。これを貰ってくれないか」
-+-+-+-+-+-
その時の勾玉は彼女の鞄についたまま、ヒカリとキャスティは旅を共にすることになった。最初は二人で船を渡るだけの予定だったものが、一人、また一人と旅の仲間が増えて今やすっかり大所帯である。
この旅の中でキャスティは医療日誌に書かれた場所へと赴いた。彼女は薬師として、何よりも人として慕われていることに一番安堵したのは彼女自身だっただろう。
それでもやはり、記憶の断片が戻らない限り、『人殺しのエイル薬師団』の汚名の真相を理解することはできない。
キャスティの予感通り、マレーヤという人物は医療日誌に書かれた土地を巡ったキャスティの前に現れた。そして彼女に言われたのだという。
ヒールリークスに来てほしい。
そう告げて去っていったのだという。キャスティが一人でいた時の話だ。
結局、ヒカリはマレーヤという人物に会ってはいない。栗毛色の女性で、かつてキャスティと同じエイル薬師団に属していたらしいという、その情報しか手元にしかない。
きっと、同じなのだ。
ヒカリから見たマレーヤと、キャスティから見たライ・メイは同じなのだ。
仲間達がライ・メイのことを信じきれていなかったように、ヒカリは彼女の語る人物を信じきれていない。
ならば、自分にできることはなんなのか。
「キャスティ、そなたが記憶を取り戻した暁には、俺にマレーヤ殿の話を聞かせてくれ。昨日の話だけではない、もっと昔の話もだ。もちろん、キャスティの話したい時で構わない。皆がいる酒の席でも……こうして二人でいる時でもいい」
最初、ヒカリの提案を聞いて彼女は不思議そうに小首を傾げた。ただ、彼女もきっと行き着いたのだろう。昨夜の彼女自身と同じ行動が求められていると察したのだろう。彼女は一瞬だけ戸惑ってから相好を崩して、
「ええ、是非」と首肯した。「何があっても、皆がいるから平気よね」
その笑顔には取り繕ったものは一切なく、あどけない笑顔だった。書き物でよく表現される花が咲き誇るような笑顔とはきっと今の彼女の笑みのことを言うのだろう。
(……皆が、か)
そう言えることに安堵する一方で、少し嫉妬の念がないわけではなかったけれど。ただ、彼女が意識してなのか、無意識なのか、鞄につけた勾玉を確かめるように撫でたのが目に焼き付いた。
勾玉のその起源は推測でしか伝わっていない。彼女に伝えた通り、狩った獣の牙の形とも、産まれる胎児の形とも、三日月の形とも、そして魂の形とも言われている。その由来から生命や再生の象徴とも言われ、戦でも身に着ける者も多かった。事実、ヒカリが刀の鞘に結んでいた物も母の形見である。
キャスティとの話を終えて仲間の待つ宿へと去ろうとした時、ふと背後から気配を感じた。――その向こうは断崖なのだから、人の気配を感じるはずもない――だが、確かにこちらに向けられる視線か意思か……そういったものが感じられた。
どうか……キャスティを守ってほしい。
刹那、颪が昼間に降った細かな雪を巻き上げる。砂漠の砂粒が舞い上がるのに似た、雪の風花が一面を乱暴に飛び回る。
通り過ぎた一風による勘違いだったのだろうか。ヒカリの空耳だったのだろうか。自分がキャスティのことを気にかけているのと同じように、かつての彼女の仲間もきっとそうであったと思いたい、ヒカリ自身の願いだったのだろうか。
彼女の向かうべき村は、滅び、人の住まなくなった村、ヒールリークス。キャスティの記憶の果てを追い求める旅は続く。
薄暗く狭い階段を上り終え、雪国に来てすっかり見慣れた自分の吐く白い息が霧散していく様を眺めた。キャスティが最善だと思っていることは今のところできている。
しかしそれ以上に、安堵している自分がいた。ヒカリが無事な姿を見たことに対する、安堵である。
この城に通じる橋が落ちて突貫で打たれた木板の橋を恐々と渡っている間も、キャスティは気が気ではなかった。橋の割れ目は乱雑で、中には黒焦げに焼けている箇所もあった。昨日ヒカリと外から眺めていた時はそんな傷痕は無かったので、今日この城に向かうと言っていたヒカリとの間に何かあったのは明白だった。
志は同じである者達が外からでは見えない何か因縁のようなものがあって阻んでいる。それがキャスティにはとてももどかしい。
わざとらしく目立つようにキャスティの背後で音が聞こえた。振り返るか一瞬だけ悩んだが、キャスティは視線を向けた。
見張られている、というのは自覚していた。この城に来た時に対応したのが彼だったから。
壁の陰から革靴が滑り出す。濃紺色の外套を羽織ったその姿は、街で何人もすれ違った姿である。何より、ガーナが勤める診療所でも傍にこの外套をかけている病人がいた。この城の主に仕えることを示す色。
「そなたは、ヒカリ殿の旅の共だったのだな」
淡々とした、感情の読めない声だった。手にしたランタンから漏れる暖色の灯りが、男の頬に刻まれた皺を浮かび上がらせている。刈り込まれた麦藁色の髪はさながら獣型の魔獣の鬣のようで、闇夜でもはっきりと見えた。体格は男性にしては中背で、彼の自然に見える一挙手一投足には一切の無駄がない。背中に背負った槍が時折窓から差し込む月光を反射して、彼の隠した牙を表現しているかのようだった。
「……反逆罪に問われているヒカリ王子の仲間を捕まえに来たのでしょうか」
「そうだ、と言ったら?」
「私は薬師です。私は正式に診療所から派遣されて目の前の患者の治療をしただけ」
質問をそのまま返されるが、想像の範疇だった。キャスティは用意していた答えを怯むことなく返す。睨み上げるような形になってしまったが、退くわけにもいかなかった。
「……なるほど、確かにヒカリ殿の仲間らしい」
しかし、そう独白した男からは非難や追及といったものは感じなかった。ただ事実を受け入れるだけに留まる単調な呟きに、キャスティはまだ警戒をしながらも口を開く。
「私を……咎めに来たんじゃないんですか」
「私が望むことはただ一つ。主君に仕え、支えることのみ。これが意味するところはそう難解ではない」
迂遠に告げる老翁の真義を問う前に、彼は言葉を続けた。
「先程、ヒカリ殿と話をしていたな。ヒカリ殿は母君の薫陶を強く受けておる。ジゴ国王がご存命ならどれほどお喜びになったことか。今の国王の元では負の連鎖を、ライ様のような不幸を生むだけだ」
むしろ穏やかに言うその様子は、見返りを全く求めない、何処か子を想う父親のような暖かみのあるものだった。
キャスティは強張っていた肩から力を抜いた。
この人は、敵じゃない。
「手を取り合える人達が対立してしまうことは悲しいこと。すれ違いを埋められるのであれば、私はいくらでもお手伝いします。私は……そのためにここに来たんです」
キャスティの口から出た言葉も、何も形作ったものではない。流れ出たものだった。記憶を失う前の自分も同じことを考えている人間だと、今は多少なりともそう思える。それはサイの街やウィンターブルームで出会った人達が、そして旅の仲間達が教えてくれた。
「……そなたは似ているな」唐突に発された男の呟きに、キャスティは顔を上げる。「崩御されたヒカリ殿の母君に」
「ヒカリ……君の……?」
彼の父親の話はたまに聞くが、母親の話はそれに比べると少ない。先程も会話の切れ端で出てきただけで多くは語られなかった。ただ、幼少の時には既に母を亡くしていたと聞いているため、キャスティから安易に訊きだし辛い。彼の母親像というものは元々曖昧なものではあるが、一国の女王という立場を持った女性に似ていると言われるのはひどく漠然としている。
「存外、ヒカリ殿が懸想するならばそなたのような人間かもしれないな」
「けそう……?」即座に飲み込みにくい単語を発せられ、思わず不審な声をあげてしまった。瞬きを数回挟む程度の空白を置いて、乾いた唇が開いた。「えっと……それって人を……異性を……好きに……なるってこと……?」
ふわりと春空に舞う綿毛のように浮かんだ言葉は、形を歪にしたまま城の果てしない天井へと溶けて消えていく。手を伸ばそうとする勇気は、自分には出てこなかった。
「そんな……だとしたら、私にその資格はありません。最初は今回のことも疑っていた……心の何処かで疑ってしまっていました。自分のことも信じられない人間の、小さな嫉妬があったからです。私はヒカリ君を、ヒカリ君の語るライさんを信じきれなかった、弱い人間です」
「人は誰しも闇を抱えている。それを否定し目を背けることは健康的ではない。そう認めて言えるそなたは強く気高い人間だ。ライ様に今一番必要なのは、その認める心だと……そう、私は思う」
そう言いながら、キャスティの横を通り過ぎて老齢の男は牢へと続く階段の闇へと消えていった。彼がヒカリに会って話す内容を想像するのは難しくはない。
残されたキャスティは、城の出入り口へと視線を向ける。そこには、曇天に拡散された淡い月光に切り取られた大小の六人分の影がある。外部の者が侵入しているという状況だが、先程の老翁が気付いているのは明瞭だ。知っていて尚、キャスティを含めた自分達を見逃したのである。
キャスティがランタンを振ると、その六人がこちらへと歩いてくる。
「大丈夫。きっと二人とももう持っているわ。希望を」
――自分も、歩き続けなければいけない。歩み出さなければいけない。
そんな呟きが心の端で揺蕩い、無意識に鞄に付けた勾玉に手が伸びていた。
+++++
地上の物事に一切気に掛けないこの国の空は幾重もの灰色を塗り重ねて押し込められて作られている。山から吹き下ろす風が無遠慮に地上の万物を薙ぎ払い、地上を極寒の地へと作り上げていく。
それでも、西の空を見上げると、太陽がその日の寿命を終える前に光り輝いているのが見えた。本来分厚い雲が無ければ一面をグラデーションで飾り付けるはずの夕影が雲の向こう側で懸命に輝いている。
半壊している石橋の先には色素の欠けた城が厳然と佇んでいて、ともすれば背後の景色と同化してしまいそうだが、人がいることを示す煌々とした篝火が城の存在感を浮かび上がらせている。
「明日にはこの街も出立か。過ぎれば何事も刹那だな」
「そうですね」
柵に手を置いて、男が涼しげに答える。
沈黙を埋めていく人々の声も少しずつ遠ざかっていく。夕餉の準備を始めている家も多く、家々の屋根から伸びる煙突が灰色の煙を吐き出している。
ヒカリはテメノスに居直り、腰を折った。
「テメノスの言う通り、俺の命がここで潰えてもおかしくはなかった。俺が忠告を聞いていれば、友たちに迷惑をかけずに済んだ。……本当に、すまなかった」
二人の間を、ストームヘイル特有の颪が吹いていく。うなじに忌憚ない視線が突き刺さるのを感じながら、ヒカリはテメノスの非難を待った。
しかし、彼からかけられた口調は柔らかかった。
「ヒカリ、頭を下げないでください。私はあなたの選択は必要だったと思います。相手方の凍った心を溶かすのに真に必要だったのは、あなたのそのひたむきで雑念の無い魂胆だったんです。私も学ばせてもらいました」
(テメノスって照れてる時に左手で右腕をつねったりするのよ)
と、騒動を終えてから何気なく口にしていたキャスティの言葉を思い出してしまい、テメノスの発言を真剣に受けながらも、つい彼の手元を見てしまう。これが本当に彼の照れ隠しなのだとしたら、判りにくいことこの上ない。
「私は、ヒカリのことを誇りに思います。だからこそ、無茶をしてほしくはないのも事実ですけどね」
最後に釘を刺してくるのも、やはり彼らしい。ヒカリに非があり、手助けが必要だったのは事実なのだ。
「本当に、俺は一人では何もできないことを実感する」
噛み締めるように言うヒカリの隣で、テメノスは楽観した口調で言った。
「そう思っていただけると助かりますね。こうして寝食を共にしている仲なのですから、もっとパルテティオみたいに態度を大きくして頼っていただかないと。私達だって死ぬ気は全く無いんですからね」
「そうだな。存分に頼らせてもらおう。パルテティオみたいに上手くできるか判らないが」
「パルテティオは上手いんじゃなくて図々しいんですよ。あまり調子に乗らせるとそのうちク国からも優秀な人材を抜かれますから、程々に警戒しておいた方がいいですよ」
「ふむ、それは今後の戦や復興に困ってしまうな」
一通り話を終えたところで、どちらからともなく、自嘲気味の小さな笑みが零れた。
「そんなわけで、私の次の戦いに力を貸してくれますね?」
「ああ。テメノスが追っている人物を、俺も放ってはおけぬ。ク国の戦までには、まだ日はある」と明日の予定を話すだけのような気軽な調子で話しかけた。
「ええ。楽しみにしてますよ」テメノスも大様に笑んだ。「賢しく卑しい烏を討ち落とすには、それなりの奇手が必要ですからね、フフ」
「う、うむ……」
とても神職者とは思えない陰険さを満面に滲ませている。彼が敵対している者はヒカリからしても到底許せるものではないが、その行く先を思うと僅かに哀れみを覚えなくもない。
ヒカリがたじろいでいる間にテメノスはさっさと俗な笑みを引っ込めた。
「まあ、私よりも我々には先に行くべき所はあるでしょうが……」はたと動きを止めて、テメノスは外套の下からヒカリを睨め上げた。声の高さをそのままに、言外に緊迫感を滲ませる。「……ヒカリ、あなたはヒールリークスに行ったことがありますか」
短兵急の問いに、ヒカリは思わず顎を引いた。
「いや。ブライトランドの人も住まぬ村だと、そうソローネが言っていたが」
だからこそ、キャスティの目的地となる理由を考えると穏やかではいられない。故郷でも人の住まなくなった土地は様々な蛮行の温床となっていた。前向きになる何かが待っているとは到底思えなかった。
「ふむ……合っていますが、それでは言葉が足りない」
「と言うと?」
「ヒールリークスが廃村となった日はそう遠くはありません。キャスティが記憶を失った日と一致するからです」
「……本当なのか?」
「教会の情報網は舐めたらいけませんよ」
不遜に笑ってヒカリの疑いを一蹴し、すぐに真面目な顔つきに戻る。
「記憶障害の原因には心因性……精神的な傷もあると言います。例えば、親から強く乱暴を受けた子供が教会に引き取られた時に、その家にいた時のことを忘れていることがある。山賊に浚われた女性がその間の記憶を忘れていることがある。それは即ち、心の防衛なのです」
戦の最中、そうして戦えずに戦意を失った者もいる。ヒカリには、テメノスの言わんとすることは理解できた。キャスティの記憶を取り戻すことは、傷口に塩を塗るだけになる可能性が高いだろう。
「覚悟は……我々にも必要だと思います。まあ、彼女が起きた直後から知っているあなたは、とっくにしているかもしれませんが」
「……」
その時自分達がキャスティにできることは一体なんなのか。無力をただ突き付けられるだけかもしれないが、それでも考えることを止めてはいけないのだとテメノスは言いたいのだ。
「さて、野暮な話をしてしまいましたね。そろそろオーシュットの口とお腹が合唱し始める頃ですし、戻るとしますか」
と軽く伸びをしながら踵を返して歩き始めようとし、「おっと」その動きをぴたりと止めた。不審に思いヒカリも彼の視線の先を追うと、一人の人物がこちらに向かって歩いてきているようだった。寂寥とした雪景色の中で、仄日に照らされている彼女には色がついているように見える。
「戻るのは私だけの方が良さそうですね。皆に先に酒場に行くよう伝えておきます」
そう言い残しヒカリに背を向けて彼は去っていく。入れ替わりにやってきた女性は、臈長けた笑みを浮かべてこちらを見上げている。雪除けで被っているフードから金色の髪が見え隠れし、この寒空の地では中々望めない青空と同じ色をした相貌をより印象的に見せた。
「少しだけ、良い?」
「ああ」
小さく頷くと、彼女は笑みを崩さないままヒカリの隣に立った。視線の先には昨晩、そして明け方まで中にいた巨大な建造物があり、交差する槍と稲妻を印した旗が強風になびいていた。
「テメノスには謝った?」
「ああ。お互い様だと言われてしまった」
「認め合えたならよろしい。私もテメノスに一日がかりで付き合わされちゃったもの」
胸を張って、まるで自分のことかのように彼女は朗らかに笑った。
「改めて此度の件は感謝する、キャスティ。俺の不甲斐なさで皆に迷惑をかけてしまった」
「迷惑というより心配かしら、なんていうのは野暮だけれど。でもね、ヒカリ君は間違っていなかったわ。作為のない真っ直ぐなあなただから、ライさんの心を救えたのよ」
「救えたかは……まだ俺には判らないが」
「大丈夫よ、きっと来てくれる。あなたの言葉は彼女に響いていたわ」
やはり先程のテメノスと同様の返答が返ってくる。成すべきことはしたと、背中を押してくれるその声に、旅の中で幾度と救われたか判らない。甘えが見えてしまっているだろうかと思いながらも、彼女の真っ直ぐな言葉を否定することはできなかった。
「キャスティにそう言ってもらえると頼もしい。少し心が軽くなった、ありがとう」
「どういたしまして」
短いやり取りながらも雪のように積もった不安が流されていくような感覚。
それから無音を埋めるように粉雪が舞った。恐らく空からではなく、風上から飛んできた地吹雪である。こういった雪を花びらが舞うように見えることから風花という言葉に喩えるのだと珍しくテメノスが感傷的に言っていたのを思い出す。横目でキャスティを眺めると、化粧っけの無い肌が冷気で紅潮して彼女も自覚していない清艶な顔立ちを、風花がより一層飾り立てる。
「……私がここに来た理由、聞いてくれる?」
ヒカリは無言で頷いた。彼女が口にすることは、なんとなく察していた。その重要さを知っているからこそ、ヒカリは焦って続きを促すことはしない。
「私、……マレーヤの言っていた村へ……ヒールリークスに向かうわ」決意を固めた声が告げた。「私は自分が知りたい。真実を知って、ヒカリ君みたいに胸を張って前に進みたいの」
空色の瞳が、ヒカリを見上げた。空を赤く焼く太陽が彼女の横顔を強く照らしている。
身体の芯にぽっと火が灯ったような心地を覚える。外套の内側で一瞬にして熱気が膨れ上がる。
突き動かされるように声をあげようとしたが、鼻の奥が震え――
「へぁっぶし!」
自分の口から間抜けなくしゃみが出た。「す、すまない」咄嗟に取り繕うが、神妙な顔つきだったキャスティがささっと引っ込んでしまっていた。
「あらあら、風邪をひいたらいけないわ。もう酒場に向かう?」
素早い機転で背中を押されそうになり、慌てて引き留める。
「いや、これは風邪ではなくて、急な寒暖差が招いたものというか……と、とにかく大丈夫だ」
大きく咳払いして、逆に彼女の背を押して元の位置まで戻した。せっかくキャスティから歩み寄ってくれたのに、こんなことでぶった切るわけにはいかない。
青空と同じ色の双眸と目を合わせ、ヒカリは言った。
「キャスティ、俺はそなたを信じている」
握りしめた拳が震えた。この言葉を、今まで何度言ったか解らない。
「それ……ライさんにも同じこと言ってたわよね」と言った声色は何故か納得がいってないといった様子だ。そんなつもりはないが何度も口にしているせいで言葉の重みが薄れてしまっているのだろうかと、
「キャスティも同じように値する者というだけだ」改めてヒカリは嘘偽りない言葉を投げかける。「……俺も、断片的ではあるが記憶を失ったことがある。だから知らぬ恐怖というのは俺も理解しているし、不信感を抱く気持ちも解る。俺も、俺自身を知らない。だが、それは決して己を否定するものではない」
普段から他人を評すのに嘘を吐くことはないが、今この時は一言一句を噛み締めるようにキャスティに語る。彼女は欄干の向こうに沈む太陽に顔を向けたまま動かない。紅く染まった金色の髪が彼女の顔を曖昧に見せる。
「人を助けたいというそなたの思いは出会った日から今までまるで変わっていない。だから、俺は……ヒカリ・クはそなたを信じるのだ」
「……ありがとう。ヒカリ君の人を見る目と、それから私も私自身を信じてみるわ」
何か吹っ切れたように話す彼女に、ヒカリも安心する。キャスティと出会った日から、ヒカリはキャスティのことを見てきた。
疫病神、人殺しの薬師、そう罵られていた彼女は人を救うために全力を尽くし続け、手を差し伸べ続けている。ヒカリが今までに出会った、誰よりも。
だからこそ、彼女に差し出されるべき救いの手をヒカリも願い続けている。
-+-+-+-+-+-
街の水源での戦闘で身体に付いた異臭を落とすため、宿で町人の口利きによって水浴をさせてもらえることになった。祖国では貴重な水もこの国では豊富に溢れる程あるものだということが頭から抜けていて、慎重に木桶の水で濡らした手巾を絞りながら使っていたら、家の主人に遠慮するなと頭からぶちまけられてしまったものである。
潮風では髪が痛むからと今度は夫人に半ば強引にオイルを塗られてしまった。その時に亡き母と同じ色をした髪を切らないのは敬意だと言うと夫人が号泣してしまい、この街の洋服を一着と近所の店で販売しているパンを押し付けられてしまったため、聞慣れない港町の服装を着込み共に戦った女性をパンを齧りながら待つ事態に陥っている。早々にでも再開した船に乗り込み東大陸を目指したいが、世話になったキャスティに挨拶し労う合うくらいはすべきだろう。
しかし、どうにも自国以外の風景をこうしてじっくりと見たことがないため、そわそわと落ち着かない気持ちになる。華やかな色合いの煉瓦や窓の大きな家はもちろん、象徴とすら言える街の中に流れる水路の中で穏やかに水が流れる様は祖国では見れないものだ。
あの乾いた地に住み暮らす以上は全く同じ景色は望めまい。それでも、何か役立つものがないかと四顧していたその時。
「――待って!」
悲痛さを伴った女性の叫びが聞こえ、ヒカリは最早指の腹程度だったパンを口の中に詰め込んで走り出した。まだ出会って長くはないが、彼女の声は既にヒカリの頭の中にしっかりと刻まれている。病を持つ患者を前にしても、モンスターを前にしても一切取り乱すことのなかったはずの、彼女の声だ。
「どうした、何があった」道端で蹲る当の女性の姿があった。団子に結わえていたはずの肩より少し長い金色の髪はまだ完全に乾ききっておらず、その上から頭を片手で乱暴に抑えつけている。「キャスティ、頭が痛むのか、キャスティ……!」
「彼女を……」絞り出した声により返ってきた言葉は、ヒカリの問いとは違った。「マレーヤを、追って……っ!」
マレーヤ、といえば、キャスティがこのカナルブラインでたった今解決へと導いた疫病問題を手伝ってくれていたという薬師の女性の名前ではないか。騒動の中では結局ヒカリと顔を合わせることはなかったが、彼女と水源へ向かう最中に名前は聞いていたからすぐに察することができた。
「どちらへ向かった?」
声を出すのも苦痛らしく、キャスティは道の先を指差した。街の外へと続く方角である。
皮布を受け取った時と、水源へ赴いた時に聞いた彼女の特徴を反芻する。といっても、確か聞いていたのは栗色の髪の女性の薬師だということくらいだ。だが、薬師は大抵、薬草や材料の入った薄茶色の鞄を提げていることが多い。それにこの街の薬師は今いないから、この情報だけでもなんとかなるだろう。
「判った。キャスティは休んでいてくれ」
痛みに苦しむ彼女を置いていくのは忍びなかったが、一刻を争うような事態にそうも言っていられない。
鮮やかな石畳が敷き詰められた床を軽快に蹴って、まず一角を曲がった。周囲を見回してみるが、この街の潮風を軽やかに受け流すような色地の服を着ている住民ばかりで、薬師らしい人物は見受けられない。路地にも目を配ってみてはいるものの、人気は無いか、もしくは談笑している人々がいるだけだ。
丁度、いくつか歳上だと思われる男性二人がヒカリと目が合うと手を伸ばして会釈してきた。服の上からでも筋骨隆々であることが読み取れる。解れをその都度直しているらしい服も、一部は油がついて染みのようになっている。どうやら海を渡るための船を整備している人物らしい。
「おう、刀のあんちゃん。なんかこの街の英雄さんって聞いたぜ」
「あ、ああ……」なんだか知らないうちにこの街でヒカリも有名になってしまっている。戸惑いながらも彼らに尋ねた。「こちらに薬師の女性が来なかっただろうか?」
「薬師の女性って、あの金髪の……キャンディみたいな名前の?」
「いや、それはキャスティという者だが、キャスティではなく別の薬師だ、栗色の髪をしている。もう一人この街に滞在している旅の薬師がいるのだが」
「別の? お前知ってるか?」
「さあ……」
男性二人とも、首を傾げたまま戻ってこない。ヒカリも追加で情報を渡そうにも手元に材料が無かった。
「いや、すまない。ありがとう」
対応もなあなあにヒカリは早足で歩き出した。しかし、いくら見回しても港町らしい背格好の人物しか見当たらない。
その後も通りを歩く老婆や、はたまた露店を開く中年男性等、十人を達成したところでいよいよヒカリも自信がなくなってきた。
どうにもおかしい。
街の西口に辿り着いた頃には、自分の中に浮かんだ疑念が形を固め始めていた。
キャスティの言っている薬師が、今しがた姿を見た者はおろか、今回の事態を解決するまでに目撃した者がとんといないのである。異口同音に、金髪青眼の水色の服を着た薬師に助けられたと言い、他の薬師などは見ていない、というのだ。
蜃気楼を見せられたかのよう、という祖国の言葉はこういう時に使うべきなのだろうか。それとも今更ながら、薬師然とした恰好をしていない人物だったのだろうか。それはそれで騒動に立ち会っていたのだとしたら、人々の記憶に残りそうなものである。
結局キャスティの元に何の収穫もなく戻ってくることになった。彼女は酒場の屋外に置かれた背もたれのない簡素な椅子に座って、髪を櫛で解いていた。
「ヒカリ君……ありがとう」
どうキャスティに伝えるべきか考えあぐねていたら先手を打たれてしまった。もしかしたら彼女の言う存在など最初からいないのではないか――そんな疑いを向けるようなことを口にはできなかった。
「すまない、見失ってしまった」
「良いの。無茶させてごめんなさいね」
そういう彼女の呼吸はだいぶ落ち着いている。血の気もそれなりに戻っているようだった。「キャスティも体調は大丈夫なのか?」
「ええ、なんとか……」
ヒカリが席に座ると、酒場の主人が空っぽのテーブルを見かねて、冷やした果汁ジュースを持ってきた。硝子の内側で砂金が散っているような柑橘類のジュースだ。彼がいなければ、これ程スムーズに街の者を助けることはできなかっただろうから、本来ならばこちらからも何か礼をすべきなのだろうとヒカリは軽食を頼んだ。対価を多めに支払えばそれが礼にもなるだろう。
流れるようにキャスティも同じ物を頼んだ時は付き合わせて申し訳ない気持ちにもなったが、「いい判断ね、ヒカリ君」と笑顔で言われたので心中で胸を撫で下ろす。
改めてヒカリはキャスティに向き直る。
「キャスティ、もう一人いた薬師はどうしてそなたを……」
「……解らない。私には……何も……」
独白する声は、力無くテーブルの上に落ちていく。そのマレーヤという人物はそんなに薄情で物言わぬ人物なのかと憤りそうにもなったが、
「……ごめんなさい、こんな曖昧な話されても困っちゃうわよね」
彼女の消え入りそうな微苦笑にヒカリは怪訝な目で彼女を見る。どうも、単純な話ではないらしい。
実際に彼女が口を次いで話したものは、全く想像だにしていなかった内容だった。
「今日この街に来るまでの記憶が、私には無いの」
「記憶が……?」
「ええ。何処にいて、何処から来て、何者なのか。それも解らない。今日したことも、身体が憶えていたっていう感じで、私がそれをいつから勉強していたのか覚えていないの。だから私が着ていた制服を持つ意味も、私には解らない。ごめんなさいね、こんな人に付き合わせてしまって」
そんな状態で彼女は今日を過ごしていたというのか。確かめようのない不穏な噂を耳にしながら人助けに奔走していたというのか。
「……そんなことは……」
ヒカリは二の句が継げない。想像で語るにはあまりにも突拍子なことだった。
「でも、知ってる人がいないわけではないの。さっきいた……マレーヤは……」
「……知人だった、と?」
彼女は言っているのだ。右も左も解らない暗闇に差す一筋の光明が、そのマレーヤという薬師だったと。
「……もう一度、探してくる」
ヒカリが勢いよく席を立つと、木製の椅子が乱暴な音を立てて倒れかけるが自重で踏み止まる。思わずその椅子の行方に気を取られてしまい、走り出そうとした時には、キャスティに手を握られていた。
「ヒカリ君、待って、もうこの街にはいないわ。だから、本当に良いの」
「だが……」
「良いから、ね? ほら、座って」
あやされるように言われてしまって、ヒカリもばつが悪くなってしまう。このままマレーヤを見つけてきたとしても、見つけられなかったとしても、彼女を困らせてしまうのかもしれない、そんな気遣いの笑顔だった。
ヒカリは椅子に座り直した。これからどうするのかと問うべきかも躊躇われるが、またしても先手を取ったのはキャスティの方だった。膝上に置いていた鞄を探り一冊の紙束を取り出して言った。
「私の持ち物らしいこの鞄にあったの。きっと……この医療日誌を辿っていれば私が解るって、またマレーヤに会えるって、そう思うの」
キャスティがそう告げる姿は、垂れ下がった一本の糸に必死にしがみつき上ろうとしているようで、ヒカリはただ彼女を肯定することしかできなかった。
咄嗟に椅子に立てかけていた刀に手を伸ばしていた。突然の行動に戸惑うキャスティの前で刀の鍔に巻き付いていた紐を解き、雫の先を曲げたような琥珀色の石を机の上に置いた。陽光を反射し、海に負けず劣らず輝きを放っている。
「あら、綺麗な石ね」
「これは勾玉と言う守りだ」
「お守り?」
「古くからある物で、狩った動物の牙とも三日月とも胎児の形とも言われている。その由来から神秘的な力を持つと言われているのだ」
テーブルの上の勾玉を再度手にして、キャスティのジュースの隣に並べた。硝子とジュースで屈折した陽光がいくつもの破片になって勾玉の上に落ち、その石はより神聖な物に見えた。
「今日会ったのも何かの縁だ。これを貰ってくれないか」
-+-+-+-+-+-
その時の勾玉は彼女の鞄についたまま、ヒカリとキャスティは旅を共にすることになった。最初は二人で船を渡るだけの予定だったものが、一人、また一人と旅の仲間が増えて今やすっかり大所帯である。
この旅の中でキャスティは医療日誌に書かれた場所へと赴いた。彼女は薬師として、何よりも人として慕われていることに一番安堵したのは彼女自身だっただろう。
それでもやはり、記憶の断片が戻らない限り、『人殺しのエイル薬師団』の汚名の真相を理解することはできない。
キャスティの予感通り、マレーヤという人物は医療日誌に書かれた土地を巡ったキャスティの前に現れた。そして彼女に言われたのだという。
ヒールリークスに来てほしい。
そう告げて去っていったのだという。キャスティが一人でいた時の話だ。
結局、ヒカリはマレーヤという人物に会ってはいない。栗毛色の女性で、かつてキャスティと同じエイル薬師団に属していたらしいという、その情報しか手元にしかない。
きっと、同じなのだ。
ヒカリから見たマレーヤと、キャスティから見たライ・メイは同じなのだ。
仲間達がライ・メイのことを信じきれていなかったように、ヒカリは彼女の語る人物を信じきれていない。
ならば、自分にできることはなんなのか。
「キャスティ、そなたが記憶を取り戻した暁には、俺にマレーヤ殿の話を聞かせてくれ。昨日の話だけではない、もっと昔の話もだ。もちろん、キャスティの話したい時で構わない。皆がいる酒の席でも……こうして二人でいる時でもいい」
最初、ヒカリの提案を聞いて彼女は不思議そうに小首を傾げた。ただ、彼女もきっと行き着いたのだろう。昨夜の彼女自身と同じ行動が求められていると察したのだろう。彼女は一瞬だけ戸惑ってから相好を崩して、
「ええ、是非」と首肯した。「何があっても、皆がいるから平気よね」
その笑顔には取り繕ったものは一切なく、あどけない笑顔だった。書き物でよく表現される花が咲き誇るような笑顔とはきっと今の彼女の笑みのことを言うのだろう。
(……皆が、か)
そう言えることに安堵する一方で、少し嫉妬の念がないわけではなかったけれど。ただ、彼女が意識してなのか、無意識なのか、鞄につけた勾玉を確かめるように撫でたのが目に焼き付いた。
勾玉のその起源は推測でしか伝わっていない。彼女に伝えた通り、狩った獣の牙の形とも、産まれる胎児の形とも、三日月の形とも、そして魂の形とも言われている。その由来から生命や再生の象徴とも言われ、戦でも身に着ける者も多かった。事実、ヒカリが刀の鞘に結んでいた物も母の形見である。
キャスティとの話を終えて仲間の待つ宿へと去ろうとした時、ふと背後から気配を感じた。――その向こうは断崖なのだから、人の気配を感じるはずもない――だが、確かにこちらに向けられる視線か意思か……そういったものが感じられた。
どうか……キャスティを守ってほしい。
刹那、颪が昼間に降った細かな雪を巻き上げる。砂漠の砂粒が舞い上がるのに似た、雪の風花が一面を乱暴に飛び回る。
通り過ぎた一風による勘違いだったのだろうか。ヒカリの空耳だったのだろうか。自分がキャスティのことを気にかけているのと同じように、かつての彼女の仲間もきっとそうであったと思いたい、ヒカリ自身の願いだったのだろうか。
彼女の向かうべき村は、滅び、人の住まなくなった村、ヒールリークス。キャスティの記憶の果てを追い求める旅は続く。
※ここから言い訳エリア
・一章で合流させる形式書きたくなっちゃってすいません
・クンゾそんな強くなかったって?でも老兵は強い方がかっこいいじゃないですか
・キャスティが本当に東大陸の人間かどうかは定かではありません。何処の人間ですかね?知らん……
※ここまで言い訳エリア
これ書き始めたのは冬だったと思うんですが、気付けば季節が一巡してまた世間は冬になっており、switch2とかオクトラ0とか気付けば発売していました。そしてどうやら3周年という節目らしいです。おめでとうオクトラ2!ありがとうオクトラ2!(挨拶)
流石にこれだけ作品を重ねていると、いつもと違う視点から書きたいなと思いまして、キャスティ1章に遭遇するヒカリの図を書きました。
一部のシーン・文章は10作目の「蒼然」を流用・今回の小説のために加筆等しています。つまりどういうことかというと、これを書いた当時からこのヒカリ4章ベースの話を書いていたことになります。1年以上経ってるな?はい。
そのうちキャスティ1章も書きたくなり、絶対長文になるけどお前書くんかこれ!と自問自答しながら進め、加えて全然書けてない時期も結構あったりなかったり。執筆速度が亀と言ってましたが、最近はダイオウグソクムシなんじゃないかと思い始めてきました。兎になる道のりは遠いなあ……。
7作目に続き、戦闘シーンが書けたのがまた楽しかったですね。今回は原作の技を使っていたりは全くないただのチャンバラではありますが、ヒカリとクンゾの凄みが少しでも伝わっていたら幸いです。かっこいいじいちゃんをかっこよく書こうの会に所属しています。
またしても続きを書きたい気持ちがあったりしますが、明言すると飽きた時の言い訳が聞かないため、適当にお持ちいただけますと幸いです。ヒカキャスもいいけどピルソロもいいんだぞ!という気持ちでオクトラ2はまだまだ接していきたいとは思ってはいます。
ところでヒカリはどうして「俺は戦いたくない」と言いながら剣を抜くんでしょうか。いつも抜いたなら覚悟を持てみたいなこと言ってるじゃないですか。ヒカリも安易に抜かんようにしてくれ、と念を送ったらあんな戦闘になりました。結局抜いてる。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ拍手やコメントなどいただけると嬉しくて飛び跳ねます。
26.4.1追記 、さん
乱文長文お読みいただきありがとうございます!とても熱の入った感想でこちらとしてもとても元気を貰えました。視点が変わるのはよく書くんですが、時が交錯する話は自分も経験がそうなかったので、映画みたいで素敵だと言っていただけて大変光栄です!本当にありがとうございます。
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・どんなゲームでも大体腕前は中の下~上の下辺りに生息
・小説(ゲームの二次創作)書いたり、ゲーム内の台詞まとめたり
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・SFC GC(GBAプレイ可) Wii WiiU NSw NSwlite NSw2 PS2 PS3 PS4 PS5
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