ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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オクトラ2小説7作目。

 キャスティヒカリのカップリング(ヒカキャス)要素そこそこなサブクエスト「朽ち寺の刀狩り」を元にしたお話です。
 後はパルテティオも結構出てきます。

 時系列的にはヒカリ5章終了後。前回の「おわりとはじまり」の終盤で八人の旅立ち~ハーバーランドに辿り着くまでにあった…………のかもしれないお話ですが、繋がりは全く無いので、このお話からお読みいただいても全く問題ありません。

 ギャグ路線のこまけーこた気にするなな、ちょっとだけメタ的な話とかもあるので、広い心を持ってお読みください。

 字数は2万4千字程です。相変わらず一記事に入らなかったので二分割しています。

 それでは「試合をしますか? ~朽ち寺の幕」です、どうぞ。




試合をしますか? ~朽ち寺の幕(1/2)


「ヒカリ君?」
 自分の名を呼ぶ冷たい声に、ぞくりと何かが背筋を這い上がっていく感覚があった。敢えて言うなら神経毒で身体を痺れさせてくる蛇や蠍を思い起こさせる。
「そこに座って」
 彼女の笑顔とは裏腹に、その声は殺気すら孕んでいた。
 ヒカリが眠っていた布団の横で胡座をかいて座り込んでいた隣人が、口元に手を当てて戦々恐々とこちらに耳打ちをしてくる。
「お、おい……ヒカリ……」
「パルテティオ?」
 自分が何か反応するよりも早く、鋭い声が割って入る。
「は、はい!」
「あなたもそこに座って?」
 誰にも有無を言わせない迫力のせいで、今の彼女はいつもの何倍も大きく見えた。以前、海上で船に揺られている時に海藻に身を包んだ巨大な魔物と遭遇したのだが、無意識にその魔物を想起させてしまった。それを発言したが最後、数日は口を聞いてもらえないどころか、自分があの巨大な魔物のようにされてしまうだろうから絶対に言わないでおく。
 頭に包帯をぐるぐると巻かれた状態のまま、ヒカリは床板の上に丁寧に並べられた布団のうちの一つを占拠する形で正座する。膝に乗った手首から掌にかけても同じように包帯が巻かれていて、それも三倍くらいの用量で執拗に巻かれているせいで、骨が折れているわけではないのに全く手首を動かせない。
 やむを得ない雰囲気を滲ませて横に並んだパルテティオも何故か揃って正座をした。多分彼には一番行儀の良い、もしくは一番苦痛な座り方だと認知されている。
 二人が大人しく座り込んだのを確認して、キャスティは胸の前で腕を組んだまま憤りを塗りたくった声音で言った。
「あなたの今の罪状を言ってくれるかしら、ヒカリ君」
 彼女の声が三人しかいない宿の一室に重々しく響き渡る。語勢も強いわけではないのに、言葉の一言一言が剥き出しの棘になってヒカリの肌を突いてくるようだった。
 痛みに耐えかね、勇気を奮って喉から乾いた声を絞り出す。
「……ひ、ひとりで……」「声が小さい」間髪入れず駄目だしを受けてしまった。「うわあ……こわ……」と完全に他人事のオーシュットの呟きが壁の向こうから聞こえたが、キャスティが扉付近を一睨みすると獣人特有の頭の上に乗った愛らしい耳を畳んでそそくさと引っ込んでいった。先程からオーシュットだけでなくテメノスやソローネの気配もするが、介入する気はさらさら無いらしい。それどころか絶対に面白がっている。ソローネなんかは気配を消すことなど造作もないだろうに。
 喉仏が上下して、もう一度ヒカリは発言する。「ひとりで……」「もう少し大きな声で言ってくれるかしら」……いっそやけっぱちで丹田に力を入れて声を張り上げた。
「一人で朽ち寺に行って瀕死で帰ってきた!!」
 恐らく、というか絶対宿の外にまで声が漏れている。少なくとも部屋の外では「どうされました?」慌ただしい宿の主人の声がし、仲間達が応対するところまでしっかりと聞こえてくる。「お気になさらず。ただの素敵な痴話喧嘩です」「宿の物は絶対に間違いなく壊さないから安心して」「はぁ……」……忸怩たる思いを抱くが、そうも言ってられる状況ではない。目の前には海藻の……ではなく絹糸のように柔らかで緩やかな癖のついた金色の髪を旋毛で団子にして留めたキャスティがいる。
 彼女は仁王立ちで相変わらず貼りついた笑顔そのまま、
「そうよね、私達が戻ってくるのを待てずに相談も無しで行ったのよね、それでこんなボロボロになって帰ってきたのよね、お寺から締め出されてパルテティオに連れられてね」
 事実をさも岩石の如く投げつけられて立つ瀬も無い。背後は谷底、前は鬼。横に黄色い服に身を包んだ友はいるが、自分含めてこの場を打開できる術を持ってはいない。解決するためには自分の身を削って死児の齢を数えるが如く猛省するしかないのだと、心の底で考える。
 真実、考えは足りなかった。皆で野戦病院の手伝いをしている最中、天幕の傍で傷付いて憤っている青年と出会ったのがパルテティオと二人でいる時だった。野戦病院で働く薬師マオの指示の元でキャスティを中心に動き、他の者達は自らの仕事を進めていてすぐに姿が見えなかったのである。自分達は水を汲みに行き、その帰り際だった、というだけだ。……厳密に言うとキャスティは天幕の中にいたのだが、当然忙しなく働いていてとても話し掛けられるような状態ではなかった。
 剣士の端くれであるヒカリには自分の刀がいかに大事な物かは身に染みて解る。だから彼の奪われた刀を取り戻したいという切実な頼みを、すぐに叶えてやりたいと思った。刀を失くしてしまった剣士など、足をもがれた馬や羽根を毟られた鳥と同義なのである。
「パルテティオからある程度あなたの行動は聞いてるわ。刀を取られたって泣いてた若い子のために走ったっていう気持ちはよく解る。でも問題はそこじゃない。賢いヒカリ君なら判るわよね?」
 と頭半分で考えて積み上げていた理由が、無情にもキャスティによって粉々にされる。思考の瓦礫の中から生まれ出たそれは確かに心当たりがあるものだった。
「う、うむ……」
 喉の奥で煮え切らない返事が停滞した。そんなヒカリに畳み掛けるように矢継ぎ早に彼女は言った。
「新しい街に行く度にあなたは武者修行って言って、あっちへふらふらこっちへふらふら、手合わせせずにはいられない。その延長線上だって理解してる?」
「うむ……」
「強い人に会ったらドキドキしちゃうんでしょ?」
「む……」
「良いお題目ができたって、それを免罪符にして勝手に一人で突っ走ったのよね?」
「……」
「きゃ、キャスティ……もうその辺にしとけって……さっきまで寝込んでたん」
「パルテティオに口を開く許可は与えてません」
「あ、はい……」
 次々と降り注ぐ岩石に同情の意を示してくれたのか隣に座るパルテティオが口を挟むが、当のキャスティは声色を全く変えることなく、余波よろしく無情な礫が雨あられと飛んでいくだけである。まなじりを決した空色の瞳がパルテティオへと標的を変えた。
「大体パルテティオも問題よ。危険な場所に私やテメノス無しで行ってどうなるか、あなただって判らないわけではないでしょう」
「へえ、ごもっともで……」
「薬品だって病院での治療のために私が殆ど持ってたわ。あなたが持っていた薬は微量で即効性にも欠ける、事態の対処にも限界があった。それくらい判断できるわよね?」
「う、うん……」
 普段は大きく頼りがいのある肩が、背中から重たい荷物を押し付けられているように委縮していく。普段輝きを失うことのない翡翠の瞳から光がどんどんと失われていくのが判った。
 非が無い友が責められていることが、自分が責め苦に喘いでいる以上に苦痛だった。負うべきは自分だけのはずだ。膝の上で握り締めている拳に力が入り、爪が掌に巻かれた包帯に食い込む。
「……すまない。全て俺の咎だ、キャスティ」
 拳を解いて包帯で巻かれた白い手を膝から放し、布団の上に置く。彼女の足元に落ちていた視線を一度上げてから、無駄を省いた所作で腰から身体を折った。髪は下ろしたままなので、布団の上にいくつも黒い渦が出来上がる。「おー、あれがヒノエウマどげざ……」と壁の向こうからオーシュットが呟いた声が聞こえた。テメノス辺りが楽しげに吹き込んでいる姿が容易に想像できるが、ヒカリは無視して続けた。
「キャスティの言う通りだ。男の話を聞いて、己の中に浮かんだ欲に勝つことができなかった。興趣と、蛮勇に振り回されてしまった。俺の心の弱さと驕りが原因だ」
「そんな、ヒカリに限って驕りなんてねーよ」黙っていろと言われたパルテティオがやっぱり性に合わないと強引に口を挟む。ヒカリの肩を掴んで軽く揺すった。「躊躇ってた背中を押したのは俺だ。迷うくらいなら行けって囃したのは俺なんだぜ、ヒカリ。なあ、キャスティも」
「だが決めたのは俺だ」パルテティオに身体を揺らされながらも、ヒカリは布団に擦り付けた額を離すことはしなかった。「俺であれば手を差し伸べてやれる、その情動を驕り以外で示す言葉は無い」
「ヒカリ……」
 圧搾された懺悔がころりと転がり落ちた。自分の軽率な行動で、この場の誰もが負の感情を抱いている。自責の念がヒカリを床へと縛り付ける。
 ややあって短な溜め息と共に上の方から衣擦れの音がして、ぽんと肩に軽く何かが乗る。顔を上げずとも、ヒカリはそれが何か理解した。ふわりと鼻孔を擽る緑樹の匂いは、彼女が常日頃から触れてきている薬草達と同じ匂い。
「ヒカリ君」口を開いた時には刺々しかった語調を削ぎ落としていた。「あなたの人を助けたいという感情を、私も解っているわ。別にね、頭ごなしにヒカリ君の気持ちに反対しているわけではないの。……だからね、」
 それからさっきまでとはまた違った気合いを入れて得意気に、
「だから私も協力するわ。一緒に刀を取り戻しましょう」
 それはある意味当然のような提案だった。彼女の人助けの精神は出会いの頃からよく理解している。隣で正座に限界を感じてきたのか足を崩しかけていたパルテティオも納得の唸り声を吐き出していた。最も一番騒いでいるのは廊下の方で「やっぱりキャスティならそう言うと思った」だの「彼女もお人好し極まれりですからね」だの「流石おふくろだな~」だの呑気な調子で聞こえてくる。
 しかしキャスティも彼らも、古くからこの地方に伝わる寺の実態を知らないからそう言えるのだ。実地へ赴きあの建物の因習染みた風貌を眺めると、彼女の要請が困難であることをすぐに察することができるだろう。
 話の展開が変わってきたので流石にヒカリはきっかり折り畳んでいた腰を元に戻したが、爛々と輝かせている空色の眼に映る自分の姿は困惑の表情を湛えていた。
「キャスティ、申し出は大変有難いのだがあの寺には一人でしか入れぬ。あの地は古来より一対一の決闘を行い、血で血を洗ってきた場だ。三人以上が立ち入れば呪われると言われていて、入ることも不可能だ」
「そうだぜ、俺だって入ろうとしたけど開かなかったんだ」
「入ろうとしたのか……」苦い声色で言うと、「あ」パルテティオは思わず口走ってしまった、とばかりに口元を咄嗟に両手で抑えた。
「俺はあれほど止めたぞ」
「だってよ……なんっつうか、待ってるだけじゃ落ち着かねえじゃねえか……」
 パルテティオはあくせくと視線を泳がした。確かに彼は考えるよりもまず動く人種なので、その行動は必然のことかもしれない。キャスティもパルテティオに同調して「あら、そうなのね。私もこっそりついて行こうと思ったのだけれど」なんて軽い調子で言った。あの巨大な門扉を破壊する勢いで詰め寄る二人の姿が容易に頭の中に浮かんでしまい、ヒカリは身の縮む思いである。元々呪われているような立場の自分ならまだしも、二人をこの地方のごたごたに巻き込むわけにはいかない。しかし旅の仲間達の中でもとりわけこの場の二人ともどうも首を突っ込みたがりなので、厚意を断る言葉を選ぶのは困難を極めた。
 そのヒカリが思い悩み詰めている雰囲気が伝わったのか伝わっていないのか、「だったら……」とキャスティは何やら荷物を漁り始めた。続きが読み取れず身構えている間に、あっけらかんと彼女は言い放った。
「私から言いたいことは二つ。必ず寺のすぐ傍まで私を連れていくこと。それと、外傷に備えて傷薬の調合を教えてあげるわ」
 出し抜けに視界が真っ暗になる。突然のヒカリの身に起きた刺激に条件反射で瞼が下りてきたのだが、目を開いたところで同じく暗闇が広がるだけだった。どうやら頭から何か……布を被せられている。包帯の巻かれた白い手で不器用ながら布を引き剥がすと、正体は彼女の服の色と変わらない水色の、服装のようだった。
「教える……とは」
 ばさばさと遠慮なく服を被せてくるので、またしても視界が塞がれて灰色に染まった。今度は生地の薄い清潔感のある白い布地だった。それもなんとか頭の上から押し退けると、二度にも渡って頭の上からの攻撃のせいでヒカリの黒髪が乱れてしまっている。
「そのままの意味よ。戦いの最中でも使える薬の処方を教えてあげるわ」鞄を乱暴に漁りながらも、研ぎ澄まされた決然とした気迫を込めて言う。「ただし薬も行き過ぎれば毒よ。これは即効性が高いけれど、その分中毒性もあるし使い過ぎると肌も荒れるの。短時間で使うのは三回までね」
「結構多いように感じるが……?」
「因みに四回使うと廃人コースよ。三回っていうのはギリギリの数字ね」
「ぎりぎりて……」
「恐ろしいな……」
 さらりと慄然とすることを言われ隣人と顔を見合わせたが、キャスティの方は我関せず説明を続けた。
「この液体にこの粉末を入れてね、するとこうして……」彼女の手元でじゅっという音を立て、混ざった薬は何秒か見つめている間に消えてしまった。「反応があるんだけど、熱が発生するし沸点も下がる。だからこの薬はすぐに気化してしまうの。保存に向かないけれど、戦いの最中でこれほど頼りになる物も無いわ」
 キャスティが褒め称えた二つの素材は、見ただけでは他の薬草と比べて卓抜したものを感じたりはしない。自分の植物への知見は限られたものであり、仮にこれが金塊と同等の価値を持っていたと言われてもヒカリには判断はできないのだろう。これらの効用を確実に習熟しているキャスティには頭が下がる思いだ。
 脳内で彼女の説明を懸命に叩き込み頷くと、キャスティが「じゃあ実行は明日ね」と満足そうに締め括った。
 だが、この膝上に山になった布は一体何なのだろう。一連の会話で言及されなかったが、これも使えと言われている……のだろうか。
「その、キャスティ」
「何かしら?」
「この服は……」
「着るのよ」
「……何故?」
「気分ね」
「気分」
「そう、気分」
「そ、そうか……」
 正直よく解らないが、どうも着ないと話が進まないらしい。先程まで灸を据えられていた立場だったのもあって、ヒカリは大人しく従うことにした。キャスティやパルテティオ、そして他の仲間達も、あの呪われている寺とは無関係であり続けることが何よりもヒカリにとっては大事であった。押し付けられた服を着るだけでそれが叶うのならば安いものである。
「この前コニングクリークの薬師ギルドで色々と仕入れてきて……この服は予備分で染色屋で染め直したのよね」
 なんてキャスティが楽し気に言っていたから、というのも否定はできない。

+++++

「あらあら……」
 目をぱちくりとさせながら呟くキャスティの頬は、砂漠を焦がす熱気を受けて僅かに赤らんでいた。そんな中でも涼やかな色合いを保つ空色の瞳がヒカリの傷跡を熱心に覗いている。
「ダメだったか……」
 頭から布を被り帽子で顔を仰いでいたパルテティオが隣で肩を落とした。砂漠の画一的な暖色にも負けない鮮やかな黄金色の外套が彼を守るようにたなびいていた。
 朽ち寺の近く、半壊した別の構造物の下。地表全てを炙り尽くすような日差しと砂塵を運ぶ空っ風を避けるように二人が待機してくれていて、こうして寺から叩きだされたヒカリを介抱しているのが、騒動の翌日の結末である。
「ここ、止血するわね」
 右の前腕に刻まれた特段大きな傷からの出血が酷いのは明らかだった。感覚が麻痺しているからか、抜けていく血の量がそこそこあるからか、彼女の適切な処置も自分ではなく別の者に対して行われているような気すらしてくる。しかしキャスティはすぐ目の前にいて、一心にヒカリの傷を診てくれている。己の職務を全うにこなしている彼女を見ていると、自らの不甲斐なさに気後れしてしまう。
「すまない、キャスティ……」
「謝ることではないわ。あなたは頑張ったのだから……ね、お疲れ様」
 脇腹にできた痣の前にキャスティが座った。人差し指と中指で一つ緑色の乳化した薬を引き延ばし、「少し冷たいわよ」言い切る前に更に薬指が清涼な白色の薬を塗る。それを目で追いながら、ヒカリは特に大きな怪我の無い左腕で傍に置いた薬師の服装を漁り、小瓶と薬包紙を自分の膝元に置いた。
「薬の素材も返す。残り一回分だ」
 キャスティは首を横に振って、こちらの手を優しく押し返した。
「いいえ、それはあなたが持っていて」
「……うむ、すまぬな」
「良いの、材料はそこまで希少じゃないから。それにしてもヒカリ君をここまで追い詰めてるなんて……」
「買ってくれているのは有難いが、俺の強さは大したものではない。錬磨の達人に俺は足元にも及ばぬ。あやつは、そう呼べる強さを持っていた」
 言いながら、眉間に肉薄した刀身が脳裏で閃いた。抜け落ちた天井から差し込む陽光を受け相対していた者の腕前は、盗人に当て嵌めるのも憚られるが開明的とすら言える剣術だった。
 弄ばれている。ヒカリはそう感じていた。
 それに奴がこちらの命まで奪わずにこうして逃がし再戦の機会を与えるのは、情けからではないのだろう。
 刃を交えた時に感じた殺気、酔眼の中に孕んだ狂気。それらはヒカリにとって馴染み深い、既視感を覚えるものだった。
 だからだろうか、余計に浮き足立ってしまったのは。
「……ねえ、本当にそう思ってる?」
 キャスティの呟きに、意識が引き戻される。何か話を聞いていなかったかとヒカリは問い直した。
「そう、とは?」
「あなたが足元にも及ばないって言ったこと」
 キャスティは手元で薬を練っている鉢に言葉を落とした。どうやら聞き漏らしていたことはなく、さっきヒカリが言ったことについて反論をしようとしているらしい。
「私はその人と対峙していないから実際のことは判らない。でも今日の傷……最初深めに入っていた切り傷も途中から外してあるわ。昨日と違って、相手の攻撃にあなたはきちんと対応できてる」
「だが事実、俺は対峙して意識を失った。傷を負い、今は戦えぬ状態だ。あやつの剣は間違いなく天来の妙技と言える」
 この状況ではキャスティの信頼を素直に喜べない。彼女の作る酔い覚ましの薬を飲んだ時のような苦い声で答えた。
 僅かな沈黙の後、キャスティが先程と変わらない穏やかな口調で、
「だったらヒカリ君……相手があなたを勝ると言うのであれば、その人の真似っこをしてみてはどう?」
「真似……?」
 彼女の慣れた手付きは一流の薬師のそれなのに、そんな彼女から飛び出たやや突飛な言葉遣いに閉口した。
「ええ。だって、ヒカリ君の洞察力と習熟の早さは間違いなく才能だもの」
 そこまで言われるとヒカリにも身に覚えがない、というわけではない。特に幼少期にジン・メイにも同じことを言われたから自覚はある。誰かと手合わせした時に知見を得てその術技を用いて戦うことも時としてあり、何度もこの旅路を支えてきた。
 しかし仮にあの男の剣技を真似ただけでは、少なくとも対等にすらなれない。何か決定打を考えなければいけない。例えばそれは……、
「……ヒカリ君」不意に名を呼ばれ、思考が止められる。「それにまだ……ヒカリ君の底で燻ってるわ、あなたの力が。だから……」
 彼女は水色の思慮深い瞳を細める。たった今、ヒカリが何を考えていたかをまるで覗き見るように――
「ところで、あのーキャスティさん」
 一瞬感じた静寂に雫を垂らしたのは気の抜けた男の声。波紋を広げた彼にキャスティの意識は吸い寄せられていった。
「何かしら」
 どうしてだか心なしか温度が下がっている。それを感じているのは自分だけのようで、彼は変わらず緊張感の無い様子で、
「なんで俺はまた背筋を伸ばして座らされてるのでしょうか。そろそろ説明が欲しいです……」
「あら、だってまだパルテティオをしっかり叱ってないじゃない? 待ち侘びているかと思って」
「えぇ……もう十分こわ……あ、いえ何でもありません」
 流石にパルテティオもキャスティの態度の変わりように何かを感じたようで、言葉が尻すぼみになっていく。
「何でもないってことない……わよね?」
 彼女の威圧で腕を伸ばした範囲くらいの砂漠の熱気が一瞬で凍り付く。それどころかウィンターランドの寒気が流れ込んできたような錯覚すら覚えて身震いする男二人を余所に、キャスティは何故かまた満面の笑みを浮かべている。鬼の再来……と発言したが最後、その辺の砂と岩と瓦礫のどれに埋められるのが良いか選んでなんて言われるだろうから止めておく。
「ふふ、ヒカリ君。まだ手立てが一つあるわよ」
 自信満々で言うなりキャスティはパルテティオの顔を仰いでいた帽子を奪い取った。
「へ?」
 急に手を出された方は抜けた声を出しているが、対するキャスティは昨日の宿でのやり取りを彷彿とさせる固い声音で放った。
「パルテティオ、スタンドアップ」
「なんで?」
「じゃあ立たなくても良いから大人しくしててね」
「なんで!?」
 今度はパルテティオの黄金色の外套をばさばさと乱暴に脱がせ始めた。
「俺の帽子! 俺の服!」
 ヒカリの横でもみ合いが起こり、どちらに手を出すべきか考える間もなく黄金色の外套と桑染色の間着(本人はベストと呼んでいたような気がする)、下衣とがキャスティの手に収まっていた。「だ、旦那が強奪するより酷い……」身包みを剥がされた方はさっきまでヒカリが着ていた水色の上着を抱き寄せ身を縮こませて涙目である。
「パルテティオから休憩する方法を学びなさい、ヒカリ君」
 ヒカリが目を白黒させている合間に、キャスティは手にした服をなんだかやりきった顔でこちらに突き付けてきた。当然今の今まで着られていた服なので人肌の温もりが残っている。別にそこに抵抗があるわけではなかったが、足元に転がる青年がヒカリの服の下でめそめそしているのを見ると気が引けてしまい、押し付けられたままの姿勢でまごついてしまう。
 そんな男二人の態度に目もくれず、キャスティは薄っすらと品のある微笑を浮かべて、
「今のあなたに足りないのは息を抜いて自分を見つめ直すことよ。その子の刀を取られたことに共感して焦るのも解るけど、それに熱くなったり、負けて悔いるだけじゃ勝てないわ」
 指摘されてはっとする。彼女の言う通りなのかもしれない。昨日からずっと戦うことに固執していた。相手の強大さと卑劣さに翻弄されて自分を見失っていなかったか、頭に血が上っていなかったか、意固地になっていなかったか。自問してみると、それらを否定することはできない。
 次に自分がどう立ち回るべきかは自ずと見えてくる。さっきまで考えていたことも含めてだ。
「……ありがとう、キャスティ」
「糸口が見えたかしら?」
「ああ、明日は必ず」力強く頷き、膝上に置かれた輝かしい色を放つ衣服に視線を落とした。やっぱりこれは彼の犠牲を無意味にしないためにも確認しておこう。そもそも今こんな物理的に実行に起こすこともなかったわけだし。「その……これは着なければいけないだろうか」
「ええ。気の持ちようが違うでしょ?」
「まあ……確かにな」
 薬師の服装で身を包んだ時、普段と異なる力が湧いてきたのは否めない。自然とキャスティのことが思い浮かび、彼女の仕草を鮮明に呼び起こすきっかけにはなっていた。その手で薬を作るのに違和感は無かった。
「ヒカリ……俺の屍を乗り越えて頑張れよ……」
 地の底を伝って辛うじて届いてきたような足元から聞こえてくる掠れ声に、ヒカリは小さく頷いた。

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