ポケ迷宮。

ネッツの端っこにあるヴィオののんびり日記的な旧時代的個人ブログ。大体気に入ったゲームについて語ってます。

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当記事はタイトルの二次創作の中編にあたります。
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信の果て(2/3)

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 その時、正直なところ目の前の女性に疑いを持ってしまっていた。

 ヒカリが兄の反乱で祖国を追われたのはその数日前。二日かけてヒノエウマで馬を駆り、走り潰した馬をリューの宿場に置いて、旅人に紛れてハーバーランドへと向かった。ヒノエウマと違い、そこは水に恵まれた土地である。
 まず気圧されたのは遠目からでもよく見えた、柱仙人掌をとにかく大きくしたかのような円筒の建物だった。夜になると、その天辺に灯される灯りが印象的で、迷わずにヒカリはこの街に辿り着くことができた。
 ヒカリは初めてこの土地に来て潮のにおい、というものを知った。絶えず唸る潮騒を聞いた。垂れ下がった樹木が鬱蒼とする土地を見た。全てが新鮮で、興味の対象になった。もし、時間が許すのであれば一人旅というものを満喫しただろう。
 しかし兄の悪行は時が経つほどに加速し、国に住む民達の暮らしが悪化するのは判りきっていた。
 だから三年前に国許を離れてしまった親ヒカリ派カザンへの助力を、早急に請う必要があった。一刻も早く船に乗り東大陸へ渡らなければいけなかった。
 そうして辿り着いたカナルブラインは港町であるにも関わらず、船がすぐに出せる状況ではなかった。その街ではある騒ぎが起こっていた。
 原因不明の熱病が流行っていたのである。そこかしこで倒れている町人に対し、ヒカリは手を差し伸べ背中をさすったりはしたものの、具体的に何をしたら良いのか見当もつかない。祖国では虫や魔獣に噛まれて発熱を起こす病はあるが、今のヒカリの手元にそれを治す薬も無ければ、あったとしても服用させて良いものかも解らない。
 それを思い出していたからか日の当たるところはまずいのではないかと思考が働き、抱えて日陰へと運ぼうかとした矢先、
「私が診るわ」
 涼やかな声と共に一人の女性の服の裾がヒカリの前で翻る。白色と水色と基調とした配色の布が細身の膝元までを覆っている。その上から前掛けをつけ、腰で蝶々結びにされ彼女の後を追う。
 口元を布で覆い、皮手袋をつけていた。頭には見たこともない装身具をつけて髪を後頭骨で纏めている。そんな奇異な出で立ちの中で、金色の髪に真っ先に目を奪われた。旧友ライ・メイも同じような髪色であったが、彼女のものはそれよりも繊細で、陽光を淡く返す様はまるで砂漠の波を覗いているようにも思えた。自分よりもいくつか年齢は上だろうか、空色の瞳は凛としていて聡明だ。
 ヒカリの目にはヒノエウマの装束以外の物は殆どが新鮮に映ったが、彼女の装いも決して街に馴染んでいるわけではなかった。白い肌と色素が薄い瞳からして東大陸の人間のようである。
「あなたは大丈夫?」
 女性は手元でお椀のような物に液体や粉末を入れて、これまた拳程度の長さの太い棒で混ぜ込むように作業をし始めた。手際の良さに圧倒されて口を噤んでしまったが、何を意図されての質問か図りかねたため、ヒカリは問い直した。
「大丈夫か、とは」
「咳が出るとか、身体が熱くてふらふらするとか、そういった身体の異常はある?」今までの振る舞いやその口ぶりからするに、彼女は薬師のようである。「もしかしたら感染するかもしれないから、接触は避けておいた方が良いわ」
「かんせん?」
「接触することで、あなたも彼と同じように身体を悪くしてしまうかもしれないってことよ」
「……ふむ」
 なるほど、そういった考えであれば祖国でもよく聞く話だ。病は気から『でんせん』するものである。病に罹った者が触れた者を侵すことは無論理解できるが、しかし人より頑丈なのか――これも血の因果なのかと勘繰ってしまうが――ヒカリは幼い頃から病気というものをあまり経験したことがなかった。
「俺のことは問題ない。差し出がましいかもしれないが、何か手伝えることはあるだろうか」
 急ぐ身の上ではあったが、この事態を見過ごせるわけがない。ヒカリは女性に尋ねてみるが、あまり好ましい反応は返ってこなかった。
「もしかしたら時間が経ってから症状が出るかもしれないから……」そう言うのも薬師の、彼女の立場なら当然だろうとヒカリも胸中で納得しかけていたところに、ふと彼女は言葉を止めた。「そうね、なら街の東の酒場にいる女性の薬師にこれを持っていってほしいのだけど……頼めるかしら」
「判った」
 ヒカリは肩掛け鞄から出された何かが包まれているらしい皮布を受け取る。彼女に近付いたからか、ふわりと街のものとは異なるにおいがした。それもまた、ヒカリにとって馴染みのないものだった。

 街にいる薬師団は折悪く不在にしていたことと、今この街を走り回っているその女性に対して清濁混じった噂話を聞いたのは、話題の人物の探し人を探している時だった。
 金髪の薬師に頼まれたと思われる酒場は、病人の一時保護施設となっていた。木製の扉、というには胸元にしか出入りを遮る物はない。どうするか一時考えて押し開けると、錆びの伴った金属音が鳴った。
 中に入ると外の海風と同じにおいが、より強烈にヒカリの鼻を刺激する。海を生まれてこの方一度も見たことのないヒカリにはそのにおいも、そして耳を常に叩く潮騒も、何もかもが新鮮に映った。
「すまない、この辺りで薬師の女性を見かけなかっただろうか」
「薬師……キャスティさんのことか? 彼女なら街で患者を診て回ってると思うが……」
 と応じてくれたのは顎髭を生やした愛想のいい酒場の店主である。『かんせん』するかもしれない病の者を気前よく受け入れるだけの度量を持っている店主が言った名前は、確かに先程出会った女性の胸元に書かれていたもののように思う。
「そのキャスティ、とは黄金色の髪と空色の瞳を持つ女性だろうか」
「そうそう。ん? 彼女に用があるんだろ?」
「いや、彼女にこの酒場に薬師がいると言われて来たのだが」
「ここに?」今一つ噛み合っていないらしい会話に、酒場の店主は眉を顰めた。「この街の薬師団は丁度出払ってて、他に薬師はいないぞ。たまたま通りがかったキャスティさんがいなけりゃ大惨事だったな――」
 結局、その酒場で目的の人物に会うことは叶わなかった。もう少しその女性の特徴を聞いておけば良かっただろうと思っても後の祭りである。彼女の所に戻ることも考えたが、まだ波止場の方には行っていなかった。
 酒場の傍にある船着き場で更に尋ねてみることにした。漁で捕った魚を卸し終えて一息ついてるらしい中年の男女が休息を取っている様子を見て、ヒカリは声をかける。ヒカリの言葉に、男性は露骨に眉を顰めた。
「薬師? まさかあの街をうろついているエイル薬師団の奴のことを言ってんじゃねえだろうな」
「エイル薬師団?」
 自分が出会った女性は組織に属しているような素振りは見せなかった。いや、もしかすると酒場にいる女性がその仲間なのだろうかとヒカリがあれこれと考えていると、
「どうせこの騒ぎもあの女が持ち込んで来たに違いねえや」
「あんた、娘が世話になったのにその言い方……」
 男性が吐き捨てるように言い募ると、今度は女性の方が不機嫌に呟いた。どうやら二人の間で意見が食い違ってるらしく、互いに顔を見合わせては苦い顔をしている。
 決着の着かない睨み合いに痺れを切らしたのか、男性の方が舌打ちをしながら目と話題とを逸らして、ヒカリを袖にする。
「おい兄ちゃん。あんたもお仲間か? だったらさっさとカナルブラインから出てってくれよ」
 一方的な物言いに憤りそうにもなったが、それにしても事情が全く読めない。男性の方は結局取り合ってもらえず、へそを曲げて去ってしまった。取り残された形になったヒカリは、同じく取り残されてしまった中年の女性にどういうことなのかを問うた。
 自分の服装は年中戦火に包まれているヒノエウマのものであったから奇異な目で見られることは覚悟の上だったが、だからこそ誰かの用心棒であると思われているらしく、ヒカリへの抵抗はなかった。
 実際は外見でそしりを受けていたのは、一人の女性だった。
 疫病神。人殺しの薬師。
 水色の服を着た薬師団が、ここ最近も東大陸の村を壊滅させた。次はこの街が狙われているに違いない。
 想像だにしていなかった言葉に目を白黒させた。特にここ三年は殺伐とした単語から縁遠かったヒカリの身体の芯に、重量の持った氷が降り注いでくるような嫌悪感がのしかかった。
「とてもそうは見えなかったけどねぇ……真摯に対応してくださったし、実際娘は熱も呼吸もだいぶ落ち着いたのよ。それをなんだか死ぬ間際みたいに騒ぎ散らして、全く……普段からあの人は落ち着きないったら……」
 段々と口調が夫をそしるものになってきたので、ヒカリはなんとか収めてその場を後にした。
(疫病神……?)
 あちこち座り込んだり寝込んでいる人物達を視界の端に、改めて説明された中身を噛み締める。どうにも聞いた言葉が脳内で宙ぶらりんになっている。
(彼女が?)
 その女性の顔を思い浮かべる。顔を合わせた時間も、言葉を交わした時間も多くはない。たかが一言二言のやり取り、それも僅かな時間のみで、それで人となりを把握するのは確かに厳しいだろう。
 だが、青々とした空と同様に澄んでいる玉のような瞳に悪意などは感じなかった。自負があるわけではなかったが、ヒカリは自国で多くの者と関わりを持っており、多少の人を見る目はあるつもりだった。悪意ある人間というのは見た目から、言動から、振る舞いから、そういった何某かから言いしれぬ陰の気が滲んでいるものである。
 だが、確かに彼女が潔癖というには違和感を覚えるのも確かだ。問題ないと思えるだけの判断材料が手元にあるはずなのに、それが綿のように実態が掴めない。見誤っている可能性も、あるのだろうか。
 懐に仕舞い込んだ皮布の件もある、ヒカリは雑念を振り払って金髪の薬師の元へと戻ることにした。
 恐らくあちこちと動き回っていて病床人を見ているはずである。目撃情報を辿ればいずれ戻れると思い南の通りを歩いていると、人集りから一人の人物が水色の服の裾を翻して出てきた。何やら多くの視線を集めながら見送られている様子である。
「ええ、私が……大丈夫よ、戦闘は心得があるから」
 その内の一人と親しげに話す涼やかな声は、間違いなくあの金髪の薬師だった。
「キャスティ殿」人の輪から解放されて一人歩き出していた女性の背中に、ヒカリは声をかける。「すまない、あなたに言われた女性の薬師なのだが……」
「あら、あなた、さっきの……」振り返った女性が口に手を当てて応じた。「ごめんなさいね、ありがとう。彼女の方でも素材は足りてて大丈夫だったみたい。少し貴重な物だったから心配したのよ。せっかく行ってもらったのに申し訳ないわ」
 キャスティは腰を軽く曲げて謝罪する。口元の布を外してみると、彼女の柔和で親しみが多分に含まれた輪郭が真っ先に目に映る。
 やはり彼女の態度は、噂されているような『人殺し』とは微塵も繋がらない誠実なものだった。纏う気にも、例えば自分のような陰のそれが滲んでいるようには見えない。陰陽の調和は、あくまでも常人のそれである。
「いや、何事も無かったならそれが一番だ」
 ヒカリは懐に仕舞い込んでいた皮布を彼女に差し出した。薬の材料の入っている布を手慣れた手つきで受け取った女性に、続けて問いかける。
「ところで先程、戦闘がどうとか聞こえたが……何かあったのだろうか?」
「今回のこの病気なのだけれど、どうも街に流れている水を飲んだ人達に症状が出ているみたいなの。だから水源に調査しに行こうと思って」
 街を流れる水路は、外から流入している。北東は海に面する街であり、自然とその水源は西ないし南の山からということになる。街を一歩出れば、魔獣や野盗に襲われる危険があった。
「……調査、とは、あなた一人で行くつもりか?」
「ええ、どうもこの先の道沿いらしくて。でも街道を一人で歩くくらいだったら……ほら、私も戦えるから」
 腰のホルダーでぶら下がっている手斧が、キャスティに応えるように陽光を返して揺れている。毅然とした受け答えに憂いは見受けられないが、彼女の立ち居振る舞いを見る限り、戦闘はできても慣れているようには見えない。そう思った瞬間に、ヒカリは口を開いていた。
「キャスティ殿、俺を同行させてくれまいか」
「え?」
「ああ、安心してくれ、金は取らぬ。俺もこの街の助けになりたいのだ。俺が役立てるのはこうして手をこまねいてあなたを待つのではなく、あなたのその行動を手助けすることだと、そう考えた」
 長々と言ってから迷惑だろうかと考えてしまう。実際自分の提案を聞いた彼女の顔は少し曇っていた。だがそれも一瞬のことで、彼女は空色の両の瞳を細めて笑みを作った。
「ありがとう。その……心細かったのは事実なの。だから、お願いしても良いかしら」
「ああ、任せてくれ」
 なんとか彼女に受け入れられたことに安心し、ヒカリは内心胸を撫で下ろした。自分の刀が人の役に立てるのであれば本望である。
「それで、お願いしたいことが二つあるのだけれど」先を促そうとしたヒカリの前に、キャスティはおずおずと切り出した。「私のこと、キャスティ、って呼んで。殿なんて言われると、なんだか背中がくすぐったいわ。年上年下なんて気にしなくていいから」
「解った、キャスティ」
「ありがとう」
 薄桃色の唇に微笑を浮かべたその表情は、朝陽のように温かい。だが、真っ直ぐにこちらを見上げるその眼差しには芯の強さを感じる。まるで母や、ツキのような。
「それと、もう一つはね、あなたのお名前を教えてほしいわ」
「……俺はヒカリだ」
 彼女の当然の問いに、素直に名乗るべきか戸惑って、やはり正直に答えた。祖国でこの名前は珍しいものではない。……家名さえ、言わなければ。
「ヒカリ……素敵な名前ね」
 他人に呼ばれて気付いたが国を出て、宿での記名はあったにせよ、直接口頭で名乗ったのは今が初めてだった。
「少しの間だけどよろしくお願いね、ヒカリ君」
 ……耳馴染みの無い敬称を伴っていたので、少々くすぐったさがあったが。

 実際、確かに彼女は腕が立った。もちろん、ここで言う腕前とは戦いの腕である。
 裾の長い服はとても動きやすいとは思えなかったし、事実ヒカリより彼女の動きは鈍い。戦いに適した体裁きではなかったが、彼女が薬師の知識を持つ故か、魔獣の弱点を的確に狙っていた。
 文字通り鼻が曲がるような異臭を放つ魔獣が、街の水源に居座っていた。それらを何とか排除し街へ帰ると、そわそわと街の出入り口をうろついている町民達がキャスティを出迎えた。
 彼女は、間違いなく街を救った薬師だった。その手助けができたことが素直に喜ばしいことであった。
 だが、最初に彼女に明確な違和感を抱いたのは、その直後である。

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 夢を見たのは、恐らく強い未練があったからだ。
 ライ・メイのこと、ジン・メイのこと。
 リツのこと。兄のこと。
 母のこと。父のこと。ツキのこと。ク国の民のこと。

 夢を見たのは、恐らく強い未練があったからだ。
 テメノスのこと。旅の仲間のこと。
 そして、キャスティのことも。

 後頭部の痛みと凍てついた手が、まずヒカリが知覚したものだった。
 鈍く滲んでいた景色が、徐々に線を結んでいく。壁に掛けられた一本の燭台と手の届かない位置に置かれた、人も通すことを許さないような小さな窓のみが光源であった。端々が欠けた石壁から黴のにおいを感じる。僅かに光る錆びた鉄格子がこの場所の意味を示していた。
(生きている……)
 咄嗟に身体を起こそうとして身体中に痛みが走った。すのこの上に擦り切れた毛布を置いただけの簡素な、辛うじて寝具の態を成している寝床から上体を起こす。
 何故こんなところにいる? どうしてこんなところで寝ている?
 意識が飛ぶ前の景色を唐突に思い出し、ヒカリはすぐ外へと目をやった。小さな空は濁ってはいるが橙色に染まっている。夕暮れだ。ヒカリがライ・メイの元へ向かったのは朝だったはずだ。あれから一日近く意識が飛んでいたことになる。
「……っ」
 どうやら想像以上に自分の身体は丈夫らしい。厚着だったことや橋の下に生えた木々の枝葉が緩衝材となっていたことを踏まえても、殆ど浅い切り傷と打ち身で済んでいることは幸運という概念を超えている。腕や足、胴、頭も含めて痛みがあるだけで、骨が折れている様子もない。
 頭を結わえていた麻紐は外れて、俯くと暗澹とした闇と同化している漆黒の髪が垂れ幕のように視界を隠す。
『ならば、あなたはお尋ね者です。死にますよ』
 昨晩のテメノスの忠告は間違いではなかった。打ち所が悪ければ、いや、自分でなければこの世にいなかっただろう。
 申し訳ない気持ちがないではないが、恐らくこの結末を知っていたとしてもヒカリは行動を変えなかっただろう。この選択をしたことに後悔はしていないから。仲間を巻き込まなくて済んだという事実に違いはない。
「……気付いたな」聞き慣れた声が、圧迫された空間に平坦に響く。「あの橋から落ちても死なぬとは……流石、ク家の血だな」
 皮肉の籠った言葉を複雑な心境で受け取る。
 火の点いたランタンを手に、鎧を脱いで槍も手放した平服姿の彼女を認めて、ヒカリは息を呑む。朝、橋の上で会った時も感じたことだが、三年前よりも焦燥を表し、黄金に焼けていた肌は太陽の弱い地域にいるせいか白く血色も薄い。肌の下の血管が幾分か細くなってしまったかのようだった。
「だが、ここまでだ。橋から落としても死なぬならば、確実な方法で首を斬り落とすのみ」感情を抜き取った灰色の口調で続ける。「明朝、我が兵の前で貴様を処刑する。全てはク国の王、ムゲン様の命だ」
「俺は、ここでは死なん。まだ成すべきことがある」
 身体は軋むように痛んだができる限り訴えかけるように返す。
 どうしてムゲンの元に付くのか。それは聞かずとも答えが解ってしまうことがもどかしかった。彼女を助け出せるほどの力は今の自分には無い。国を追われ立場を失った自分には、彼女の望みを叶えられはしないだろう。
 だからこそ、ヒカリは信じるしかない。ムゲンを許せないと判断できる良心を。ヒカリの隣で、彼女の兄と共に夢を追っていたあの時間を。
 光源の少ない檻の中で、沈黙を破ったのはライ・メイの方だった。
「その眼……いつか見た」鎖骨から流れていた緑黄色の三つ編みを残してライ・メイは背を向け、独白する。「ああ、そうか……戦場か。貴様は死地に立ってもその眼で私達を鼓舞した。諦めるな友よ、とな」
 ライ・メイは背を向け微動だにしないまま、今度は声をかけてくる。声を捻じ曲げて、妬みの感情を籠めて。
「まだ、諦めぬ気か、ヒカリよ。牢を出て、悲願を果たす気でいるというのか?」
「諦める理由など無い。俺は……そなたを信じている」
 ただ言葉を繰り返す。剣ではなく言葉で。ヒカリの不退転の決意を伝える唯一の方法だと信じているが、ライ・メイの態度は翻らない。
 重たい沈黙を破る嘆息が聞こえて、
「私にも譲れぬものがある。我が槍と、兄に誓って」
 それきり、彼女の後ろ姿は闇へと消えていった。振り返ることもせずに。
 階段を上る足音を聞きながら、ヒカリは邂逅する。彼女と、彼女の兄と、夢を見ていた頃を。ク国のために戦い、そしていつか腰に佩いた物が、背中に差した物が、無用の長物となるような時勢を願っていたはずだ。なのにいつしか道を違えてしまっている。これまでのク国の歴史ももちろん一端を担ってはいるが、彼女の場合は……、
「ジン・メイ……」
『クク……可哀想だよなあ』
 突如、頭蓋を内側からとんかちで小突いてくるような、とてつもなく不快な声が何処からともなく響いてきた。ヒカリにだけ向けられた、嘲笑。
『あいつの不幸は全て兄上が原因だもんなあ……クク、憎いだろう、兄上のことが。今のうちにあの男の殺し方を考えておけよ』
 子供に今日の夕餉はどうしたいかを問うような甘い声音を混ぜてそいつは言った。言われずとも、兄のことは国を追われた時から片時と忘れたことはない。ヒカリがそう考えているのを知ってか知らずか、恍惚と囃し立てる。
『父上や母上と同じように剣で一太刀じゃあつまらねえもんなあ。街の奴らと同じ火炙りでも良いし、見せしめに引き摺り回すのも痛快だよなあ』
 ぼんやりと思わず想像してしまって、瞬間吐き気がした。三年も離れた血と鉄と肉と油が焼けた戦場のにおいが交錯して噎せそうになる。
『おいおい、ヒカリ君は初心だなァ……忘れてるならもっと思い出してもらっても良いんだぜ?』
「……黙っていろ」
 戦場だって、その場にいた多くの兵だって、忘れていない。忘れていないからこそ、滞留した不快感が胸元にいつまでもあるような気がした。
『可愛いなヒカリ……ああ、そうだ』ゆったりと粘性の高い声で声が続ける。『俺が出てきた記念日と同じように微塵切りにしてやってもいいよなあ。真っ赤なヤツを際限なく飛び散らせてよぉ』
「……うるさい、黙っていろ」
『ククク……甘い奴だぜ……許すなんてよ……』
 尾を引いて大笑が消えていく。今ここで眠ってしまったら、こいつが自分の身体を知らずに動かすこともあるのだろうか。末恐ろしい想像を振り切るように拳を壁に叩きつける。
 しかし、ヒカリの意に反して体力の限界が来たのか、すぐに意識はまたぷつりと途切れた。

+++++

 正確には、昨日の夜からである。
 キャスティは城を見に来ていたヒカリと別れた後に、テメノスがソローネに指示を出してきたという酒場に向かっていた。
 濃紺の外套を着込み手にランタンと武器を持った兵士と幾度とすれ違う。キャスティの様子を訝しむ様子はあったものの、行く先が酒場なのを見て追及はしなかった。夜はもう遅いが、酒場そのものはまだ人も多くおり、薬師の鞄を提げた女性が酒場に向かうことにも違和感は無かったのだろう。
 雪風を遮っている扉を引くと、もう出来上がっていた雰囲気も通り過ぎて慢性的な気怠さが横たわっていた。目前のテーブルに座っていた男は空のジョッキを名残惜しげに呷って呻き声をあげている。明日には二日酔いの症状が出るくらいに顔は赤らんでいた。
「もし」
 その向かいに座っているもう一人の男はあまり酒を飲んでいないようである。彼に声をかけると胡乱げな顔でこちらを見上げた。
「良かったら相方さんにこの薬を飲ませてあげて。少し苦いけれど、明日の朝の頭痛が軽くなると思うわ」
「お、おう……その、お姉さん、薬師なのかい? だが俺達、たった今、懐を寂しくさせちまったばっかでよ……」
「構いません、私の奢りで。せっかくの休みだと思いますから」
「悪ぃな。何度も飲み過ぎるなっつったんだが……」
 照れ臭そうに言うお礼の言葉を背に受けながら、酒場をまた見回す。見知った顔は、比較的すぐに見つかった。目が合って呼び掛けようとした矢先。
「というわけで、彼女を一時的にお貸ししたい」
「え?」
 テメノスの手が明らかに自分を差していた。キャスティが反応を示すよりも先手を取ってきて閉口せざるを得ない。「どうぞ、キャスティ」しかも流れるように席を促してきた。
 見渡すと、一人の老齢の女性が向かいに相席している。六十半ばといったところか、目尻には年を重ねている印が刻まれているが、ベージュの髪を短く切り背筋を伸ばしている様は全く衰えを感じさせない。彼女の座った椅子に掛けられた、同じ色をした肩掛け鞄を見て、キャスティはすぐに女性の正体に気付いた。同業者だ。
 隣に座るテメノスに後で説明があるのかと視線を投げかけると、浮かべていた笑みから意識してようやく判別できる程度に目配せをされる。どうも考えがあってのことらしい。
「あなたがキャスティさんね。ごめんなさい、突然ご相談させてもらって」
「いえ。私としても協力は、是非お願いしたいくらいです」
 キャスティがそれらしく言うと、ガーナと名乗った女性を覆っていた硬さが僅かに和らいだ。
「ありがとう。わたしはガーナと言います。あなたのような薬師が今いてくれて心強いわ」
 丁度その時、注文していたらしい和え物が酒場の看板娘と思われる女性に届けられる。「プラムジュースをいただける?」キャスティは追加で自分の飲み物を注文し、愛想よく去っていった看板娘の後ろ姿を横目に、テメノスが話を再開させる。
「どうもここ最近の冷え込み具合で人手が足りていないらしく、せめて一日だけでも猫の手をお借りしたいそうでして」
「冷え込みで……身体が慣れずに体調を崩すことは考えられますね」
 キャスティもこの街に辿り着くまでの道のりを思い出す。手や顔を刺すような痛みは、以前に来たこの地方の街での記憶を凌駕していた。神妙に頷くと、ガーナは言った。
「そうなの。うちの薬師も熱を出しちゃってね。解熱の薬は飲んでだいぶ良くなったのだけれど、復帰は早くても明後日にしようってさっき話してきたばかりで」
 それからテーブルの上に置かれた和え物と飲み物を少しずつ摘まみながら、明日の朝から診療所に行く旨を話し合う。薬の在庫の確認も必要になってくるから、恐らく皆が……ヒカリも含めてまだ起きていないような時間に宿屋を発つ必要があるだろう。彼の明日の行動を考えれば、本当はずっと傍にいたかったが、
「艱難辛苦な時に我々がストームヘイルに来たのも聖火神のお導きですね」
 飄々と言い放つ銀髪の旅の供に、表面上は同意しておいた。

「それで? 私に本当にさせたいことは何なのかしら?」
 酒場を出て開口一番、キャスティは青年を問い質した。真っ黒な雪除けの被り物の下で、テメノスはわざとらしく嘆いた。
「なんと、人聞きの悪い言い方ですね。キャスティだって人のことをつけていたじゃないですか」
「ソローネに行き先を伝えてきたのはあなたじゃないの」
「そうでしたっけ。まあ実にタイミングよく人助けをしていてくれたので、話はスムーズに進んでくれて良かったですけれど」
 満足そうに言うが、その笑みもやはり含みのあるものだった。
「で、私にさせたいことは何なの?」言外に明日のヒカリのことをにおわせる。「あなたが納得できないのも無理はないわ。傷が癒えるには時間が要るもの。でも……」
「そうですよ。私は納得していません。でも人を納得させるのって難しいんですよね。説教だけで人が動くなら、この世に聖火騎士も聖火神も必要ないですから」
 テメノスも名前は出さなかったものの意図は汲んだようで、首を竦めてすたすたと歩き始めて続きを拒絶した。

 次の日は夜が明ける頃合いに部屋を出た。夜の間に荷物の準備は済ませていたが、身支度までは難しい。なるべく衣擦れの音を出さないように着替えをしたものの、ソローネに気付かれない自信はあまりなかった。ついぞ、自分が部屋が出る時にも動く様子はなかったものの、彼女の気遣いかな、と思っておくことにした。昨晩に用意していた手紙を置いて、キャスティは部屋を後にした。
 宿の階段を下りて出入り口に辿り着くと、闇夜の色をした防寒具に身を包んだ銀髪の男がいた。昨晩と全く変わらぬ風貌で、彼の頭の形そのままに流れる溶けるような髪は寝癖とは全く無縁のようである。
「よく眠れましたか」
 まだ外から漏れる光も時間帯に反してまだ夜更けそのもので、振り子時計が示す時間を疑ってしまったほどだった。これがコーストランド地方であれば既に薄明が海と空の境界線を截然とさせている時間だ。
「あなたも隈は無いわね」
「欠伸は出そうですけどね。私は夜型なので丁度今が眠り時なんですよ」
「だったら寝てても良かったのよ」
「残念ながら緊張すると夜も眠れない質でして。となると、私はいつ寝ればいいんですかね」
 男はけらけらとしているが目の奥は笑っていない。それを隠す気もないようで、テメノスはエメラルドの双眸を細めて外へと視線を投げた。
 それから二人はすぐに診療所へと向かった。
 昨晩ヒカリと眺めた時と比べると僅かに空の色は白く濁っており、位置は異なるものの丸い月は変わらず空に浮かんでいる。山から流れる凛冽とした風がこの街を凍えさせる。身体の芯から痛みつけられるような冷たさを容赦なく突き付けられ、改めてこの地の威圧感を実感する。診療所はそう遠い距離ではなかったものの、その短さを埋めるだけの悪環境が意思に反してキャスティの足を重くさせた。
 街の端っこにひっそりと埋もれるように建てられている診療所は、今の主の女性のように慎まやかに存在している。だが街並みの多くが闇に身を沈めている中で、この建物だけは火が灯っているのが見えた。
 キャスティが先導して立ち、扉を控え目に叩く。
「おはようございます。昨日お話しました、薬師のキャスティです」
 程無くして、老齢の女性が姿を現した。
「おはよう、キャスティさん。さ、上がって」
「失礼します」
 ガーナの後ろについて中に入るとすぐに自分が提げている鞄の中と同じにおいがした。乾燥した動植物の一部が発するそれらの効能を頭の中に描きながら、周囲を見渡した。暗順応した目でも何本かの蝋燭だけでは全貌は見えないが、近くでは子供の呻き声が、奥で男性の咳き込む音が聞こえた。自然と、キャスティの腹にも力が入る。
「診療録はここね」
 中身を見ると、症状や処方した薬、その日時までもが事細かに書かれている。これだけでも彼女がいかに患者を大切に扱っているかが解った。彼女のこの努力を無駄にはできない。
 薬の在庫や場所等を一通り確認していると、ふと、こつんと足元で音が鳴った。
 慌ててその先を明かりで照らすと、鞄につけていた琥珀色の勾玉が床に転がっていた。昨日、ソローネと話した時にはしっかりと紐で結んでいたはずなのに。
(……大丈夫)
 不吉な予感を覚えながらも、キャスティはそれを拾い上げる。
 テメノスの真意はともかく、ヒカリの今日の動きもともかく、自分にしかできないことが目の前にある。彼らがそれを全うしているように、自分もその役割を果たすだけだ。
 
 一息がついた、と言えるのはそれから何時間も後の昼過ぎだった。
 忙しく動き回っている間には思い起こすこともなかった自分のお腹の虫が、急に鳴り出した。二人が座れる程度のテーブルの上に置かれている、暖炉で焼かれたパンと切り分けられた僅かな野菜からの香りのせいもあるだろう。
 午後からの動きの整理も終えて、少しの静寂が訪れる。気付けばテメノスは姿を消していて、老女に確認すると買い出しに行っているらしかった。どうにも直近のテメノスの行動を見るに嘘を吐かれている可能性は十分あったが、そのことをキャスティが今気に揉んでいても仕方がない。朝に決意した通り、目の前にあることをこなしていくしかない。
「ガーナさん」
「はいはい、何でしょう」
「その……メイ家って、この街ではどういった方々なんですか?」
 患者の中にメイ家の兵士の家族だという者もいた、その興味の延長線上であるといった口ぶりで尋ねる。千切っていたパンを皿に置いて、答えはすぐに返ってきた。
「そうねえ……この街はね、昔から争いが絶えなかったの。年中殆どが雪だから作物は育たないし、特に冬なんて狩りもできなくなってしまうから、元々貧しくてね」
 大昔には二つの大国が戦争をしていた、その形跡すら未だに残っている街だ。遠くからでも見える巨壁や、巨悪な魔法の伝承も数多く残っている。というのはこの道中でのオズバルドが語っていたことだが、実際に土地を踏んで納得できることは多くある。横目で窓越しに見た空はやはり重たい雲で覆われて、他の国で見れるような澄んだ青を見せることはない。
「教会の聖堂騎士さん達も、一部の人が素行が悪くって問題も多くて……もちろん、よくしてくれる方もいっぱいいたのだけれど。それに北の霊峰アルタヘのグラチェス様も最近まで荒々しかったし。そんな中でメイ家の方達が来てからは揉め事が減ってね。最近ではグラチェス様も大人しくなって」
 グラチェスが大人しくなったのは旅の仲間のオーシュットが働きかけたからだが、ガーナの話を止めてまで訂正するものでもない。キャスティは静かに相槌を打って彼女の話の続きを促す。
「もう三年前か四年前のことなのよね。遠い西の国からメイ様達が来た時はまた争いが増えると思ったのだけれど、小さな小さな、酒場での小競り合いを止めてくれたりね、温かい食べ物とか服を分けてくれたりして……それを見た聖堂騎士さん達も少しずつ変わってきて。だからね、わたしがこの街で暮らしてきて今が一番平穏かもしれないわ」
 そうたどたどしく言うガーナの表情は柔らかく、心の底から今の平和を享受しているようにも見える。
 話の内容から、彼女の人物像はヒカリから聞いていた話とそう大差が無いように思えた。争いの絶えなかった国で寄り添い、血の流れない世をヒカリと一緒に目指していたのだというその行動を信じることは、ガーナの話や、今日診た何人かのメイ家に仕える人達の人となりを見て、可能かもしれない、と思った。
 ヒカリに、改めて彼女との出会いを訊いておきたい。そして手助けできるのならばするべきだ。自分の中で少し曇っていた感情がすっきりと晴れたような気がした。
 しみじみと頷きながら残ったパンを口に入れようとしていると、ガーナは眼を見開いてこちらに向かって、
「そうよね。夕方にはお城に行くから、多少は知っておかないといけないわよね」
 と言った。寝耳に水である。
「……えっと、その、お城に?」
「ええ。メイ様の所も熱を出してる人が何人かいるから助かるわ」
 不意を突かれてつい閉口しかけてしまう。キャスティはなんとか取り繕って応対した。
「そ、そうですね。早めの治療が回復への一歩ですから」
(……夕方に宿に戻れなくなっちゃったわね)
 テメノスの読み取れない意図が、線になった瞬間だった。

+++++

 意識がまた飛んでいたらしい。
 橙色に染まっていた空もすっかり夜の装いをしている。昼間は重たく垂れこめている雲も、夜半に見ると空の月や星の灯りを受けてぼんやりと光って見える。
 毛布を被っていたとはいえ冷え切った空間で壁に背を預けて身を縮めて眠っていたせいか、身体を動かすのも億劫になるほどの倦怠感が圧し掛かる。
 ライ・メイは明日にヒカリの首を落とすと発言していた。今この時も刻一刻と差し迫っているが身体も不調でこうして檻の中で何をすることもできない。
 死ぬ気は毛頭無いが、この事実を覆せるほどの力が今の自分にはなかった。
(……死ぬのだろうか)
 そう心中で考えたところで、実感が湧かない。死ぬにはあまりにも、やるべきことが多過ぎる。
 どうにかここを抜け出せないだろうか。檻を壊すか、壁や床を壊すか、朝に処刑台に送られる前に一暴れするか。そう考えても、実行できるだけの体力も武器も無い。こんな状態で身一つで抗うには、……考えなければいけないのだろうか。あいつの手を借りることを。自分の根底に吹き溜まる暗澹とした力を……。
(……いや、駄目だ)
 あの時と同じ過ちを繰り返すのは駄目だ。血を血で流す不幸をもう一度起こすわけにはいかなかった。
 ただ、ただ……ライ・メイともう一度話がしたかった。もう一度、彼女の真意を問いたかった。今のライ・メイが歩んでいる道は何処なのかを、問いたかった。
 ――誰かの気配がする。
 そう思った時には既にその人物は階段の最終段を踏み終えて、姿を現していた。
 一瞬彼女だと気付かなかったのはこんな所にいるはずがないという先入観と、普段の彼女との服装や髪型が異なったせいだろう。暗闇の中でも僅かに発光すらして見えるような黄金色の髪の毛は普段は頭の上で丸めて留められているのに、今日は普段のアグネアと同じように後ろで一括りにしていた。清潔感のある服はいつも水色を基調としたそれとは違っていた。淡い、黄色の服だ。
「……キャ、キャスティ……!?」
「こんばんは、ヒカリ君」
 こんな牢の中では到底望めない、包み込む羽毛のような穏やかな笑みを彼女は浮かべた。

「――はい、もう動かしていいわよ」
 呼びかけと同時に固定させていた右腕を手元に引き寄せて指を開閉させる。傷の痛みは鈍く残るものの、キャスティの処置によって怪我の前とほぼ変わりないくらいには動かせるようになっていた。
「ふむ、流石はキャスティだ。違和感がない」
 剣も変わらず握ることができそうだと真っ先に思ってしまうあたり、自分で自分のことが解らなくなる時がある。
「本当に、無事で良かったわ。壊れた橋を見て気が気じゃなかったのよ」
「……すまない」
「反省できてよろしい。じゃあ次は左腕ね」
 キャスティは鯱張ってヒカリの謝罪を満面の笑みで受け止めた。いつもならもっと言葉多く切り返してくるものだが、彼女なりの気遣いなのだろうと追及はしなかった。
 怪我の治療を受けながら朝から姿を見せなかった理由を尋ねた。どうも彼女は街の診療所に掛け合って一時的にそこの関係者として入ってきたとのことだった。勿論、治療を終えれば彼女は町に戻るようである。
「ヒカリ君」何処かに打ち付けたらしい赤黒く染まった左前腕に今から塗り込むであろう薬を鉢で練りながら、「ねえ、ヒカリ君。良かったらライさんとの思い出を聞かせて」
 昨晩には飛んでくる素振りのなかった意外な問いにキャスティの顔をまじまじと見てしまう。キャスティは小窓からの月明かりと経験を頼りに潰した薬草に更に材料を足している。ふわりと香るのは、青臭いにおい。国を出た直後には理解し得なかったにおいだった。
「そう、例えば……ライさんとの出会いってあなたがいくつの頃だったのかしら。昔馴染みと言うのだからきっと子供の時よね。その時から一緒にお稽古をしていたの? でも剣と槍で武器が違うなら修行の仕方も違うのかしら……あ、でもヒカリ君も槍は扱えるものね。もしかしてライさんに教えてもらっていたとか?」
 矢継ぎ早に溢れんばかりの疑問が浴びせられる。思わず身を引きそうになるが、ヒカリの背後には硬く冷めきった牢の壁が立ち塞がっている。後頭部をぶつけて痛みを食いしばる声が漏れ出そうになりながらも、
「ひ……一つずつ答える」
 ヒカリは折れた。どこかで口を挟んでおかないと止みそうにない。
 それに先程気を失っている間に現実にひどく近い夢を見てしまった。当時の記憶も明るく、口にすることで誰かに聞いてほしいという思いがあったのも否定はできない。その相手が旅の仲間で、その中でも特に母親のようにヒカリを見守ってくれている彼女だったのならば。
「ライ・メイと出会ったのは確かに子供の頃だ。前日に興味の惹かれる本を見つけてしまってな、深更まで起きていたから朝起きれずに母が俺の部屋まで来て起こしにきた」
「まあ、ヒカリ君でも寝坊するのね」
「それは……今でもしていることも……ある」
「うふふ、良いこと聞いちゃった? もしかしてテメノスに起こされてたり?」
「そ、それはもう良いだろう……」
 彼女との出会いを皮切りにヒカリはいつも以上に饒舌に話した。ライ・メイだけではない、メイ家の長男のこと、母のこと、支えられてきた時のこと。留まることなく出てきたのは、合間に心地よく挟まれるキャスティの相槌があったからだろう。
 三年前、父が戦をぴたりと止めたところでライ・メイとの物語は途切れている。一しきり話し終えると、
「……ヒカリ君は、」と彼女は落ち着いた声音で切り出した。ヒカリに向けていた顔を逸らして檻の外へと視線を向け僅かな躊躇いを挟んで、「やっぱり、今でもライさんのことを信じてる?」
「当然だ」
 ヒカリの方は間髪入れずに答えた。声がさっきよりも勢いづいて、檻の外まで響き渡った。
 自然とも思える静寂が帰ってきた時にはキャスティは緩めた唇に微笑を浮かべていた。薄暗い空間でも不思議と光を放つ空色の瞳の中に、自分の顔が映り込んでいた。顔にいくつも出来た擦り傷はキャスティが処置しているものの依然として残ったままだ。それでも後悔と諦念の言葉は浮かんではこない。
「ヒカリ君。その心を忘れない限り、きっとライさんは解ってくれるわ。だから……諦めないでね」
 そう言い残して、キャスティは去っていった。
 ヒカリはしばらく壁に背を預けたまま放心したように身じろぎもしなかった。牢には幽寂な空気で溢れ返っている。こうして闇に目を凝らしていると、時折背筋が凍るような気分になる時がある。
 メイ家への思いはそれだけか、と。
 闇がそう語りかけてきているような気がした。
(……いや)
 キャスティには話していないことは、あるのだ。
 それは母が殺された日。
 そして、ヒカリの師匠でもあった友が、兄に殺された日。
 砂が吹き荒れる、何も変わらないヒノエウマでの光景を背に、ジン・メイの剣を突き立てた日。残された妹が誓った言葉。
(……謝るべきは、俺の方だ)
 遠い日にあった捻れが、今日の彼女との間に亀裂を生んでいるのだとしたら。やはりもう一度ライ・メイに会わねばならない。諦めずに彼女と言葉を交わすタイミングを見極めなければいけないのだ、と。
 半刻と立たずして、キャスティが去った階段から人の気配がした。隠そうともしない革靴の足音と武装が生み出す金属音。しかし殺気の類は無い。どうやら人知れずに殺しにくるような浮ついた人物ではないらしい。
 足音が近づくにつれ、ヒカリの鼓動が穏やかになる。足音が、気配が、見知った人物だと感じることができた。
 やがて姿を表したのは一人の男だった。
「ヒカリ殿、一つ伺いたい」
 深い皺が刻まれた顔は鋭気を放っているものの、先程出会った時には闘気で溢れていたというのに、それもすっかり消え失せている。こうして見ると、主君を十年、二十年以上も見守ってきた好々爺の雰囲気が滲み出る。
 先程この場を去ったキャスティとの会話の内容を再度確かめるかのように、目尻を細めてクンゾは問うた。
「今も……我が主を、友とお思いか?」
「当然だ」ヒカリは男に一切迷いなく切り返した。「俺はライ・メイを信じ、ここへ来た。あやつは全ての重責を背負い、深く苛まれている」
 そんな彼女を救いたい、と思うのは少し違う。彼女の痛みを自分の立場で理解できる、などとは言えないし、そう言うことも本心ではない。ただ、彼女に苦しい道を選んでほしくはない。きっと彼女の兄もそう言うだろう。
「ライ・メイはこれまで選択せざるを得なかっただろう。たとえそれが辛い道であっても、暗闇の中を歩く道であってもだ。俺は光を照らし、その負の連鎖を止めたい。ライ・メイが我が兄に従い、血で汚れる必要など無い」
 確かな決心が、ヒカリの喉元をするりと出て声帯を震わせた。思った以上に張りを持った声が空間を震わせ、石壁に吸収される。
 短いとも長いともつかない沈黙が訪れる。雪は音を吸い込む感じがする、などと道中でオーシュットが語っていたのを思い出す。ここには夜空を舞う鳥の鳴き声も人々の営みの声もしない。耳の痛くなるような無があるだけだ。
 男は沈痛の表情を浮かべていた。一人の家臣として主人の姿を見るのが堪え難いのか、自分がやれることは無いと判断してもどかしいのか、その両方とも受け取れた。
 やがて宿老は動いた。ヒカリの檻に近付いて南京錠に手を掛ける。ヒカリの見間違いでもなんでもなく、あろうことか彼が手にしていたのはその錠を開けるための鍵だった。小気味良い金属音の後に、檻が役割を終えることに不平を漏らしながら鈍い動きで開いた。
「クンゾ殿……」
 どうして、という言葉までは形にならなかった。彼も、ヒカリと同じ結論に至っているのだ。ライ・メイを救いたいという願いを抱いている。彼は彼なりにできうることをし続け、できうることを考え続けてきたのだろう。その想いを想像するだけで胸を強く打たれる。
「ライ様は……先代ジン様を失った恐怖という牢獄に、長く囚われたままなのだ。その首を刎ねたとてあの御方は救われぬだろう。どうか断ち切ってくだされ。ライ様の心の鎖を……」
 そこまで言われては躊躇は最早ない。硬く強張った筋肉を動かして、短くなった蝋燭の刺さった燭台を壁から外し、ヒカリは檻の外へと踏み出す。クンゾが、あの橋で交わした刀をヒカリに差し出した。
 ヒカリはそれを手に取る。鍔を押して確かめると、祖国の熟練の鍛冶屋が作り上げた鋭利な刃は毀れておらず、この仄闇でも歪みなく輝いていた。
「礼を言う。そなたの想い、受け取った」鞘を腰布に差しながら、噛み締めるようにヒカリは言った。「……行ってくる」
 手入れもなあなあにされた石の階段を上る。ヒカリが両腕を横に広げきれない程度の手狭な階段が自分を中心に蝋燭の火に切り取られて、ありもしない恐怖感を煽る。しかしそれもすぐのことで、やがて外部の月明りが差し込む地上階へと辿り着いた。

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